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自分を大切にできない人は、人に優しくなれないと言いますが…
自己を犠牲にして他人に尽くす人は(自分が望んでいない場合)それは自分を殺しているから、自分に対して優しくないと考え付きますが、逆に自分が大切な人ほど、他人に無関心な感じがします。 自分を大切にできない人は、人に優しくなれない(大切にできない)といいますが、それはどういうことですか?こちらのカテゴリで良いのか迷いましたが…どなたか説明頂けますか?
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こんにちは、 > 逆に自分が大切な人ほど、他人に無関心な感じがします。 「私は自分が大好き!」と言っている人の言葉を真に受けてはいけません、 心理学は、人の本音を探る学問でもあります。 自分を大切に感じることを、自己重要感ともいいますが 他人に無関心なのは、自分自身が満たされていない=自己重要感が少ない為なので、 こういった人は、満たされていない自分をケアするのに、 精一杯で他人に、関心が行かない(行けない)のです。 彼らは「私は自分が大好き、だから、他人には関心がありません」と言いますが、 裏を反せば「私は自分の満たされない部分で手一杯なの、だから 他人への関心をもっている余裕はありません。」と、宣言しているようなものです。 視力検査の丸いわっかのように、円の人は欠けた部分に目が行く生き物です、 自分が満たされている人達は、ことさらに自分が好きだとか意識しませんし、 まして、他人に宣言したり態度で示したりというパフォーマンスをしません。 ・・・しないと言うよりも、欠けた部分のない円はそもそも自分に関心が向かいません。 普段から、自己重要感が充たされている人間は、極限の状況でもない限り ことさら「自分が好き」とは意識しません。 > 自分を大切にできない人は、人に優しくなれない・・・ これも程度問題です、例えば、自己重要感を測るコップが有るとします、 このコップには、目盛りがあり自己重要感を入っている水で測れます。 満タンが100に成っていて、普通70-80ならそこそこ満足しています、 70を切ると、何か(※1)で自分を充たさなければいられなくなり、これが 自分が好きだと言ってる人の状態です、50を切ると性格によっては、 死にたくなったり、他人に危害を加えずにはいられなくなります。 自殺や他殺という大事件を冒してでも、自己重要感を充たしたくなってしまうのです。 ※1、他人からの感謝だったり、賛辞だったりします。 自己重要感が充たされると、コップの水はあふれ出し他人に向かいます。 この時には、取引や他人を操作することのない純粋な優しさが発揮されます。 自己重要感が充たされないままに、他人に親切にするのは、 自分の重要感を補償しようとするからで、他人から※1を得るために 取引だったり操作する為の道具として、優しさを発揮します。 他人に優しくしたときに、見返りを期待しているか? 見返りの期待度でこの重要感の不足の度合いが測れます。 しかし、普通に100%充たされていることはありえません、 私たちは一般に安定していて70-80%くらいだと思います、 100%充たされていると感じるのは、ほとんと瞬間的なもので、 それを連続して感じられるのは脳(ドーパミン)の異常が疑われます(笑)
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- nisekant
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※誤字脱字の可能性あり 形式(~ができない人は~である)が性格(優しさ)を生むのではなくて、性格を求める(優しくありたい)過程にその人にあった形式を見出すのです、という考えがあります。 優しさにも色々あり、 自己利益に結びつく優しさ、自己利益を求めない優しさなどがあります。勿論、その二つに境界線はありません。ここでの私の指摘は、何か法則を見つけたいのであれば、「優しさはこの行動から明示される」から「『この』優しさはこの行動から明示される」と特定した方がよろしいかと。 結局のところ、「法則」は「局所的」ということから逃れられません、という考えがあります。
お礼
ありがとうございます。 またこの事柄について、皆さんからのアドバイスを踏まえ、考えてみたいと思います。
- bobanga
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お礼、ありがとうございました^^ >どうして「私のことを大切に思ってくれるなら、私もあなたを大切に思ってあげますよ」が、本当に大切に思っていないことになるのでしょうか? >それが「自分を大切に思えない人は、他人を…」に繋がる意味がよく分からないのです。 「自分を大切に思ってもらう為に用いる道具としての『大切な思い』と、 そのような打算を抜きにした純粋な意味での『大切な思い』の違い」、 「『大切な思い』の純度の違い」、等と言えばご理解を頂けますか? >自分を大切に思っている人がいるからこそ、自分を大切にしようと思える、そして、その相手をも大切にしようと思えるのではないですか? 正常なパーソナリティ(kohutっぽく言えば、 『自己対象〈自己価値を支える対象〉』を心の機能として内在化〈変容性内在化〉できた人間) であれば、外的な『自己対象』(自分を大切に思ってくれる、または扱ってくれる他者等) がなくても、『自己愛(自己の評価)』を満たせる(自分を大切に思える)と言います。 (外的な『自己対象』を希求しない、という意味ではない) 因みに、成人になっても常に外的な『自己対象』を絶えず必要とする、 と言う状態は、『自己愛性パーソナリティ障害』の典型だそうです。 ※ずいぶん前に教わった知識ですし、私は心理学を職業にしている 専門家ではありませんので、話半分で聞いて頂けたらと思います。 参考になれば幸いです。
お礼
再度のアドバイス、ありがとうございます。 自己愛性パーソナリティー障害、参考になりました。
- bobanga
- ベストアンサー率47% (16/34)
>自分を大切にできない人は、人に優しくなれない(大切にできない)といいますが、それはどういうことですか? 前後の文脈によって異なった解釈も可能でしょうが、単純に考えたら、 「(一番大切であるはずの)自分のことすら大切に思えない人が、どうして他人を大切に思えますか?」 ということですね。 「(一番大切であるはずの)自分のことは大切に思えないけど、他人のことは大切に思える」 なんておかしいですよね? 「私は自分を大切に思っていないけど、他人を大切に思っている」なんていう人も居ますが、 そのようなケースは、一見他人を大切に思っているようだけど、実は、 他人の『自分に都合の良い部分』を大切に思っているのであって、 他人を丸ごと大切に思っているわけではないですよね? (つまり、条件付で大切に思っているに過ぎない) そんな条件付の大切な思いなど、本当に「大切に思っている」と言えますか? たとえば、「私を大切に思ってくれるなら、私もあなたを大切に思ってあげますよ」 みたいな思いが、本当に「大切に思っている」と言えますか? 故に、 「自分のことを大切に思えない人は、他人を大切に思うことができない」 という話になるわけです。 ちなみに…… >逆に自分が大切な人ほど、他人に無関心な感じがします。 自分が大切だから他人に無関心になる人は居るでしょうが、 自分が大切なひとほど他人に無関心になるわけではありません。 言葉の定義は明確かつ統一しないと誤謬の元です。 たとえば「大切」「優しい」「尽くす」はハッキリと区別して考える必要があります。 『行為』なのか『気持ち』なのか、『全体』なのか『部分』なのか、という問題もです。 参考になれば幸いです。
お礼
ありがとうございます。 どうして「私のことを大切に思ってくれるなら、私もあなたを大切に思ってあげますよ」が、本当に大切に思っていないことになるのでしょうか? それが「自分を大切に思えない人は、他人を…」に繋がる意味がよく分からないのです。 自分を大切に思っている人がいるからこそ、自分を大切にしようと思える、そして、その相手をも大切にしようと思えるのではないですか?
体あっての自分ですが、自分の体は自分そのものではありません。しかし多くの場合自分の体と自分とはあまり区別されていません。自分を大切にするというのが自分の体のことなら、ほかの人といってもものとあまり変わりはありません。ほかの人も自分と同じであると考えられるのは自分は自分の体絵はないものだと思えるからではないでしょうか。貴方の御質問本文に出てくる「自分(あるいは自己)」を「自分の体」に置き換えて読んでみるとその違いがわかるのではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。
- 阿加井 凛悟(@neutral)
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こんばんわ。 まず、タイトルから。 >自分を大切にできない人は、人に優しくなれないと言いますが… :本当だと思います。 ある状況での人の気持ちが分かる(ような気がする)のは、 その状況で自分の気持ちがどうなるかを分かっていて、 それを元に想像することができるからで、 自分の気持ちを「分かる」というのは 自分に「関心を持って」いてこそできることです。 これができるのは、 誰かに「関心を持って」もらって、 そのことを「気持ちいい」「うれしい」と思うことができて、 存分に自分に関心を持つことが許されて、 自分に「関心を持つ」っていうのは「どうやってやるのか」を「分かって」、 身につけていて、それを当たり前に使ってる人です。 >自己を犠牲にして他人に尽くす人 >それは自分を殺しているから :自分を当たり前に大切にできている人は、 他の人も「自分を大切にしている」ことを当たり前に想像すると思います。 自己を(好んで、或いは反射的に)犠牲に「してしまう」人は、 たとえば慮(おもんぱか)ることを求められすぎたことがあって、 それを自分も他の人に求めているのかもしれませんし、 「要求」して「受け入れてもらう」ということをあまりしたことがなく、 「要求」するのをあきらめているか、「要求」する方法を知らないのかもしれません。 それに自分が「要求」を「受け入れて」もらって「感謝」したことがないのに、 人の「要求」を「受け入れて」やろうなんて発想はできないでしょうし。 きっと「自分を殺す」のが生きるために必要なことだと覚えてしまったのだと思います。 >自分が大切な人ほど、他人に無関心な感じがします。 :自分を大切にしている「ように見える」「だけ」の人は、 恐怖を感じてて、必死で自分を守ってる人なんじゃないかと思います。 「優しさ」を、人に投げつけて投げつけて投げっ放しで自分が満足!というのは、 自分のためにしているマスターベーションで、 しかも相手がニンゲンですから害のない自慰行為とは言い切れません。 たとえばこういうのどう思いますか? 『わたしはあの人が大好きです。 だからあの人に、ハート♪をどんどん投げつけます。 ハート♪をさんざん投げつけられたあの人は、 ひたすら怪我をしないようにそのハート♪をよけますが、 とうとう傷だらけになってしまいました。 でもそんなことはどうでもいいんです。 わたしはあの人にハート♪を投げたいのだから。 それにしても。 こんなにもこんなにもわたしがハート♪を投げてあげてるのに、 なんであの人はわたしにハート♪を投げてくれないのかしら。 もう。やんなっちゃう。 あの人ったら悪い人。ぽい。』 ところでニンゲンは「気持ちいい」とか「不愉快」とか 「損」とか「得」とか 「良い」とか「悪い」とか、 いろいろを基準にして生きているようです。 その基準がどこにあるのか、どこがドンピシャなのか、わたしには分からないのですが、 たぶん「悪い」ことをすると、人が離れていき、 それを続けていると、周りに誰もいなくなって「悲しい」「損」っていうのは 実験してみるとそのうち分かると思うので、 自分を大切にしている人は、自然に人を大切にしてると思います。 ではでは。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 「自分を殺す」のが生きるために必要なことだと覚えてしまったという言葉は、自分に当てはまるような気がします。
- tent-m8
- ベストアンサー率19% (724/3663)
例外はあるかもしれませんが・・・ 自分を大切にする人は、愛情を受けて育った人が多いと思います。 心が満たされていれば、他人のことを考える余裕が生まれます。 その逆を言っているのだと思います。 「自分が大切な人」と、「自分だけが大切な人」は、ちがいます。 後者は、自己中心的な、わがままな人です。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 私が「自分だけが大切な人」を、「自分が大切な人」と勘違いしているのかもしれません。
- dorce0000
- ベストアンサー率29% (872/2971)
質問者さんのご満足いくようにお答えできるとは限りませんが。 それは言葉のあやに引っかかって、混乱しているのではありませんか? 「大切にする」といってもいろんな意味があるでしょう。 精神的に高度な目線で見るなら 短期的に損をしても、長期で成長できたらよし それを自分を大切にするという考えもできますし いっときたりとも、一円たりとも損はしたくない 他人に譲るなんて絶対ありえない こういうことを自分を大切にする と思う人もいます。 ですから文脈で、同じ表現でも、その場その場に適したイメージを持たないと 素晴らしい格言も、意味を履き違えてしまいます。 私が解釈しているところでは、その文脈においては 自分を大切にしない人は、人に優しくなれない よく「私は両親が離婚したから、結婚生活を成功させる能力がない人間です」 「私は○が悪く、○もないから、存在価値のない人間です」 なんて卑下する人がいますけど 自分のことをそう思っているということは 裏を返せば、他人のことも (あの人は両親が離婚してるから、きっと・・・) (あの人は○が悪い、○もない) こういうパターンで見ているわけです。 自分のいいところを見つけ、悪い状況でも励ませる能力のある人間なら 他人を誉めたり、いいところを見つけているのも本物といえましょうが 自分にはできるけど、他人にはできない 他人にはできるけど、自分にはできない これはどちらも、本物ではない可能性が大ということです。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 言葉ひとつでも、それぞれの価値観、捉え方で意味も変わりますね。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 私は自分の重要感を補償しようと、他人に優しくしている人間のようです。 そんなこと止めてしまいたいのですが…日々、情けないです。