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自分が思っていることを言える人、言えない人
心理学に詳しい方に質問です。 自分の気持ちや考え、言うべきことなどを何のためらいも無く言える人と、なかなか自分が思っていることを上手く言えない人というのは、心理学的にどのような違いがあるのでしょうか? また、なかなか思っていることを言えない人というのは、その時、無意識のうちにどんなことを考えていると考えられますか?
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- hamakkotarou
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相手の気持ちを上手く操作しようとしようとする人は思ったことを 言うことに躊躇をするでしょう。 なぜなら、相手の気持ちを上手く操作することはなかなか困難だからです。 相手の気持ち操作しようとせずにどんな気持ちになることを認めること のできる人は躊躇せずに自分の意見を発言できるはずです。 他人の気持ちは自分の責任ではなくその人の考え方や物事の捉え方から 引き起こされることを知っている人ならばどんなことでも言えるでしょう。 でも、だからといって不躾な発言をすることを進めている訳ではありません。 気を使うことはとても大切なことだと思います。
- nisekant
- ベストアンサー率11% (13/112)
参考までに 幼児期に、意志の主張(発話行為)がどのような結果(快、不快)をもたらすかも関連すると思います。 例えば、マウスの実験みたいなものを考え。ある部屋では、ボタンを押す(行為)と「餌(快」が与えらる、この部屋を仮に「餌の部屋」とします。別の部屋でボタンを押すと「電気ショック(不快」が与えられます、この部屋を仮に「電気の部屋」とします。 ボタンを押す行為は、餌の部屋では促進されますが、電気の部屋では抑制されます。 言い換えると、 発話行為による意志の主張は、快の結果が生まれる環境では行為は促進されますが、不快の結果が生まれる環境では行為は抑制されます。 あくまでも参考までに
>つまり、会話するときに、その状況に於いて自分は相手よりも劣った存在であると考え、それを悪いことだと考えているということでしょうか? そういう意味ではなく 自分の状況において都合の悪い感じになるのを怖がっているということです。 なので雰囲気を読んで自分を制御(コントロール)しようとするわけです。
これは雰囲気を読んだ上で優劣を気にしているか気にしていないかの問題だと思う。 雰囲気を読んだ上で自分の立場をつい気にしてしまうんだろうと思う。 なのでそのなかで劣になることがマイナスであって自分の思っていることが言えないということだと思う。 これは逆に言うと雰囲気的に優劣の不安を逆に発生させてやれば、逆に誘導できるということを意味すると思う。 不安などの負の感情操作によって人を操ることはそう難しいことではないということかな これが逆に言えるということはその優劣の不安等が発生しない人であるということになると思う この不安が発生しなければ危機ではないわけだから抑制命令が発するということがないが故に正々堂々と語ることが出来るということだと思う
- hanabipanpan
- ベストアンサー率32% (28/85)
こんにちは。 ご両親以外の方とはなかなか思ったことを話せないということでしょうか。 だとすれば、どうしてご両親以外の人にそれが難しくなるか・・ということを考えてみるとかはどうでしょうか。 ご両親には、きっと自分を出せていると思いますので、愛されている、受け入れられているという安心感があると思うんです。 それ以外の人たちになかなか抱けない理由が何かあるのではないのでしょうか。でも、なかなか「これ」という理由は見つからないものだと思います。見つけたとしても、それだから、こうすればいい、というものでもないと思うし。 ご両親には「ああ、自分ってこんななんだなあ」って実感する、というのもいいと思うんです。
お礼
確かに、自分の中には、両親に受け入れられているという安心感はあります。 しかし、自分は音楽が好きなんですが、自分が好きなロックバンドの映像などをYoutubeなどで見ている時に親がやってくると、親がそれをダサいと笑うんじゃないか、僕が何かよからぬ映像(アダルト系など)を見ていないか気にしているんじゃないか、と勝手に思ってしまい、すぐにパソコンを閉じたりしてしまいます。 また、洗面所で自分が髪をワックスでセットしているのを両親に見られると、それを笑われるんじゃないかと思い、いつも両親から隠れて髪をセットしています。 でも、確かに両親と話すときには安心感はあるんです。 相手が両親以外の人達に対しても、似たようなことは山ほどあります。 電車内でちょうど誰かと目が合うと、馬鹿にされてるんじゃないか、と思うなど。 ただ、こういうことは、相手が気が強そうな人やキツイ感じの人、それも10~20代の男性の時だけです。(ちなみに自分は20才です。) また、10代前半の女の子2人以上の集団のそばを通る時は、自分のことをキモイといって笑ってるんじゃないかと、ビクビクしています。 他に、小さい子供を連れた人のそばを自分が通る時、その親が、自分がその子供に危害を加えそうなので自分に対して警戒しているんじゃないかと勝手に思ったりしてしまい、その親の目を気にしてしまいます。 また、お年寄りのそばを通る時は、そのお年寄りが、自分が何か危害を加えようとしていないか警戒していないかと勝手に思ってしまい、そのお年寄りの目を気にしてしまいます。 まあ確かに原因がわかったところでどうしようもないんですけど、でももしかしたらそれが解決の手がかりになるかもしれないという淡い期待もあります。 長くなって申し訳ないです。 こんなこと書いてもどうにもならないと分かってるんですが。 キーボードを打ち始めたら、言いたいことがあふれてきたので。。。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
無意識というか意識というかね。 やっぱり自分の気持ちの発露をストレートに出す前に色々考えるんだよ。こういったら相手がどう思うかな?とか自分を良く見せないと、とかね。そういう部分がストレートに自分を出す前にブレーキを掛けて、結局無難な所、自分が本当に思っているものとは時には別の部分の言葉や感情を選んだりね。 ストレートに言えちゃえば、それが良いとも一概には言えないんだよ。 考えて言葉を発する事が出来なければ人間関係は成り立たないからね。 でも、時にはそういう余計な気遣いを少しオフにして、自分の思う所をそのまま伝える機会もまた自分自身を相手に知って貰う為には大切な事なんだよね☆
お礼
まあ確かに、何も考えず言いたい放題というのは問題かもしれませんが。。。 でも、両親以外の誰に対しても、上手く話せないというのはかなりきついです。
- バグース(@bagus3)
- ベストアンサー率29% (1973/6719)
人は赤ん坊の時期は親(特に母親)に全面的に依存しています。 母が暑さ寒さから守ってくれ食べ物を与え、排泄物を処理してくれ ます。母に見放されたら生きていけません。 母が神であり世界なんです。 母親に充分愛されなかった子は、世界が自分を愛してくれていない。 世界が自分を必要としていないと感じてしまいます。 そんな子は、自分の思いをためらいなく表現できず、 成長してからも、社会に適応するのが難しい人間になります。
お礼
ありがとうございます。 今自分は、両親以外の人なら誰に対しても、思っていることを上手く表現できず、いつも「いい人」であり続け、しまいにはバカにされたりすることに悩んでいます。 しかし、両親には十分に愛されてきていると思います。 自分が小さい頃のビデオテープやアルバムなどが大量にあります。
お礼
つまり、会話するときに、その状況に於いて自分は相手よりも劣った存在であると考え、それを悪いことだと考えているということでしょうか? そして、解決のためには、その「劣っている」という感覚を相手に感じさせればよいということでしょうか? まあ確かに、自分は周囲の人たちに比べて性格的に劣っているという気持ちはあります。 また、周囲に比べて精神的に未熟だという思いもあります。