二度も回答を書き込んですみません。よく伝わっていなかったようです。
慎重に呼んでいただけると理解してもらえると思うのですが、私は別段、神武天皇がいたとも、聖徳太子は存在したとか書いていないはずです。
私が言いたいのは、存在したか否かということよりも、それを信じていたという日本人のこれまでの信仰と、史実を分けて考えるのはおかしいのではないかということです。
厩戸王が実在した、ということは実証主義の功績です。そして、彼の功績が聖徳太子と呼ばれるに値するものだったかどうか、ということはわからない。あるいは、疑義が残る。
従って、聖徳太子と教科書に記述すよりは、厩戸王と記述すべきだという意見は一理ある。と書いたはずです。
しかし、後世がそれを「捏造」したかどうかも、まだはっきりと結論が出ているわけではありません。懐疑論はあくまでも疑わしい点があり、実証できないために、厩戸王にせよという意見です。
では、実証できないからと言って、聖徳太子と呼ぶのをやめて、厩戸王と呼ぶことが妥当なのかどうか。という議論が起こるはずです。
しかし、この議論にまだ決着が付いていない状態であるにもかからず、教科書には厩戸王(聖徳太子)と書かれるということは、実証主義に偏っていはしないか?と言いたいわけです。
えくぼがあばただったとわかったら、あばたと遠慮なく言う。しかし、人はえくぼだと信じてそれを愛してきた。それを無視するような態度で歴史を語り、教科書にまで書いていいのか?と言っているに過ぎません。
皇国史観が産廃かどうかは、これも議論が必要でしょう。百害あって一利もないものなどあるのでしょうか。あったとしても、稀有な例でしょう。
一利でもあるなら、しかし、一利しかないのであれば議論に於いて否定されるという意味においても必要な思想です。
議論もなくして結論することは、個人的意見の粋を一歩も出ません。思考は常に慎重でなくてはならないはずです。そういう意味で、聖徳太子懐疑論に疑義を呈しているのです。
まだ議論は止揚されるまで尽くされていません。
お礼
皇国史観は日本で310万人を殺し、アジアの罪のない人を数千万人殺した、虚妄の歴史観です。民俗学や伝承学を楽しむことと、歴史学における実証を重んじることを混ぜると、元の与太話に戻ります。 また悲劇を招かぬよう、歴史に学びましょう。