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江戸時代の大多数(農村の農民)の食事は昭和と比べて

http://okwave.jp/qa/q1227092.html http://okwave.jp/qa/q1995879.html http://okwave.jp/qa/q1495330.html 過去質問を見ると明治から昭和初期でも米と塩みたいな食生活が主流っぽいですが、となると江戸時代はもっと貧しくて当然のように思いますが、江戸時代はいわれるほど貧しくなかったという書き込みも見ます。江戸時代の人口の大部分はどんな食生活が普通だったのでしょうか?米と塩でしょうか?

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回答No.1

庶民が何を食っていたのかは、ほとんど分かっていないと思います。 「何を食った」という記録がないからです。 庄屋のなかには、日記をつけていた人もいて、役人の接待に出した料理や特別な日の料理については書きのこしていますが、家族の普段の食事については書いてなかった、と思います。 そこで、何かの史料を参考に推測するしかないでしょう。 津軽藩の史料に、藩が農民に対して出した食事の制限令があります。 弘前大学国史研究「法令より見たる津軽藩の農民の生活」 http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3108/1/HirodaiKokushi_95_21.pdf この論文の9/31ページ「食の規制」で、詳しく説明されています。 「一般的には、米作地帯の農民でも純粋の米(玄米)の飯を食べることは、まずなかったといってよい。武士ですら大多数は、米七・麦三の割合であったという。田畑半々ぐらいの所では粟・麦などの雑穀が主食で、米を中心にした飯は正月とかその他の祝い日に限られていた」 次に、備前藩の例ですが、行商人が泊まる程度の宿に出した「旅籠御定」を見てみます。 駒大経営研究「近世初期庶民旅宿史料」 http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00093905/ISS0000044224_ja.html 料金により一汁一菜または一汁二菜です。 一汁とは、大根葉入りの汁、一菜とはいわしの煮込み、または鱠の焼物です。 宿で提供する食事から、庶民の普段の食事を推定できると思います。

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