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ドイツの3B政策のビザンチウムって
ドイツの3B政策はすでにこのサイトで ・根拠なしとか ・教えてるのは日本だけとか ・あやしい とか 回答があります。 ずばり、当時、ビザンチウムって呼ばれていたのですか。 ベルリン、バグダットはいいとして、ビザンチウムって1000年前のローマ帝国時代の都市名。 ってことは無理やりこじつけですか。 東京を江戸とか、日本を倭というようなもんですか。 でも、江戸はいまでも観光目的で呼ばれているし、倭は朝鮮が日本の蔑称で使ってるのでまだいいとして、ビザンチウムは当時でも使われていた地名ですか。
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呼ばれていない。当時はオスマン帝国領のイスタンブル。それ以前は東ローマ帝国のコンスタンティノープル。後世の歴史家が語呂合わせのために無理やり引っ張り出してきた古代都市の名称に過ぎません。
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- TANUHACHI
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単なる語呂合わせにしかすぎません。しかしながら「日本を倭というようなもんですか」という部分には問題もあります。 「倭」が史上初めて文献上に“文字”として登場するのは例の『魏志倭人伝』です。朝鮮半島ではありません。しかしながらこの当時に「倭」以外の「“わ”に相当する文字」もしくは「“わ”と発音される文字」があったかどうかはわかりません。もしなかったとすれば、何らかの意図を以てこの文字が使われた可能性もあります(文字それ自体としては余り良い意味では使われません。偏と旁で構成される漢字の性質を考えると旁の部分は委であり、萎・矮などとマイナスイメージがあります)当時の中国はいってみれば文化の最先端を行く場所の一つで、それに比べれば日本列島と底にあった文明などは遅れてきた存在とも観られても致し方ないところでしょう、何せ「文字」を持たない国(国と言えるかどうかも疑問符の付く余地がある)。 一方「相当する文字がなかった」と考えた場合には、物理的制約があったとの認識でこれはどうしようもありません。 「江戸」に関しては少し調べてみますが、「江」と「戸」の文字(この場合、意味を優先します)がそれぞれ「水辺」と「入り口」が文字の由来とされています。このことから「江戸」は水江のある入り口となり、地理的な条件を示しているとも考えられます。そしてこれに「穢」の文字をあて「穢土」となった場合、京都(京都に象徴される法制度や建築や美術工芸などの文化を含む「トータルとしての文化」そして京都には天皇がいるとの公家の発想)からみて野卑な、一段劣る存在との認識が背景にあったことも推測できます。そして都が京都から江戸に移り「新たな都」として人工的に造られたのが「“東”京」つまり京都から観て東の方にある一つの都市との意味になります。尤もこれにも「東下り(都落ち)」などとしてあまり良いイメージのなかったことが背景になかったともいえませんが。 本筋から外れてしまってごめんなさい。それでは失礼します。
お礼
質問以外のこともいろいろくわしくおしえていただきありがとうございます。
お礼
ありがとうございます。学生のころからの疑問が解けました