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芸術じゃないですけど、自分の人生に生成がない

現在の自分の状態は自己否定という状態にあり、今までの既成概念が破壊されていて後の創造がない状態です。 生成や創造、これはイメージなどとも絡むと思います。抽象的な質問ですが、どうすればいいですか。 あと私は、ニーチェの「悲劇の誕生」でいうディオニュソス的でアポロ的な感覚に乏しいのです。 どう心理的バランスをとればいいですか。

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  • ROKABAURA
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回答No.1

哲学的には価値観の破壊から新しきものは生まれるが そもそも求めや訴えがないとそれは形を成さない。 飢えよ 求めよ そして 与えよ 求められよ と言いたいですが なかなか現状で「はいすぐに」とはいかないでしょうね。 意欲や秩序に魅力を感じていないのならば 仏陀が歩んだ道のりを学ぶと良いと思います。 よく無我の境地といいますが 現世のしがらみや常識に疲れたり 無常の世界に意欲を失ったりした時は もう一度見つめ直す機会が必要です。 答えがあるのではなく本質が見えるだけですが それでも自分の本当の心が浮かび上がるかもしれません。

その他の回答 (7)

回答No.8

別に生成や創造が無くてもよいのでは? 「人生でなにか芸術を産み出さなくては」という観念が わりかしロマン主義的な問題設定に感じます。 老子や禅では「無」を称賛しますので、 そちらの方向の本を読まれると良いと思います。

noname#194996
noname#194996
回答No.7

>どう心理的バランスをとればいいですか。 あなた自身ががけっぷちにいて、バランスが取れなければ奈落の底へ落ちて大けがをしかねないとかいう緊急事態でなければ、いい機会じゃないですか、思いっきりディオニュソス的悦楽をその無重力状態で楽しめばいいのでは? ちょっと落ち着いたら、旅にでも出れば?いい刺激を受けて何らかの新しい発見があると思います。それをコアにして創造を始めるのが定石でしょう。

noname#194289
noname#194289
回答No.6

本質的に自由な状態なのではないでしょうか。逆説ですが完全に自由になると不安が生じてくると思います。

回答No.5

 こんにちは。  たとえばもし内臓に腫瘍でも出来たら その部分を否定し切り取ることもあります。ですが  ★ 自己否定  ☆ は あくまで 部分的なものでそれもこれもみな 全体を活かすためのことです。  ★ 今までの既成概念が破壊されていて後の創造がない状態です。  ☆ 既成観念をこわしただけでも 大したものです。  まだ《創造》がないならば 待ちます。それだけのことです。  ★ ニーチェ  ☆ は畢竟するに いい思想ではありません。ふたつの対立する事柄をならべてどちらがどう こちらがこうなどと言っているのは 幼稚園の段階です。  既成概念の中にも よいものがあったかも知れないとすれば あらためて考え直しましょう。  ★ 心理的バランス  ☆ など問題ではありません。  ★ 心理的  ☆ というのは 大海である心の表面に起こる波風であるに過ぎません。  アポロンもよしディオニュソスもよし あれもこれもで―― 一段高い次元においては・つまり心理ではなく心の観点からは――行きましょう。

回答No.4

>どう心理的バランスをとればいいですか。  まるごと楽しめばいいだけです。  別に楽しくはないでしょうから、楽しむっていうのは、言葉がおかしいかもしれませんが、  味わうというか観察して感じ入るということなんですけどね。

回答No.3

たいていの人間は自分の人生を消耗しながら、次の世代を生成するものです。 連綿とした世代交代が続く中で時々、偶然にも、時々、自ら生成することのできる個体が発生します。 自分が、その稀な個体であるかどうかわかりませんが、次の世代を作っておくことが(個体としてではなく)全体として重要です。

回答No.2

たとえば足の裏の細胞は、何もせず、エネルギー供給も少なく、 ひたすら荷重を受けてつぶされるだけの存在ですが、だからと いって体の全ての細胞が心臓のように活動的で、脳細胞の ように複雑では、あっという間に死んでしまいます。 「脳は全身に指令しているから偉い」などとは誰も考えません。 足の裏の細胞もなければ、脳は生きられないのですから、 全細胞で1つの生命という価値を生んでいるのです。 深く考える細胞もあれば、ただ耐える細胞もある。 他人との比較や、社会的な相場ではなく、自分にできる 限りの社会的な貢献を考えれば、あとは自分らしくあれば いいのです。

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