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到着(ゴール)こそが、出発(スタート)の始まりなり。…………。

そう…………。 破壊こそが、創造の始まりなり。 弱さこそが、強さの種なり。 失敗こそが成功と成長の為の肥やしなり。 絶望こそが希望と悟りへの扉なり。 捨てる神こそが拾う神への案内役なり。 別れこそが出遭いの始まりなり。 心こそが、生者総ての纏め役なり。 質問文の言葉は全て、前後を入れ替えても意味が通りますね。 それは兎も角、全てにおいて 「始まり」は好意的に、「終わり」は否定的に受け止められる傾向があります。 「原因があるから結果がある」「始めがあるから終わりが来る」=「滅ぶのは避けられない」=無常・・・と言う様に。 私たち人間は 「誕生」が始まりで「死」が終わりと思いがちです。 肉体や生命(意思や行動)に関しては、確かにそうですが、 そんな厳しい事実さえ、時に自分を励まし、奮い立たせるキッカケにしてしまうのですから、 「心の営み」と言うものは奥底が知れません^^

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

到着(ゴール)こそが、出発(スタート)の始まりなり。…………。 こういうのを仏教では「縁起正法」といいますね。この縁起に正法が付くのは時系列的な永遠の真理(法)だからですね。 「無常」も同じような意味ですが、何故か暗い限定的な意味で取るのが一般的ですね。無常というのは字の通り同じままではいられないという意味だけなのですね。 この縁起正法では始まりも終わりもないのですね。ただある期間を見れば始まりも終わりもあるように見えるというだけで、全てが・・・因・縁・果(果が因となり)・縁・果の無限連鎖ということですね。 この「縁起正法」が仏教の真理ですから、生まれ,老いて、死ぬ。もまた「縁起正法」から逃れられないので、実は、生まれる前もあり、死後もあるとなるのですね。これを別の言葉で「転生輪廻・輪廻転生」などといっているのですね。 ここにある真理は「永遠」というキーワードですね。永遠であれば、始まりがあれば終わりがある、終わりがあれば新たな始まりがある・・・というのが肯定されますからね。「永遠」からは「不死」が容易に連想されますが「不死」は誤解される場合が多いので「永遠」のほうがいいですね。 「永遠」に目覚めた人は強いですね。何があっても日はまた昇ることを信じられますからね。

0907stc
質問者

お礼

有難う御座いました。

その他の回答 (2)

  • SOLAR_RAY
  • ベストアンサー率21% (12/56)
回答No.3

うむ。

回答No.1

 0907stcさん、よくたくさん掲げましたね。  仰せのとおりですね。    聖書からはまだ出ていないようですので、一つお願いします。    ヒンドゥ三神には、創造・維持・破壊がありましたね。  確かブラフマ、ヴィシュウ、そしてシヴァでしたか。  この三位は一体なのだそうですね。私もそのとおりだと存じます。    掲げておられることには全て経験し、その通りだと存じます。  面白い真理ですね。

0907stc
質問者

お礼

成程。 神話、民俗学、小説は好きです。 でも御存知なのは破壊のシヴァ神だけでした。

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