>何千体とありますが、仏の役割、管理は明解なんでしょうか?(構成力の強さを現しているのでしょうか)
胎蔵界曼荼羅を見ると、答えは分かります。
中心に向かうほど、えらい!
強い!!
賢い!!!
そして、すべての生き物(衆生)、諸神、諸菩薩、諸仏、は(胎蔵界の)本尊・大日如来に還元されてしまう。
もっとも、胎蔵界曼荼羅は、いくつかの敷居で分かたれていて、いくつかのテリトリーに分かれているんだけれど、その構造は同じで、
そのテリトリー、部屋の中心にいる人が一番えらい。
分かたれた部屋は、中心に向かうほど、世界の究極の真理・大日如来に近い。
つまり、胎蔵界曼荼羅は、この宇宙(物質世界)の構造を解き明かそうとしているわけ。
宇宙の力・機能みたいなもの(物理学の力じゃないよ)を諸神、諸菩薩、諸仏のかたちであらわしてるのよ。
だから、多くの仏、菩薩、神様が必要ってわけ。
言っとくけど、仏さまは、どの菩薩さまよりえらいからね。
まぁ、いろんな考え方があるんだけどさ。
たとえば、
衆生のたくさんの願いをかなえるために、
大日如来がさまざまな形、ときには神さま、菩薩、仏さまになってあらわれる。
だから、その願いの数だけ、神さま、菩薩、仏さまが必要になるとかさ。
でも、これらは後付けの説明。
ぶっちゃけた話、皆さんも指摘しているとおり、
密教は、インド在来の種々雑多の神さまを、その中にとりいれたためなんだけどさ。
でも、それ組織・統合したというわけよ。
>密教の目的とは?悟りの道ではなく神通力なのではないかと思うのです
現世利益をとくという密教といえども、仏教!!
目的は一つ、《仏》になること、《成仏》、《即身成仏》!!
神通力のような力は、その修行によってたまたま得られたもの。
言って見れば、おまけみたいなもの。
そして、その得られた《超能力》は自分のためだけじゃなくて、他人の幸せにも役立てる必要がある。
最初の目的が不純でも、修行の過程で、衆生済度(他人を助けること)の《利他》のこころがわいてくる。
だから、神通力みたいな《超能力》の取得が《最終目標》ってわけじゃない。
よって、答えは”No”です。
>生まれながらに智恵が備わっているとはどういうことなんでしょうか?
これは二つの見方に分かれる。
ひとつは、
迷いの世界から見る見方で、
迷いの世界にいるありとあらゆる生き物(衆生)には仏の智慧はない。
あるのは、迷いの心・諸識(しょしき)だけ。
この迷いの心を修行によって、仏さまの智慧に変えよう
という考え。
もうひとつは、悟りの世界から見る見方で、
生まれながらに、仏の智慧はすべての衆生に備わっている。
煩悩で汚れているから、仏の智慧はあらわれてこない。
だから、修行によって、汚れである煩悩を取り払えば、
仏さまの智慧が輝き出す
という考え。
似たようなことを言っているんだけれど、
迷いの立場から見るか、それとも、悟った立場から見るか、
その立ち位置によって見解がわかれます。
で、
仏さまの智慧は、
密教以外の大乗は四つ(《四智》という)。
密教では五つ(《五智》=《四智》+《法界体性智》)
です。
補足
密教行者だけが分かる世界なんですかね? >空海は過去世からの修行の積み重ねで高い地位に帰ることができたということで、誰もが帰れる地位ではありません。 前世も来世もあると確信している人、自分が何者であると明快な人は、霊性が高い方なんでしょうね。ズレないブレないしつこい こういう過去に修業を積み重ねてきた高い霊性の人は、早い段階で何度も何度も生まれ変わり、天才で聡明として現れるそうですから、不思議ではないのかもしれません。(これが生まれながらに智恵が備わっているというのでしょうか‥) いくどとなく、想像絶するような経験、体験をしながらも、気づき、恐れなく、目的を見失しなわず。大人顔負けの赤ちゃん、子供のような豊かな感性をもち、脱皮し続ける。 卵のようにツルぴかツルン