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高橋源一郎氏の変化について
高橋源一郎氏は、今朝日新聞で批評を書いていますが、以前と文章やその中身が大きく変わっているような気がしますが、私の勘違いでしょうか?今の彼は、正統派の左派的知識人てな感じです。前はもっとひねくれていて、岩波文化や朝日の論調とは違ったことを書いていたようの思うのですが。高橋氏のことをよく知っている方教えてください。
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こんばんは、夜分遅くに失礼します。過日はご質問を承けながら返答が遅くなってしまったことを先ずはお詫び申し上げます。 高橋源一郎氏が変節漢であるかどうか、やはり僕は元々の彼が不器用なだけだったのではなかろうかと解釈しています。 高橋氏は難解な言葉を使っていません。この辺りが大江健三郎や安部公房とは根本的に違う点でもあると感じています。個人的には大江健三郎や安部公房や丸谷才一も好きです。そして彼らと高橋氏にも共通する眼差しはあるとも思う。大江も安部も丸谷も「体制が持つ疑わしさ」を突いているけれど、それは一捻りした形でもあると思う。一方高橋の場合はヤンチャ坊主が背伸びせず、等身大の言葉で作業しているだけの違いだとも思う。 これはあくまでも個人的な感じ方であり、文芸評論家のような大それたことなど僕にはいえませんが、似たような人物が他の分野にもいて、坂本龍一氏のスタイルが近いのではとも思います。坂本龍一氏はそれまで社会に対し余り発言などしない方として有名でしたが、それでも確実に彼を変えたのは一人の人物にであったことも作用しているとも思います。今でも個人的に尊敬する人物ですが、筑紫哲也さんとの出会いが坂本龍一から言葉を引き出す切っ掛けを作ったとも思います。個人のメールすらものぞき見されかねない「盗聴法」への疑問にはじまりカンボジアの地雷撤去運動、ニューヨークの悲劇とその後に見られる「イラク戦争の大義」とやらの疑わしさ、こうした社会の動向に敏感に反応し始めた人と高橋氏の間にはさほどの違いも見られないと思う。不器用な若者が少しだけテクニックを身に着けて、それを武器としてアクションを大きくし始めただけではなかろうかと彼を養護してしまいます。 ギュンター・グラスの問題と切っても切り離せない作家がいるなら恐らくは『神の代理人』で知られるホーホフートでしょう。或いはペーター・ヴァイスかもしれません。ナンセンスな仮定かもしれませんが、もしグラスがドイツでなくアメリカ人だったならあのような告白をしただろうか、との疑問もわいてきます。彼が「ドイツに生を受けドイツに育ちドイツの過去を知っていた」から『ブリキの太鼓』を書くことも可能だったそして尚且つかれが「キリスト教の文化にそだった」ことが更に拍車を掛ける結果となったと僕は勝手に理解しています。 キリスト教徒だったからピウス12世の不法を見逃すことができなかった。あの作品で問われたものは「キリスト教徒であることの罪」との理解を僕は持っています。「信仰組織」を守ることが法皇としての大義であるなら、ではその「大義の中身」が先ず問われるべきではないのか、との問題提起がホーホフートにはあったと思う。そうした影響をグラスも承けていたと考えるのが自然ではないでしょうか。 ワルトハイムが国連の事務総長を辞任したこともグラスの告白も僕には解ります。異を唱えたり彼らを非難することも決してありません。過去にはどうだったからといってそれと「現在の仕事」は別問題であり、同一の土俵で評価することは無理があると考えるのは不自然でしょうか。 日本では清水幾太郎のような変節漢もいることは確かです。更に福岡政行のような「仏造って魂入れず」でも笑顔で礼賛するようなオカシナ考え方や行動をして平然としていることもあることは確かですが、少なくとも高橋源一郎氏は彼らとは違うと思う。スタンスとしては立松和平のような無頼を気取ってもシャイな少年がそのまま大人になっただけだとおもう。以上、ご質問からの応えになっていますでしょうか、甚だあやしいものがありますが。
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- TANUHACHI
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そうとは言い切れないでしょうね。確かに高橋氏が文壇にデビューした当時は不良少年の様な目線からの作品がありましたが、それは「既成のものや権力におもねらない」世の中の若者ならば誰しもが多かれ少なかれ抱いている側面をストレートに表現したと僕は理解しています。 その不良少年が大人(世間的にいう“狡く立ち回るヤツ”“ひねこびたヤツ”の代名詞)を嫌う純粋無垢な側面を残しそれが社会への批評や批判という形で深化したと考えれば、現在の表現スタイルを理解出来ます。 質問者様は「批判的である」ことを余り好ましいとはお考えにならないようですが、これは日本特有または日本の旧社会のみに通用する価値観ではないでしょうか?。アメリカに限らずヨーロッパでも「ではあなたはどう考えているの?」と常に社会に対する責任を負っていることを尋ねられます。日本にはこの「意見すること」自体が何やらタブー視されてきましたが、ようやくボツボツと普通の感性を持った芽が芽生え始めてもいるようで、僕は今の若者もまんざら捨てたものではないなと感じています。「黙って従う羊の群れ」から「OS(従来のシステムのあり方)そのものを書き換える」などと彼らは独自の表現をしています。恐らくは頑迷な方々には解りにくいことでしょう。けれど現実は待ったなしに従来のシステムの頭を飛び越えて先へ先へと進んで行きます。過去に設計されたシステムの処理速度やアイデアでは対応できないことが解っていてもそれに対応することをなぜか拒み続ける方々にとってみれば、批判的であることは到底理解できないあるいは許すことのできないカテゴリーとなるはずです。 自らの意見を言わず、ただ多数派の流れに身を委ねることは容易い行為です。常に安全な立場に身を置く処世術の典型ともいえます。けれどそれがひとたび風向きが変わった時、今度は雪崩を打ったように一斉に宗旨替えをするようでは「本音がどこにあるのか」判断しづらくなることも当然でしょう。 櫻井良子や田原総一朗などはこの意味で尻軽の典型でもあり手乗り文鳥にも等しい存在でしかありません。岩波文化や朝日・毎日が小さな事実の積み重ねから検証するスタイルを崩さないことに対し、産経のそれは最初にスタンスを示しそれを検証するための証拠固めの形で事実を拾い集めていく。そしてスタンスが誤っていてもそれを絶対に認めないとの頑固ジジイの屁理屈に似ています。こんなことは逆にオカシイと思いませんか?
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。私は、体制を批判したり、弱者の側にたって発言するのは知識がある者の義務だと思っています。それは老若を問わずです。私は、岩波文化人と揶揄される故加藤周一や大江健三郎が好きです。一貫性があるからです。 高橋氏の場合、若いときの発言には、左派的知識人に対する、からかいじみたものが多かったと記憶しています。理想主義的な発言を笑うというやつです。そう私は記憶していました。しかし、それは最初からそうではなかったのでしょうか。それを確かめたかったのです。 高橋氏の発言に変化はなかったのかあったのか。それを知りたいのです。もし、そうであるなら高橋氏はその変化の理由をどこかで書いているはずです。もしあればそれが読みたいのです。 私は、転向を否定しません。ただ、高橋氏が、昔のことをほおかむりして、偉そうに書いているのでは、信用できないと思っているのです。また変わる可能性があるからです。 付け加えて、ドイツのギュンター・グラスがナチに隊員であったことを認めたことを私は擁護します。もちろんジャン・ジャック・ルソーの「告白」についてもしかりです。
- Postizos
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以前はもっとひねくれていたのですが今は違うのでしょう。
- spring135
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デビュー作『さようなら、ギャングたち』、伊藤整文学賞を受賞した『日本文学盛衰史』を読んで興味を持っていました。テレビで競馬解説をしていると聞いて、顔を見たいと思いながら、チャンスがなく、そのままにしていました。 『さようなら、ギャングたち』、『日本文学盛衰史』は早い話が若さゆえの悪ふざけ、年取ってからも固執できる代物ではないと思っていました。 そうですか、変節しましたか。彼と誰かが小林多喜二の蟹工船について語ったことから蟹工船がブームになっているとはなんかで聞きました。漫画にもなっていましたね。この辺が変節のきっかけだったのでしょうか。 生き残るための必然的な変節であったとはいえ、やはりだらしないですね。何でもいいから固執して世間から見放され、野垂れ死にするような人間が好きです。結局そのような人間でなければ信用できません。変節漢はまた言うことが変わるんだろうと思うからです。
お礼
回答ありがとうございます。彼は自分を売るために既成の権威に、斜に構えた不良のようにしていたのでしょうか。私のは以前の高橋氏も魅力を感じていませんでしたが、今の彼はさらにいかがわしい感じがしています。
お礼
丁寧な回答ありがとうございました。お礼が遅くなりお詫びします。高橋氏が昔とかなり変わったということは確かなことですね。それを成長と取るか変節と取るか人によって異なることなのでしょうか。