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色心不二観とは?
- 主観の心相と客観の色相とは本質的に一体であり、色心不二であるという考え方です。
- 「色心不二」とは、「色即是空」と同じ意味を表す言葉です。
- 「色心不二」とは、心と色が一体であることを表す言葉です。
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「色心不二」は 現象とは、物質的なものと精神的なものとによって構成されている、という概念です。 この場合、物質的要素と精神的要素による構成、という単純な概念の確定には危険性があります。 客観的な見方においては二極的な要素を認めつつも、この言葉のもつ真意は 「一元的な実在」の顕れにおいて、二極的な要素が存在する、というものです。 物質的要素と精神的要素とは、「一元的な実在」の顕れであり不可分なものである、というものです。 「一元的な実在」の顕れ・・・という前提において「色心不二」である というように解釈された方がよいと思います。 「色即是空」は 現象全体と一元的な実在の同一性を説いた体験的表現です。 色心不二においては、前提であった「一元的な実在」が、ここでは前提ではなく直接説かれています。 ゆえに、色心不二とは内容が違っています。 色心不二においては、物質的要素と精神的要素を分かつことはできない、というものですが 色即是空においては、現象全体と一元的な実在を分かつことはできない、というものです。 「空」とは「一元的な実在」 心経の「不二」とは「異ならず」で、「即」とは「完全に同時に等しい」 「不二」の深まりの至ったものが、「即」です。 深般若において「即」である体験的証明がなされた、ということが心経の要諦だと思われます。
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>>「主観の心相と客観の色相とは實は本質一體である。但し衆生が相待 >>の見地よりして内観を主観と云ひ外観を客観と見る。見よ自己が頭よ >>り脚下に至る迄外部より見れば全体物質のみである。然るに同一の自 >>己を内観すれば全體精神である。故に物色と心象とは本来一體の両面 >>より色と心とに相待的に観てをる故に、實は色心不二である。」 この考え方は間違っています。 色心不二とはそういう意味ではありません。 ここに書かれているのは、自分の肉体と自分の心が一体であると書かれていますが、本来そういう意味ではなく、自分の外界の一切が自分の心から出ており、心と外界が不二一体であるという意味です。 つまり外界とは家族・家・友達・会社・同僚と自分がふれあう一切の外界を言います。 これは少し考えにくいことですが、夢を考えるとよく分かります。 夢はどんな人だろうと場所だろうと心から出たものです。 心によってできていない夢はないからです。 >>色即是空という有名な言葉が在りますが、ここで取り上げた文章にあ >>る色心不二とは、この色即是空と同じことなのでしょうか。 同じです。 色即是空とは、この世の物質は空であるという意味です。 空とは幻(夢)であり、それは自分の心によって造られた物質であると言うことです。心にないものがこの世に出てくることはないのです。
お礼
まったく私も、この世のものは総て“空”である、夢の様なものである、と考えていた時期が在りました。 今は一つ上の回答に納得させられてしまった私は、少し考えが変わってきています。 すべて夢・幻だとしてしまうと現実に在る物事が説明できなくなってしまうからです。 回答ありがとうございました。(2012/5/25 11:15)
- MOG777
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誤 もって深く理解したいという欲求 正 もっと深く理解したいという欲求 諌めたいという気持ちが強すぎて文章を間違えていたら、真剣な雰囲気が壊れ諌めるという目的も頓挫します。これがいい例です。反面教師にしてください。
- MOG777
- ベストアンサー率14% (20/139)
著者を師と仰ぐならば、真髄を理解するまで述べられている内容から脱線することは避けた方がいいでしょう。 想像してみてください。例えば、先生が話しているのに他から概念をもってきて「似てますが同じですか?」と問うことは失礼でもあります。 また、それが正しいか間違っているかが問題ではなく、話の内容を理解するという目の前のことともって深く理解したいという欲求の順序が逆さまなのが問題です。 今回の質問は、本を完全に理解し卒業した者が発するようなものです。
お礼
ご忠告ありがとうございます。 これまで何度かこのような“質問”という形で、或るお坊さんの文章を紹介してきましたが、その都度後ろめたい気持ち、ためらいの気持ち、などを感じてました。 針の穴ほどの窓、と云えるような“文章”を提示して、その文章の真意を伝えようとしても、伝わるはずもなく、でも私には自分の言葉で“この思い”を述べることなど不可能。 そのジレンマゆえの行動だったのです。 ただ、こうした質問へ真剣に、本気で回答してくださった方々に“中途半端”で終わらせるのはかえって失礼になってしまうようにも思いました。 そこで、今回に限って再度完結編として“質問”をしておこうと思いました。 どうぞご理解ください。 重ねて、ご忠告ありがとうございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 色心不二も色即是空も ともに全体観に立って捉えます。 色心不二は おそらく《生命》がその全体であろうし 色即是空は そのあとの空即是色とを合わせて全体として《中観》に立つのだろうと見ます。 中観とは 次のように段階を経て世界を捉えるものと思います。 1. 空諦:色即是空 2. 仮諦:空即是色 3. 中諦:それらの全体を見る 仮諦(けたい)の特徴は モノゴト(色受想行識)が空であると見たとしても その空と見たモノゴトがいま・ここに現象していることは 事実だと捉えることではないでしょうか。 けれども だからと言って 最初の空諦なる見方が消えたわけではない。無自性=無我だということは 基本であるようです。そのように全体観に立つのが 中諦だと思います。 わざわざこんなことを言い出しているのは何故かと言えば おそらくブディズムは 認識論ではない。つまり認識論には終わるものではないからだと考えます。 どういうことか? 全体とか全体観と言いましたが 問題はもっと切羽詰まっていて ほかでもなく《いま・ここなる〈わたし〉》を問題にしていることにあると見ます。 たとえば要するに涅槃について捉えようとするに ブッダの後世の人びとは考えた。 ○ 無住処涅槃 といった考えです。これは おのれが涅槃に到るかどうかという見方に立つよりも おのれたちがどうなるかという見地を持つゆえだと思われます。 言いかえると ○ 自未得度先度他 というすでに実践の立ち場に《わたし》があるということだと思われます。それが いくらモノゴトは空だと言っても いまコトはここに現象しているではないかという仮諦の見方をどうしても欠かすことが出来ないということではないでしょうか。 空観ないし中観は 色だけではなく 受想行識つまり《心》についても捉えています。つまり ○ 受即是空(想即是空・・・・) そして 空即是受(空即是想・・・) というふうに五蘊のそれぞれについて 空諦と仮諦とを捉えています。というわけですから そのような全体観に立って ○ 色心不二 を言おうとしていると思われます。心=受想行識 なのですから。 でもたぶん 空観は 《わたし》の思惟および行動の全体であり しかもそれは動態において見ていると思われます。 色心不二は ややもすればそのような空観の動態から離れている感じがある。だとしたら それは おそらく総合の観点としては《生命》といったコトを言おうとしているのかと思われます。 コトは 空であり 空とは それ自身で存在する自性を持った確かなモノはないと見ているわけですが それにもかかわらず なにがしか移ろいゆかざるもの としての生命のようなものを想定しているのかも分かりません。 生命において 色と心とは不二であり一体であると言いたいということでしょうか。 昔の言葉では 霊とか魂とかになるのでしょうか。 この生命が 自然科学の明らかにするモノゴトにそのままおさまるものなのかどうなのか それは どうなのでしょう?
お礼
この回答を何度か読み返してみましたが、なんとなくの感じしかつかめないのは、無知ゆえに“用語”の意味を明確に理解していないからと思います。 だからその“なんとなくの感想”では、やはりブラジュロンヌさんが言う“全体観”の事かと受け止めています。 今回はブラジュロンヌさんの論理の仕組みを解き明かせそうな回答になっているような。 聖書も仏書も十二分に読みこなしている様で、ほんとに頭が下がります。 回答ありがとうございました。(2012/5/25 10:40)
- mmky
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色即是空という有名な言葉が在りますが、ここで取り上げた文章にある色心不二とは、この色即是空と同じことなのでしょうか。 ○同じと捉えて間違いではありません。ただし、色即是空のほうがもっと上位概念ですね。 「色心不二」とは肉体と心は不二にして一体という意味ですが、内面の心から見ると肉体は心(霊)の影である。という見方ですね。これはわかりやすくいえば主に空間的な現れ方を表現していますね。例えば4次元意識が3次元に投影されているのが肉体物質という意味です。4次元の心(空)と3次元の肉体(色)は不二一体ということになりますね。 「色即是空、空即是色」も同じような意味を有してはいますが、違いは時間概念を含んでいる点ですね。 心の影が肉体である、だから心即肉体というのは間違いではありませんが説明に多少の無理がありますね。 この無理は時間を導入することで解消されます。心(霊)は次元間で変転するという捉えかたですね。例えば、4次元意識が3次元に存在するためには変転(相の変位)という形を取る必要があります。その変転が時間概念ですね。「色即是空、空即是色」の場合の「即」には「変転」の意味があるのですね。 変転の結果が「色心不二」になるという捉え方ですね。それゆえ、色即是空のほうが上位概念ということです。そこで、時間概念を含む「色即是空」が「変転:転生輪廻」の意味になるわけですね。
お礼
“色即是空”に含まれている時間概念が“色心不二”には無い。 それゆえに“色即是空”の方が上位概念である、との主張かと思います。 “色即是空”について“勉強”した事は無く、断片的に入ってくる“耳学問”レベルなので「即」に「変転」の意味があるとは、mmkyさんの独自の解釈なんだろうかと思いました。 回答ありがとうございました。(2012/5/25 10:05)
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
唯物性の極致たる物理学の果てに、不確定性原理= 「不完全な認識に応じて有限な存在性は派生する」を 経て、観念論=「人間原理(宇宙は認識性が成立する ように成っている)」に至っており、唯物論(色)と観念論 (心)は合一のものとなっている。 それは不確定性原理において、その存在性の確定化 により無限不確定化=無に還元される、色即是空を ベースとしている。
お礼
psytexさんには追いつけそうもないなぁ。 でも意欲だけならまだ少し残っているので・・・・・ 回答ありがとうございました。(2012/5/25/ 9:50)
- ys_captain
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偉い人が来るまで絵空事を。 少しイメージが違いますね。 色即是空って有るけど無いっていう 素粒子レベルのお話ですよね。 (観測して初めて有る事が分かる 観測していない、出来ない物は無い、 極論ですが) 色心不二というのは 肉体も精神も同じ物だっていうことですね。 素粒子レベルで言ったら 同じなんでしょう。 しかし昔の坊さんは なんでそんな事知っているんでしょうか…。
お礼
今でも“素粒子レベルの話”が何なのか解かりませんが、“色即是空”についても分かっておらず、それを知りたいために、なんとなくわかったような“色心不二”を関連させて「質問」して見たのです。 でも、たくさん回答を頂いてみればどうやら違っているような・・・・・ ありがとうございました。(2012/5/25 9:35)
補足
色即是空=素粒子レベルの話、については正確に“どう捉えているか”を知りたいと思いました。 「観測してしていない、できない物」を精神と受け止めてよいのか、物質的に、なのかを。 色心不二、については肉体も精神も同じ物、ではなく別々だが二つに分けられない、と云うことだと受け止めているのですが。 ありふれた表現を使えば“表裏一体”といった感じです。物とその影みたいな。 回答ありがとうございました。(2012/5/20 0:50)
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お礼
「色心不二」と「色即是空」の違いについての説明に、なるほどと思いました。 新たな興味は「即」に時間的概念・変転なるものが含まれているのだろうか、と云う事です。 時間的概念・変転=同一性、なんだろうか? 回答ありがとうございました。(2012/5/25 11:00)
補足
我が腑に落とすためにはも少し時間が必要なようです。 後半のお二方の意見交換の“第一ラウンド”は終了したらしく、切の良いところなので締め切ることとしました。 皆様、ありがとうございました。