• 締切済み

同害復讐について

高校3年生の学生です。 現在、世界史で同害復讐について学んでいます。 私の意見は、身分により刑罰の重さがことなる点では、 現在の法と比較すると残酷のように思えます。 同害復讐とは当時の身分社会を反映していることが わかりました。 自分の意見では、悪い点しか浮かばなくて 授業中ずっと良い点考えていていました。 クラスメイト達にも意見を求めましたが、 所詮、授業の内容だったので深く考えなかったらしいです…。 皆さんは、同害復讐を原則を特徴とする法律はどう思いますか? 良い点と悪い点をご回答お願いします。 ほかの人の意見も聞いてみたかったので 質問させていただきました。

みんなの回答

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.3

古代、私刑が未だに主流だった社会では、しばしば行き過ぎた報復が問題となっていました。 父が隣の奥さん殴った→隣の奥さんの夫が父を殺した これは、明らかに行き過ぎた復讐となります。 もちろん、父を殺された母や親族は、隣の人にさらに復讐を試みるかもしれません。 そうなると、負の連鎖が続いて限りなく続いてしまいます。 そこで、「国」や「社会」が合意をして「同害復讐=受けた被害と同じだけ復讐ができる」ようにして歯止めをかけたわけです。 先の例で言えば、 「父が隣の奥さんを殴った」ら、「隣の夫が母を殴る」という同じ危害を加えるところまでしか許されず、それ以上の行き過ぎ(父が殺される)ことは許されなくなったわけです。 現代刑罰に慣れている我々からすれば「目には目を歯には歯を」というのは残酷に聞こえますが、古代社会としてはかなり進んだ考え方だったわけです。 復讐に制限を儲けることで、社会不安が拡大することを防いだわけですから。 その後、人文学や啓蒙主義など主に西洋で発達した思想・哲学によって今の「現代法」は成り立っています。 その大きな特徴である「法の元では人は平等」であるという大原則があり、身分制社会が当たり前であった近代以前に比べると大きな隔たりがあるようにも思われます。 20世紀の大哲学者ミシェル・フーコーは、(為政者が威勢を示すために)受刑者の身体を過酷かつ華々しく傷つける身体的刑罰から、受刑者の振舞いを厳格に規律化・再教育する精神的刑罰への移行という点に注目して語っています。 以下は、個人的意見ですが参考までに。 私は、現代刑罰というのは、復讐や罰という面よりも保護と教育という面が強いように思っています。 反社会的行為を行った者(以下、受刑者)を保護隔離し、社会でさらなる反社会的行為を出来ないよう監視するとともに、教育を行うことで社会で自立した一人の人間となれるようにすること。 そこには、被害者に対する「復讐」という面は副次的産物でしかない。 故に、被害者側からすると受けた被害に対して刑罰が軽いように見えてしまう。 とはいえ、「保護隔離=基本的人権の自由権が制約される」という受刑者にとっては「損害」ともとれる面もあるので、抑止効果が生まれ社会が安定するというのは、身体的刑罰と変わりは無いと思います。 一方、同害復讐を原則とする法体系では、字のごとく「復讐」に重きが置かれた刑罰と思われます。 被害者の復讐心は満たされる反面、受刑者の社会的復帰が制限されてしまうような気がします。 まぁ、身体的な刑罰に限ってですけど。(財産等の毀損に対する損害賠償などは罰の軽重はともかくどちらも大差ないと思います。) ではでは、参考になれば幸いです。

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.2

和歌で言う返事になっていない事です。 完全にな読み違えた。 身分が違うと答えた。 恋愛感情など無いと答えた。 取りあえず、レベルを同じにして答えるべきでしょう。 しかしこの世には身分があります。侍が百姓に罵られたのと、同じ町民に罵られたのとでは怒りも違うのは分かりますが、 無礼打ちは問題があり江戸時代末期には侍も命懸けだったようです。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

どう思うかとかでなく、同害報復のシステムとしての評価 分かりやすい。 この一点です。 分かりやすいということは、維持コストが少くて済むということになります。 Aの場合はこうで Bの場合はこうで、C,D,E,F・・・・と条件付をしなくてもいい

関連するQ&A