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殺人事件で被害者の遺族感情の重要性について
- 殺人事件における被害者の遺族感情は重要な要素となります。
- 遺族の正当な報復感情を無視すると、社会の秩序が乱れる可能性があります。
- 死刑制度は公平性に欠けるとの意見もありますが、法の目的は正義の実現です。
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Kseniaさん、こんにちは。 死刑制度については賛否ありますが、それについて考えることは重要だと思います。 そもそも、正義とはなんでしょうね。いや、これはKseniaさんの言葉尻をとらえているわけではなく、定義付けの話です。思うに、正義とは人の数だけ存在し、自分の正義が常に正しいとは限りません。また、その時代や習慣によって簡単に変わってしまうものです。 極端な例を出せば、戦国時代などでは仇討ちが普通にありました。自分の親が殺されたとき自分があるいは自分が非力ならば用心棒を雇ってその相手を殺すのです。しかし返り討ちに遭う危険性もありましたが、仇討ちで殺された相手の子が親の仇として今度は自分を殺しに来る・・・というような負の連鎖がどんどん広がっていくだけでした。当時はわずかな食料のために人を殺して奪うという背景もありましたが。 このように正義や価値観というのは曖昧なものなのです。一般的な常識も時代によって変わっていきます。昭和の頃と今でも随分生活も変わっていますしね。インターネットの普及なども平成になってからですし。なので、先ほどのような悲劇を繰り返さないために。また、近代化を遂げる日本の成長に相応しいように欧米から法を学び近代法が成立しました。なので、日本の法は欧米文化を下敷きにしているところはあります。 それはさておき、刑罰の意義についてですが、刑罰はあくまで更正のための懲罰であって、見せしめや報復を代行するために存在しているわけではありません。これは、司法が人は誰しも生まれたときから悪ではないという性善説に立っているからで、犯罪を犯すということは道を踏み外したことであり、刑罰を与えることで罪の所在を明らかにし、その人に二度と同じ過ちを起こさせないようにしているのです。これが法の理念です。 刑務所も別に犯罪者を閉じ込め、苦痛を与えるために設置しているわけではないのです。一時的に世間と切り離し規則正しい生活を送ることで、自らの過ちを見つめ直し更正の機会を与えるというのがその存在意義です。余談ですが、刑務所は外界と一切の接触を絶っているわけではなく、徐々に社会復帰できるように受刑者たちに奉仕活動をさせたり職業訓練なども行っています。 このような観点から考えれば、死刑というのは更正の機会を永遠に失わせるというとても奇異な存在なのが分かることでしょう。いわゆる人権派の法律家達が死刑制度に反対するのもここからきています。間接的に裁判官あるいは死刑執行人が犯罪者を殺す(=殺人)ことになるので、その辺りの問題もありますが、それはまた別の話なので控えます。また、日本は欧米と比べて低いとはいえ冤罪はそれなりにあり、死刑になってから真犯人あるいは真相が明らかになる可能性もあります(逆に死刑になることで真相が明らかにならない場合も・・・)。興味があれば「死刑求刑に対する一審無罪判決の一覧」で検索してみるとwikipediaが引っかかります。 ここからは私の考え方ですが・・・。一般的な感情からすれば凶悪犯には刑務所から一生出てきて欲しくないし、遺族の感情からすれば愛する肉親を殺された恨みも理解できます(本当の意味での理解はできないかもしれませんが・・・)。 でも、例えばその犯罪者を殺したからといって遺族は救われるのでしょうか。被害者は生き返って来るのでしょうか。そんなことで遺族の悲しみが癒えるとは思いませんし、死刑という制度を使って間接的に人を殺したというなんともいえない気持ちになるだけだと思います。おそらく、胸がすっとするのは直接関係の無い我々一般人だけではないでしょうか。これは悪いことをすれば相当の報いを受けるはず(べき)だと我々が考えているからです。遵法精神はそういうことろから来ているのでそれは仕方のないことなのですが・・・。新聞やテレビ・インターネットなどのメディアが発達したおかげで、各地の重大事件が身近に感じられるようになった弊害かもしれませんね。 たまに法学を学ぶ者の間で、死刑執行ボタンは遺族に押させたらいいのではないかという議論も出ますが、どんなに殺したいと思う相手でも 遺族にそのボタンを押させるのってかなり酷じゃないかなとも思います。受刑者とはいえ人が目の前で死ぬ様子を直視するわけですから・・・。しかも自分の手によって。 というか、現実的には犯罪者に死という楽な逃げ道を与えるよりも、社会復帰して生きていかせる方がずっと過酷なのですけどね。ほとんどの受刑者たちは出所しても世間の目や風当たりが強く、前科ができてしまので就職もろくにできないために窃盗などの軽犯罪を犯して再び刑務所に戻ってしまうらしいです。ましてや殺人者ならなおさら厳しい状況からのスタートになるでしょうね。本人が更正したとしても社会的に受け入れてもらえないのは悲しいことですけれど。 法の理念としては、どんな凶悪犯でも更正のチャンスがあるのならばそれに期待したいというのが根底にあります。いわゆる「罪を憎んで人を憎まず」ですね。例えば自分の罪を反省し、出所して多くの人を救うことができたら、とても素晴らしいことだと思います。可能性はゼロではありません。もちろん再び犯罪を犯す可能性もありますが、それは周囲が監視していけばいいのです。・・・まぁ理想論なんですけどね。残念ながらそこまでの制度や環境ができていないので。 最後に。Kseniaさんが正しいとか間違っているとかはないです。これは冒頭でも述べた通り価値観や考え方は人それぞれだからです。ただ、Kseniaさんが不公平だと感じていることはものすごく重要なことで、それが法や体制を変える大きなエネルギーになっていきます。日本の刑法は1907年にできたものですから、かなり古くなってるのは確かです。少し前(1995年)まで刑法200条の尊属殺人罪(親を殺すと通常の殺人罪よりも重くなる)なんかが普通に載ってましたから。現行の刑法で多様化するネット犯罪にどこまで対応できるのかも疑問です。なので、刑法にかかわらず是非おかしな制度やシステムを変えていって欲しいです。こういう議論を色んな人とするだけでも少しずつ変えていけると思いますよ。 参考になれば幸いです。長文失礼しました。
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- asisai888
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>そして、これは感情論ですが、大切にしなければならない感情と いうものがあります。 >遺族の、正当な報復感情を無視したら、司法ひいては >国家に対する信頼が失われ、それこそ順法精神が無くなり 社会の秩序が乱れてしまうと思うんです。 ↑現在の日本を見て秩序が乱れていると思いますか? 全くないわけではありませんが、外国と比べて治安は良い方ですよ。 >その為、刑法てのは応報原理が基本になっているのではないでしょうか? ↑犯罪を犯せば刑法に照らして罰を与える。 まさしく応報の原理に依るものですが、あなたが言ってるのは私刑が禁止されてるから 行政機関が罰を与えてもそれは罰ではないとする立場なのですよね? だとすれば現在の日本の刑法はあなたが言う制限した意味での応報原理ではありません。 >一方では、罪の無いひとが残酷に殺されているのに 他方では、 >それをやった犯罪者が天寿を全うすることを 国家が税金で保証してしまう、 >というのは 著しく不公平です。 >法の目的は正義だと思います。正義というのは公平、ということです。 >死刑は、非常に公平な制度ではないでしょうか。 ↑公平というのはハンムラビ法典のような目には目をという公平さの ことを言っているのですよね? だとすれば、たしかに殺人を犯しながら犯罪者が殺されないのは不公平です。 そしてその殺人犯を死刑に処する場合に限っていえば死刑制度は公平な制度です。 >そこで質問ですが、ぼくの考え方は間違っているでしょうか? ↑現在の法律で採られてる考え方とは異なっていますが、だからといって あなたの考えが間違っているとはいえません。 絶対的な法の真理がわからないため、誰も正しいとか間違ってるとかはそもそも 言えないからです。
- Ssddfree
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>遺族の、正当な報復感情を無視したら よく言われますが、ここを強調すると、森達也なる馬鹿者がじゃあ遺族がいない(被害者に身寄りがない)場合は、刑は軽微でいいのかどと問題を摩り替えて、殺人だから死刑はよろしくないなどと阿呆なことを言う事になります。本当にあの馬鹿の論理には困ったものです。 遺族感情などどうでもいいのです。二の次です。 一番大事なのは遺族よりも誰よりも「被害者」ではないですか。 殺人では物言わぬ被害者になりますが、喜んで殺されたものなどいないので、物言わぬ被害者に成り代わり報復すると言う考え方でいいと思います。 >刑法てのは応報原理が基本になっているのではないでしょうか? その通り。ただ被害者遺族ではなく被害者にとっての応報原理でなくては駄目でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。