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情報AとB
情報Aは発信源が特定されている根拠のある確実な情報です。 情報Bは発信源が特定されていない根拠に乏しい不確実な情報です。 AとBの情報が一致した、或いは相似性があった場合には Bの情報はAに準じた情報として扱われます。 しかし、AとBの情報が一致する点がない、或いは正反対であった場合には Aのみが取り上げられ、Bは消去されてしまう可能性があります。 いわゆる消去法による情報選択です。 そこで 消去枠におけるBの情報量が膨大な量となった場合を仮定すると 数少ないAはBに対して、どれ程の優位性を保ち得るのでしょうか? 検証お願いします。 必要があれば情報Cなるものを加えても構いません。
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歴史的に見て軍部というものはこの実験に興味を抱いてきたようで、 日本軍もデマゴーグの検証をしたことがありましたね。 情報は量ばかりでなく質も問われます。 情報Aは検証を要求される質の情報であり、情報Bは検証を求められない情報です。 情報Aは、確実性を尊ぶ環境において有用な情報であり、 情報Bは、共有や共感を重んじる環境において有用な情報です。 こうした確実性や、共有・共感は、 それらが何らかの環境において生産的に機能するからこそ、有用さを発揮するのですね。 情報の優位性、情報の価値、レゾンデートルとは、作用環境における有用性が高いことでありましょう。 すると、情報Aの脆さとは、検証に耐えられない事態、 つまり誤りがあること、精緻を欠くことなのですが、 情報Bはもちろん、もとより、検証に耐えるつもりもなく 誤りも織り込み済みで精緻であろうはずもなかったもので、 その脆さというなら、共有度が浅い、共感性が薄い、あるいは共有や共感の維持が期待できない、 という事態にほかならないでしょう。 こうしたことから、 有用な作用環境を得やすい情報Bの利点をもってしても、なお情報Aが優位性を保つと言いうるには、 確実性を尊ぶ、狭く小さな環境で引継がれることによって、それが長い時間の風雪に耐える、 という答えを導かねばならぬであろうと思います。
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- el156
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情報Aにいくつかの根拠の上にあったとして、その根拠には、更に根拠が必要です。さらにその根拠にも根拠があるはずです。情報Aはこういったいくつかの根拠の上に成り立っているのだと思います。だから、情報Aを構成する根拠群のうちのどれか一つにでも誤りがあれば情報Aの根拠は簡単に崩れてしまうのではないかと思います。Bの方は、一つ一つの根拠は殆ど無いに等しかったとしても、それが膨大に集まってくれば根拠になると思います。一つ一つの情報の重要度は低いのでAに比べると打たれ強い情報だと思います。Aのピラミッド構造の根拠が崩れることと、Bの統計的な根拠が崩れることと、どちらがありそうなのか、という比較になると思いますので、Bの数が膨大になってくればAを疑う必要が生じると思います。
お礼
>Bの数が膨大になってくればAを疑う必要が生じると思います。 そうですね。 Aがあっさりと崩れてしまった例もありますね。 ゴッドハンドと呼ばれた考古学者の歴史的発見が、実は捏造であった、というようなことです。 Aの信憑性がBによって問われる場合も、案外多いかもしれませんね。 企業の内部告発なども似たような感じがします。 BがAを崩せるかどうか・・・ その結果のみが優位性を表しているのかどうか それとも、Bが常にAを脅かしているという事態そのものが、Bの隠れた優位性を表しているのかどうか ちょっと考えてみます。 ありがとうございました。
- wwsunrise
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hetanosukeさん 情報Aを真理とします。 情報Aは、その他周辺の膨大な 情報Bに対して、絶対的な 優位性を保つでしょう。
お礼
ありがとうございます。 当然と思える検証結果の一つが出たようです。 しかし、この結果にはある問題がつきまとってしまうと思います。 それは、Aが真理であるか否かという根本的なことです。 たとえば、冤罪事件における旧式DNA鑑定結果が誤っていた、というようなことです。 犯罪捜査における決定的証拠として取り上げられた情報が、実は真実ではなかった・・・ということです。 真実を立証するものがなければ、Aを真理と認めるわけにはいかなくなると思います。 Aが真実であると仮定して・・・ではAは真実にはならない。 仮定ではない確かなものの上に立ってこそ、この検証結果は成り立つのだと思います。 少し上げ足をとるような言い方になってしまい、すいませんが 真実の証明とは多くの客観的情報の裏付けが必要なのだと思います。 それは簡単なようで中々困難かもしれませんね。 でもそれができれば >情報Bに対して、絶対的な優位性を保つでしょう。 でしょうね。
- littlekiss
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時間と記憶… うん、いま一番気になるというか…なんでなんだろうと?関心のある事柄。一緒に同じ時間を過ごしたことのある相手と当時のことを思い返しながら話をするんだけど…Aが語った話をBがAに語って聞かせるとAはA自身がBに語ったことを覚えていないと。しかしながら、Bが言うAが語ったという話しはA自身しか知り得ることのない話であるから、Bが言うように当時AがBに語って聞かせたのである。時間の経過とともに抜け落ちたAの記憶。Aは言う「そんな話してたのかー、全く覚えてないよー」Aの言葉を受けBは、「あー、切ないなあー。覚えてないの?」Bは思う本当に一緒に同じ時間を過ごしたことのある相手であったのだろうか?いま目の前にいる相手は確かにAなのだけれど… 思いを共有できないことに一抹の淋しさを感じたBであった。。。 ロマンチック大好き! 夢見る夢子ちゃん~♪ 夢を見ていたいのに… 容赦なくこうして 現実に引き戻される…
お礼
>夢見る夢子ちゃん~♪ 時間と記憶(情報)と感情の一致、不一致ですか。 情報が失われてしまうのには、消去と消失とがあるようです。 消去は意識的な選択の結果ですが、消失は意識を伴わない選択の結果かもしれません。 意識を伴わない選択とは、時間に貼りつけられた不確実な情報を不必要なものとしか認識していない場合に起こるのでしょう。 その結果は記憶の表面には現れてこない場合も多いのだと思います。 でも、完全に失われてしまったわけではないと思います(希望あり・・・) 直接の情報再現ができなくとも、その時間に伴った別な情報の再現が可能であればできるかもしれません。 記憶は失われても、情報は残る・・・そんな感じがします。
- ukiyotonbo
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受け手の集合Zの個々のZnが情報Aと情報Bをどのように感じ取り、 最終的に集合Zに如何なる空気が醸成されるかによって決まります。 Znは、客観的な事実に基づく情報Aよりも、自分がそうであってほしい情報Bを真実とする傾向がありますから、 集合Zにおいて、もはや、AはBに対して優位を保てなくなります。 Bの数やAの信憑性の問題ではなくて、個々のZnが何が真実であってほしいかの問題かと思います。 プロパガンダ、洗脳する側は、個々のZnの性質からして、集合Zにどのような情報を与えると何が真実になるのかを事前によく計算してます。
お礼
ありがとうございます。 心理面からのアプローチですね。 仰っていることは情報操作に結びつくものです。 一つ事例をあげてみましょう。 真実とそうでない情報を同時に流せば混乱してしまうといったものです。 よく知られた古い話ですが 1947年にアメリカのロズウェルというところでUFO墜落があったと言われています。 新聞に発表した翌日には、UFOではなく気球だったと改めて発表したので まったく分からなくなってしまい、今日に至っています。 噂が噂を呼び、おびただしい怪しげな情報が流れてきました。 この場合、何かが墜落した事は確かだが、一般人から見れば UFOや宇宙人など来てはいない、と思う人は気球説を信じ UFOや宇宙人の存在を信じている人はUFO墜落説を信じている、といった具合です。 情報AとBが拮抗している状態の中で、人それぞれの心理によってその優位性が変わってしまいます。 こうした大衆心理を分かつ方法は、真実を覆い隠してしまうようです。 >洗脳する側は・・・ 面白いパズルを与えよう、ということなのでしょう。 ちょっと嫌ですね。 でもそうした事は沢山あるのかもしれません。 政治や国同士の外交の世界にあるように思います。 気をつけて見ていくことにしましょう。 情報Aの信憑性の揺らぎと、揺らぎをもたらす方法の一つとしてお受けしておきます。
- hekiyu
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マスコミやネットが作り出すバーチャルな 情報を元に、社会が構築されてしまう。 これは最近、社会学者の間でも研究されて いるテーマです。 例えばナチスのユダヤ人虐殺です。 殆どの人は信じていますが、疑問も呈されて います。 お陰で、アウシュビッツで400万というのが 今では、100万ぐらいにまで減っています。 真実が優位性を保てるためには、ポパーの 指摘する通り、開かれた社会を維持していく しか方法はないのではないか、と思っています。
お礼
ありがとうございます。 >真実が優位性を保てるためには・・・ そうなのです。 真実はどこまでも真実である、ということです。 真実の情報は少なく、真実でない情報は多い 多いというよりは氾濫しています。 その原因は人の心にあると思っています。 真実よりもフィクションに惹かれる心です。 だから嘘八百が多い。 まだ乱れているうちはいいが、詐欺という犯罪にまで発展してしまう。 これも世相でしょうか。 >開かれた社会を維持していく・・・ そろそろ真実が真実であるための情報Cの登場を期待しましょう。
- Y Y(@yy8yy8az)
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大きな波のうねりは小さな波を飲み込んでしまうのではないでしょうか。 歴史上こうした事例はあるかも、なんて思いましたが無知なので具体例を挙げる事が出来なくて、残念。 そう思っているうちにそれでは根拠のあるAの情報より、根拠のないBの情報量が膨大になる条件とは、なんて考えてみたら“常識”なんて言葉が浮かびました。 たぶんAは“非”常識的でBは“常識的”だから。 あるいはうわさ、デマ。 潜在意識として受け入れたくなる(※期待感【良し悪しは別】)ような情報であるとかも、量の膨大につながりそう。 結果的にプラスに展開していけば良いけれど、そうでないと怖いですね。 でも情報Aに“継続”する力があれば時が味方するかもしれません。 継続は力なり。(ちょっと違うかな)
お礼
ありがとうございます。 常識を疑う 疑ってみる 疑わざるを得ない・・・ そうした事は沢山ありますね。 少し喩えてみますが Bはいわゆるフィクションの類ともとれる情報です。 都市伝説とか、根拠のない噂話とかいったものです。 嘘も百回いえば本当になる・・・怖いですね。 何が本当か分からなくなってしまいます。 少し先に行ってから、情報操作というものにも触れてみたいと思います。 まずはお礼まで。
- littlekiss
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【QNo.4602808 数Aの問題で・・・・】 http://okwave.jp/qa/q4602808.html
お礼
ありがとうございます。 対偶と背理法ですか。 照合による証明の理法といったものですね。 情報の照合の場合には、数式のように左から右へと経過してゆく解析の時間性といったものが定まっていない場合も多いような気がします。 右から左へ、上から下へ、下から上へと・・・ 或いは、斜めも・・・といった複合的、重層的な感じです。 時間に伴う消去と決定が記憶されているとすれば Bは決定に伴う否定という形での重要な情報になりえると思います。 時間と情報量と記憶の関係あたりも考えてみたいと思います。
- kurinal
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「「真に民主(主義)的な決定」によれば、間違いは、より少なくなる」 「どんなもの(意見)であっても、慎重に吟味し尽くす」ということは、考えた事があります。
お礼
ありがとうございます。 >どんなもの(意見)であっても、慎重に吟味し尽くす つまり情報の優劣度合にかかわらず取り上げて検討すべき・・・という事なのでしょう。 という事は、BをAと等しく見るべきだというようにも解釈できるのですが そうすると、情報の選択に時間をかけなくてはならなくなります。 時間の余裕がある場合には正しいと思いますが 時間の余裕がない場合には、そうもいかなくなるのではないでしょうか。 ケースバイケースはあると思います。 選択の決定に伴う時間が限られているとすれば それだけAの優位度が増すように思います。
- Tefu_Tefu
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こんばんは。 民主主義における多数決? A=自民党 B=民主党とすると Cは公明党あるいは国民新党、社民党のように影響力はある。
お礼
早速のお答えありがとうございます。 身の周りすべてが情報だらけですから 人それぞれ思い当たることがあると思います。 政党の喩えですか・・・ 人の数や主義主張の情報の有り様といった感じですね。 喩え話にもってゆくと面白いとは思いますが その前に情報そのものの扱いから見てゆきたいと思っています。 またお願いします。
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お礼
ありがとうございます。 >情報Aは、確実性を尊ぶ環境において有用な情報であり、 情報Bは、共有や共感を重んじる環境において有用な情報です。 前文はおっしゃる通りだと思います。 ですが、後文はどうでしょうか。 少し疑問があります。 Bのすべてが、共有や共感を重んじる環境において有用な情報 とは限らないのではないでしょうか。 Bの情報は、それを生じさせている環境、背景といったものの表れのように思えなくもないのですが たとえば、B的な環境、背景に、ある一石(情報)を投じたとします。 すると、そこから生じた数多くの情報Bは多様性に満ちたものになるかもしれません。 相反する情報もあれば、反共有反共感といった、有用ではないものも生じてしまう可能性があると思います。 このような虚実入り乱れた情報の波や渦が出来てしまうのも、B的環境における必然性かもしれません。 また、共有や共感のレベルの程度の問題もあります。 情報Bとは正に社会的背景を写し出しているのかもしれませんね。 >こうした確実性や、共有・共感は、 それらが何らかの環境において生産的に機能するからこそ、有用さを発揮するのですね。 プラス思考で考えればその通りだと思います。 ですが、Aはそうだとしても、Bが生産的な機能に結びつく場合は限られているのではないでしょうか。 いずれにしてもBの分類や整理といったものが必要なのではないかと思います。 >こうしたことから、 有用な作用環境を得やすい情報Bの利点をもってしても、なお情報Aが優位性を保つと言いうるには、 確実性を尊ぶ、狭く小さな環境で引継がれることによって、それが長い時間の風雪に耐える、 という答えを導かねばならぬであろうと思います。 う~ん、一気に感性的視点にもってゆかれたように思えるのですが・・・ いわゆる、真実と真理という言葉のニュアンスの違いのように思えなくもない amさんは、情報Aに真理という言葉を付けるのが適当と判断なされたのでしょうね。 私は情報の扱いにおいては、真実という言葉のほうが具体性が感じられていいと思えるのですが・・・ そのへんの事は後で、情報の扱いによる宗教の解析、といった応用面で論じてもいいように思います。 情報における「環境」・・・参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
補足
環境や背景といったものを重視いくと 情報とはいったい、そもそも何なのか、といった疑問さえ湧いてきます。 環境が情報を生み、環境が情報を求める そらに、情報が環境を生み、情報が環境を求める といった相互関係さえあるように思えてきます。 そのへんは私にとってまだ未知数で興味のあるところです。 情報そのものとは何なのかという事が分からなければ 情報AとBという二極化の視点における優位性の検証とは まだまだ単純すぎることなのかもしれません。 情報とは無条件に受け入れているものが情報だと思っていますが 実はそうではなく、受け入れている環境から見れば、そこにはやはり何らかの条件や制約が働いているのかもしれません。 同じ情報であっても違った受け止め方が生じてしまう、というものになってくるのでしょう。 >有用な作用環境・・・ これだけではなく、非有用な作用環境も同時に存在すると思われます。 情報の肯定と否定の環境がある、ということになるのでしょうか。 消去枠内における情報Bに対する肯定と否定とがあるとすれば そこにはBに対するさらなる消去枠が存在するといったことも考えられます。 情報比較における消去枠だけではなく、情報そのものの中に消去枠が内在しているという可能性です。 情報の自発性とは内在する消去性に打ち勝つ働きかもしれません。 ここまできて・・・ですが 優位度とは何なのでしょう? (比較における)消去されないこと、消去に勝ることなのでしょうか? それとも、根本的に消去しきれない確かさの度合いなのでしょうか? 少しこんがらがってきたような・・・(情けないな・・・) amさんも皆さんも考えてください。 お願いします。