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第二次世界大戦中の日本海軍のとある戦艦について
多分、2ちゃんねるまとめスレッドで読んだんですが、第二次世界大戦中、日本の軍隊は徹底的な情報統制されたため、軍人の自己判断の威力が極めて落ち込んだため、例えば、今自分の載っている軍艦が爆撃を受けつつあるのに、ラジオ(新聞?)で、我が軍は安泰だという趣旨のことが報道されていたので、自分で自分の周りを見て判断しないで、ああ安全なんだと信じて死んでいってしまったという記事がWikipediaにあるそうです。 URLを色々探したのですが、どのWikipediaなのか分かりかねています。 もし、この書き込みを読んだ方で、「ああ、あの話か」という方がいらっしゃったら、もし宜しければ、何かキッカケだけでも教えていただけないでしょうか。 大変勝手なお願いで申し訳ありませんが、もし出来ましたらご教授お願いしたいともいます。 大変恐れ入りますが、宜しくお願いします。
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- mstk2
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戦艦ということですので、あり得るとしたら昭和19年末、レイテ沖海戦で沈んだ武蔵、あるいは同時期のスリガオ沖海戦で沈んだ扶桑・山城あたりの話でしょうか。 とくにスリガオ沖に出向いた扶桑・山城を主とする西村艦隊は、レイテに突入した大和・武蔵など栗田艦隊を援護するための囮部隊としての役割を聞かされていたはずなので、自分たちの艦が雷爆撃を受ければ受けるほど、自分たちは囮部隊としての任務を完遂しており、敵空母部隊の攻撃を一身に集めているので、逆に日本海軍の中枢は安泰だと感じて死んでいった可能性が高いと思います。 この時代、日本軍の中枢といえば連合艦隊であり、とくにレイテに突入した大和~武蔵の栗田艦隊を指しますから、同時期に近隣のスリガオ沖に出向いた扶桑・山城の乗組員の意識としては、そうなるはずです。 またシブヤン海で沈んだ武蔵も、あのときは武蔵が敵艦載機の攻撃を一身に引き受けた形になったので、自艦が沈む代わり大和や長門にレイテ突入という目的を果たさせることができる、という意味で無駄死ではないのだという意識になったことは、何となく想像つきます。
- blackhill
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質問に直接答える知識はありませんが、信じがたい話ですね。 海軍の場合、基本的には艦が沈められたかどうかですから、大本営はもちろん、将兵なら戦況を承知していました。どの艦にも仲間が乗っているので、噂はすぐに伝わります。 しかし、仲間意識が強いだけ、外部への漏えい防止に厳しく、陸軍にさえ知らせなかったことはありえます。 内幕を知っているわけですから、大本営発表やラジオ、新聞の報道をそのまま信じることはなかったでしょう。当時、小学生だった回答者でさえ、本当はこうだよという話はよく聞きました。軍港のそばに住んでいた関係で、子どもたちのニュースは早かったような気がします。
- tanuki4u
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2chに ソースもなく書かれたことを信じてもしょうがないが http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC%E5%96%B6%E7%99%BA%E8%A1%A8 脚注 出展の 11 しかし、陸軍中央は、防諜を理由にそうした情報を作戦を遂行する部隊にすら伝えなかった[11]。 この辺からのつくり話かなぁ 瀬島龍三氏の書籍には「海軍が教えてくれなかった」とか東條英機の http://blogs.yahoo.co.jp/jjtaro_maru/25488097.html というような話はある