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埴輪の起源等、埴輪の質問いくつか
埴輪について教えてください。 1.円筒埴輪と形象埴輪、それぞれの起源となる地域はどこですか? 2.朝鮮でも前方後円墳があったそうですが、埴輪のようなものもありましたか? 3.埴輪は古墳以外の場所でも見つかっていますか?(埴輪製造工場以外) 4.すべての埴輪の足(底部)は土の中に埋められていましたか? 5.全国の埴輪がみな同じような形態なのはどうしてですか? 写実性がなく、地域による個性が少ない。 6.人物埴輪の顔がみな穏やで優しいのはどうしてですか? 人物埴輪は女性が作ったのでしょうか。 よろしくお願いします。
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近くの古墳公園で埴輪を見て以来、不思議な魅力に魅せられてしまいました。 そして、何より驚いたのは大きさと数の多さです。 製作工房で多くの専門の工人の手によるものだと直感しました。 2について。 朝日新聞で読みましたが、埴輪は、わが国特有のものだそうです。 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201201190251.html 埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは、日本列島から移り住んだ人々が作ったと言われている。典型的な「倭(わ)系」遺物だ。 下記論文でも同様です。「古墳の周濠の意義」抄録。 http://ci.nii.ac.jp/naid/120003501393 6について。 数の多さと、大きさ(重さ)から製作工房で男性が作ったものと思います。 橿原日記(個人のHP) http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_08_01.htm たとえば焼成した埴輪の移動の問題だ。出来上がる埴輪は高さ2.4m、基底部の直径90cm、重量350~360kgの土の塊である。 「人物埴輪の顔がみな穏やで優しい」のは、葬送儀礼に関わっているからだと思います。 しかし、泣いたり笑ったりしている埴輪もあるそうです。 上智大学教授 北條勝貴氏のサイト http://d.hatena.ne.jp/hojo_lec/20110530/1307584797 5について。 南関東と畿内とに交流があったと推定されています。 昭和女子大学文化史研究「南関東における埴輪の受容」 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985385 4について。 どうなんでしょうか。私も知りたいです。 埴輪が立った状態で見つかった例があるのでしょうか。 調べた限りでは、土中から掘り出したか、倒れて散乱していたかです。 ただ、古墳頂上部にあったものは、盛り土の流出を防ぐために、下部を埋めてしっかりと立てた、とされていますね。 古墳頂上部ではなく、地上の墳丘脇の「造出し」に置かれた埴輪では、並べるだけだったのか、どうでしょうか。
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- 光栄 陽一(@youichidao)
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卑弥呼以前の歴史は日本に文字が存分してないらしい。 したがって、妄想と空想の世界です。 定説も空想。答えはナッシング。
- moto_koukousei
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webを検索すると良いと思います。 http://www.haniwakan.com/tenji/1-3.html http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/76301/Haniwa.pdf http://www.shiga-bunkazai.jp/download/kiyou/05_inagaki.pdf http://www.e-obs.com/heo/heodata/n572.htm http://www.city.fujiidera.osaka.jp/9,1062,97,143.html http://www.do-natteruno.com/con_c/c141/c141.html ⇒ おもしろいです http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/bbaae561e46946a21e1fe2650fbf213a http://sgkohun.world.coocan.jp/SAITAMA/kounosu/kamaato.html http://www.gunmaibun.org/remain/guide/seimo/hongou.html http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1364 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B4%E8%BC%AA http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%AD%92%E5%9F%B4%E8%BC%AA http://www.city.sakai.lg.jp/city/_bunkazai/_maibun/koni3.html http://www.chs.nihon-u.ac.jp/institute/human/kiyou/81/13.pdf http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=%E5%B7%A5%E4%BA%BA%E3%80%80%E5%9F%B4%E8%BC%AA&source=web&cd=7&sqi=2&ved=0CEsQFjAG&url=http%3A%2F%2Frepo.nara-u.ac.jp%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D2371&ei=WN2ET470GsL1mAXrieG0Bw&usg=AFQjCNFXpZZhoXCJVrAYE_dhLOzaezhhzA&cad=rja 写実性がない? 埴輪を造る目的から、写実性よりは象徴性・シンボルとしての重要性が大きいでしょう。 地域による個性がすくない? 地方差・地域差はあるようです。制作できる工人が限られているので、技術を有する工人集団の移動や技術伝承のこともあり、造形に関する流行もあるから、似て来る面もあるでしょう。土師器や須恵器も似てます。 竪穴式住居でも、古墳の形式、窯の構造、馬具も、形などが似ていると言えば似てます。 人物埴輪の顔がみな穏やで優しい? まんまる目+まんまる口、すこし垂れ目+口の一、&単純な顔 というだけのように思いますが、 微妙な表情は気にせずに造形していると思います。 工人の男女老若はわかりませんが、(調べようもない) 土を堀り、土を調整し、造形し、乾かし、窯を造り、燃料を集め、焼いて、使うところまで運ぶのは、大変で、組織運営を必要とします。 一方、工人の生活や子育てもする必要があります。 仕事を男女で分担した可能性は高いと思います。
お礼
いろいろと教えていただき、ありがとうございます。 埴輪はおもしろいですよね。 積石塚=新羅様式と思っていたので、新発見です。 ネットでいろいろ調べてみました。 黒塚古墳は埴輪の出土がないそうです。 http://inoues.net/ruins/kuroduka.html 古墳と埴輪は不離一体のものではなかった可能性があります。 騎馬人物土器 金鈴塚出土 新羅(5世紀) http://avantdoublier.blogspot.jp/2007/12/blog-post_03.html ここの馬人像は日本の埴輪よりずっと写実的です。 こういったのを作った古代朝鮮人陶工や写実を極めた兵馬俑を作った中国人塑像家が日本に渡来しなかったのか それともそういう人や技術はあったが、倭人がそれを採用しなかったのか。 埴輪の笑顔ですが、 「祝福の意であり、やはり辟邪の機能を持つ」 というのは初耳です。 葬式儀礼ということであれば、古墳の出る地域で同じ葬式をしていたことになります。 木製埴輪というのがあることを知りました。 http://74589594.at.webry.info/201203/article_1.html