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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:なぜ けんかをしては いけないのか?)

なぜけんかをしてはいけないのか?

このQ&Aのポイント
  • けんかによる口論は建設的な対話を行う機会を奪い、暴力に発展する可能性がある。
  • 自己批判の欠如や思考停止の傾向がけんかを引き起こし、問題解決を妨げる。
  • 自己批判を通じて精神性や人間性の向上を図り、建設的な対話を展開することが重要である。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
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回答No.16

個人的には、けんかがいけないとは思わないですね。 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、いのちを賭けて戦った。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、人は知能を磨き 力を養い、鍛え、一面で道徳律を築き上げた。その結果、文明が築かれ 文化が創られた。 これは、口げんかでも、腕力けんかでも、基本は同じでしょ。 でも、一般的にはいけないとされています。 その理由ですが。 口けんかは、己の悪いところを発見確認できる から、それを素直に受け入れ、直すべきは直す。 そういうのは、己の人格向上のためにはよいんじゃないか、 ということですよね。 でも、そんな人はごく少数でしょう。 ほとんどの口げんかは、修正不可能な部分を攻撃し 互いに憎しみ合って終わりです。 そういう口げんかを良いことだ、としたら社会が乱れて どうしようもなくなります。 そういう現実を踏まえて、いけない、ということに したんでしょ。 一部のレベルの高い人に合わせて社会規範を構築しても 役に立たず、弊害ばかりになってしまいます。 それは、社会主義が失敗した理由の一つでも あるでしょう。 つまり、マクロ的に考えていけない、ということに したんだと思われます。

bragelonne
質問者

お礼

 なるほど。と思うと同時に それだとすると こんどは何故その《マクロ的視点》に人びとはしたがったか? が問われると思います。  へきゆさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  社会全体の秩序を考えて むしろやむを得ず ひとつの倫理的な規範としては互いに 《けんかは いけない》という申し送りをした結果 一般的な道徳律のようになったのだと。  ここでじつは へきゆさんに参加してもらっている【Q:自律・自我・さとりは すべて観念のまぼろし。】の問題になると思います。  わたしの歴史的なその伝統についての感触としてはなのですが どうも上から蓋をかぶせるようにして・しかもクウキのごときやわらかいあたたかい繭のごときこの道徳規範をおしつけたという仕掛けがあるのではないか。というものです。  つまりは 人びとは・庶民は しょっちゅうけんかをしています。仲が良いからです。腹にふくむものがないからです。  ★ ~~~  口けんかは、己の悪いところを発見確認できる  から、それを素直に受け入れ、直すべきは直す。  そういうのは、己の人格向上のためにはよいんじゃないか、  ということですよね。  ~~~~~  ☆ という効用を知ってか知らないでか そんなことにもお構いなしにけんかをしています。そして おおかたは そういう結果になっているのではありませんか? 家族をテーマにしたドラマなどは いまでもそういう筋書きになっていませんか?  ★ でも、そんな人はごく少数でしょう。  ☆ と もしした場合にも 話は別の要因があるように思います。  ★ ~~~  ほとんどの口げんかは、修正不可能な部分を攻撃し  互いに憎しみ合って終わりです。  ~~~~~  ☆ おそらくこの種の事例は 《ほとんど全部》なのではなく〔おそらく〕少数なのだけれどもその結果があまりにもひどく悲惨であって 取り返しのつかないことになる場合がある。よって そのことを考慮するなら どうしてもやむを得ないと判断するしかないのだと。こうなったのではないかと考えます。  ところが・ところがです。ところが そういうふうに取り返しのつかない結果をまねいた場合というのは 大きくふたつに分かれるのではないでしょうか?  ひとつは たしかに腹に一物も何もないのに その場の衝動的な感情の爆発によって 悲惨な結果に到ってしまったという場合です。広い意味でヒステリー現象だと言えば分かりやすいでしょうか。  もうひとつは 計算づくのけんかの場合です。あるいは もっと細かくみれば むしろけんかなどはしないという人間 A とふつうの庶民である人間 B とのあいだに 衝突が起きた場合がいい例だと思います。  庶民 B は よほどのことでなければ 手を挙げたりしないと思うのですが よほど《金持ちけんかしない》類型に入る人間 A の言動に腹をすえかねたのでしょうね。その結果 食ってかかり悲惨なけんかにまで発展したという場合。  さらにまだ 細かい話はつづきます。じつは その A と B のけんかには もっとおおきな問題があって むしろ A のほうは 自分からは手を出さないのだけれど けっきょくにおいておこなったことは B をけしかけたというその挑発行為のことです。  わたしの言いたいことは この事例のさらにあとの話です。この《決してけんかをしない主義の人間 A 》こそが その品行方正ぶりとそして取り分けその学力優秀ぶりによって アマアガリして行った結果 いまの国家におけるお二階さんが出来たという妄想としての歴史観です。  アマアガリして行く人が みなわるいと言っているのではありません。よい人も最後には 感化されてアマテラス公民の人間類型になってしまうという問題です。  《けんかは してはいけません》すなわち《和を以って貴しと為す》というクウキなる蓋をかぶせるのは むろんこのお二階さんたちです。  つまり そういう意味でも  ★ つまり、マクロ的に考えていけない、ということにしたんだと思われます。  ☆ でも それにも・つまりそのような仕打ちにも スサノヲ庶民は耐えて来ました。一揆を起こすくらいです。反抗としてのけんかをやらかすのは。  つまり スサノヲ庶民の一階部分では みな平和です。けんかが絶えないほど平和です。腹に含むものなど ありません。富士山の日本晴れです。それが 《和の精神》としてのわが日本人の心です。  《和を以って貴しと為せ》と言われなかったら わたしは《和を乱す》ことを知らなかった。  ★ ~~~~  一部のレベルの高い人に合わせて社会規範を構築しても  役に立たず、弊害ばかりになってしまいます。  それは、社会主義が失敗した理由の一つでも  あるでしょう。  ~~~~~~~  ☆ 当否が相交じっていると思います。  庶民は おとなしい。みな総じて かしこいのです。ぎゃくに  ★ 一部のレベルの高い人  ☆ というのは 明らかに《けんかをしない主義》のアマアガリ・シンドロームに罹った人を言います。つまり そのような《一部のレベルの高い人》に反発して これを排除して自分たち労働者・農民とその代表によって社会を造り直そうとしたとき そのあたらしい《一部のレベルの高い人たち》  ★ に合わせて社会規範を構築し  ☆ たのが  ★ 社会主義が失敗した理由の一つでもあるでしょう。  ☆ ほらごらんなさい。日本の庶民はかしこいでしょう。そんなヘマはやりません。あくまでお二階さんが 心を入れ替えて わかった われわれがわるかった 独走して来てしまったようだ だからここでみなさんの生活社会に大政奉還をおこなおうと言い出すところまで 静かに見守っています。みな平和です。  だから  ○ けんかをしては 何故 いけないのでしょう?  となるはずです。つまり もしこの史観が妥当であるならば へきゆさんまで アマアガリ神話なるクウキに毒されている。こう考えられます。  どうでしょう? からくりは ありませんか? あるいはそのようにカラクリを指摘するわたしの見方が くだらんカラクリでしょうか?

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その他の回答 (34)

  • MOG777
  • ベストアンサー率14% (20/139)
回答No.25

まず、正しいあるべき姿と短期間の実現可能性とは次元が異なるという点に留意すべきではないでしょうか。 bragelonneさんの哲学的議論のあるべき姿は正しいとは思います。 ただ、現実は一歩ずつしか変化しませんから妥協も必要になります。

bragelonne
質問者

お礼

 あぁ えもーぢーさん と言うとお年寄りに聞こえるから もぐさん と言うと何だか ものを食べているように見えるから あぁ どう呼べばよいかのとりぷるせう゛んさん おひさしぶりです。ご回答をありがとうございます。  そうですね。だいたい言おうとしていることは 互いに同じなのでしょうね。  どうでしょうか わたしもひねくれ者である部分をまだ持っているとすれば それを発揮してこう反論してみましょうか。  1. 哲学の原則は それが拠って立つ公理やあるいは人間性の根幹であるところの条理にもとらない限り どこまでもつらぬく。と思います。  2. その意味は 決して  ★ 妥協  ☆ はしないということでしょうね。あるいは《妥協》という言葉は使わないと思います。《ゆづる》と言うと思います。   * 定価を値切るときに 売り方にしても買い方にしても どの値で手を打とうかという場合 それは《ゆづる》と言ってもよいし また《妥協》と言ってもよいのだと思います。原則のもんだいではないからです。得した・損したの問題は 原則にかかわらないと考えますから。  3. ですから 以上によって帰結するところとしては こうです。    ○ けっきょく当座の処理の仕方としても 原則が堂々と掲げられるのだと見るということ。    だと思います。そのとき 相手の境地に応じて どんだけでも《ゆづる》ことをおこなってもよい。こう結論づけられて来ます。  果たして どうでしょう?

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noname#150541
noname#150541
回答No.24

こんにちは。 >口げんかは、良いと思います。手が出るよりは、ましですし、 う~ん。どうでしょうね。 仁科さんのご意見は毎回たのしみにしていますとお断りした上で、 今回の件に関しては、「口げんかのほうが手が出るよりマシ」とは私には必ずしも思えないのです。 殴りあったらヤバいことになるけれど(実害というのかしら)、目に見える形で相手が深傷を負うことがわかりますから、手加減というものを自ら弁えるはずですよね。 だってまさか、ラッセル・クロウのグラディエイターの如く相手に致命傷を負わせるわけにはいかないでしょう? それとも、言葉の武器では相手は致命傷を負わないとお考えでしょうか? そもそも口げんかの場合、相手にどれだけの致命傷を負わせたのか、自分にはなかなか解り得ないとは思いませんか? どこにどうクリティカル・ヒットしたのかもわからないのですし、こちらが優勢になればなるほど、熱くなっているせいか、往々にして何を発したのか後々後悔することだってあり得るわけですから。 (これは言わずもがなの誰かさんのこと♪) しかも、面と向かって口げんかするのとは違って、おそらくbragelonneさんが想定なさっているのはこの掲示板上のやり取りのことでしょう? いったん齟齬が生じたり疑義をただし始めたら一筋縄では折り合いをつけたり合意に至ることが難しいわけで、ひいては何ら建設的で無く時間の無駄に過ぎないおそれがあることくらい先刻承知なさっているはず。 相手の意見にゴマする必要なんてどこにもないと思うけど、ちっとは目に見えない相手がどのような意図の下このQ&Aに参加してきているのか、おおむね賛同して欲しいのか、あるいは純粋に回答を得たいと希求しているのか、はたまた参考意見が得られるよう愉しくやり取りしたいのか等々時折勘案し加味する醍醐味がこのサイトにはあると思われますが。 そしてもちろんbragelonneさんが「結局討論好き」というのは、ご自身で仰らずとも皆さんよ~くご存じの事と思われます。 何でしたっけ、円月殺法でしたっけ。  伊達に斬れるにはそれなりの修行をなさったから人一倍切り捨てることができるのでしょうけれども。 (しかも切り捨てるたびに、「立ち上がれ!だのよみがえれ!だの」と声掛けするのですから、あなたこそは悪鬼かもね♪) で、一つ伺いたいのですけれども、 >これまで長いこと生きていますが なぐり合いのけんかは いちどもしたことがありません。取っ組み合いの寸前にまで行った場合が 二・三度ありました。 どうしてbragelonneさんは取っ組み合いを超えて殴り合いのけんかをなさったことが一度もおありでないの? 取っ組み合いを避けたかった理由がおありだったのでしょう? それともあなたのオーラに怖気づいて相手がサレンダーしたとでもおっしゃるの? そして今、誰かから実際に殴り合いを仕掛けられ、あるいは相手が執拗に追っかけてきたら、どうなさいますか。 それも、相手が「自己批判をふくめて 批判をすることです。存在を愛し 〔まちがっていると思うところの〕思想や行動を憎むことです。」と主張して、大真面目に拳をマジで振り上げてきたとしたら。ど~~します??  ※「名古屋市警を呼ぶ」「近所のカレー屋に自転車で駆け込む」的回答は除外します。悪しからず。

bragelonne
質問者

お礼

 欠席裁判に参加した咎を晴らしたあと 正式な(つまり ふつうの市民としての)対話になります。  けれども それまでにも存在は存続しますから 趣旨説明に明言したごとくこの存在を愛さねばなりません。ゆえに――アッキに対したのと同じく―― 必要と思ったところについて(というよりも このことを応えておけば済むというところについて) 述べておきましょう。  ★ ~~~  取っ組み合いを避けたかった理由がおありだったのでしょう?  それともあなたのオーラに怖気づいて相手がサレンダーしたとでもおっしゃるの?  ~~~~~  ☆ 想像力のとぼしさをわざわざ露呈させて問うことでもないと申し上げておきます。そうと知れば 二度目の恥かきが防げましょう。  ほかの場合を想像しえなかったのか? という意味ですが それはこうです。  相手もわたしの心が読めたのでしょう。すなわち自己批判は大いにするが・またそれはお互いさまであるはずだが そしてそれだけですでにけんかの効用は現われておりもうけんかは自己揚棄してしまって要らなくなったと考えるが ここまで到ればそうなのだが それでもきみは殴り合いをもしてみなければ腹の虫がおさまらないか? ならお相手せずばなるまい・・・と語りかけているわたしの心に答えたのでしょう。  つまり むろん 無言のうちに語っているという意味です。  顔を洗って出直して来なさい。総じて考えが なまぬるいわい。

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回答No.23

哲学に詳しくもない、妄想好きの素人です。 僕はけんかとかしないししたくない、しちゃいけない派です。 もし世界中の全員が同じ議題で口喧嘩を始めたら嬉しいですか? 僕はそんな世界は嫌です。 もし世界中のみんなが毎日笑ってたら?嬉しいですか? 僕は幸せがわからなくなるからこれも嫌です。 笑ったり怒ったり泣いたりがぐちゃぐちゃになってバランスがあって、落ち込む時間があるから笑った時が楽しかったり。 だから人間は基本的に笑いたい願望があると思うんです。 じゃあ喧嘩をやめようって言えるかな。 妄想でした。

bragelonne
質問者

お礼

 くららさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。  そうですね。  ★ 僕はけんかとかしないししたくない、しちゃいけない派です。  ☆ このように一般的に言う場合 わたしは けんかはしないし したくない。そして けんかは ただし 好きです。《しちゃいけない派》ではありません。  これまで長いこと生きていますが なぐり合いのけんかは いちどもしたことがありません。取っ組み合いの寸前にまで行った場合が 二・三度ありました。  けんかが好きというのは けっきょく討論が好きというようなものだとは思います。  で ここから飛びますが  ★ ~~~~  だから人間は基本的に笑いたい願望があると思うんです。  じゃあ喧嘩をやめようって言えるかな。  ~~~~~~  ☆ とおっしゃるとき このとき 《やめようって言う》のなら すでに始まっている場合もあるのですね?  もしそうだとしたら その場合 どのように言ってやめようと言うか? これが問題ではありませんか?  つまりたとえば仲裁に入るとした場合 どうか? ともかくけんかは よしましょう 二人とも落ち着いて冷静になって ともかく落ち着いて・・・と言うのではないですか?  つまり まあまあまあ 二人とも落ち着いて 冷静になって の次は 《話し合いましょう》が来るのではないですか?  つまりこの《話し合いましょう》が ここで言う《口論 としてのけんか》であり 基本的に《自己批判としてのけんか》だというその内容です。  と一気に 自分の田に水を引きましたが 果たしてどうでしょう?  批判 つまりは特に自己批判 これとしての言わば《自分自身とのけんか》 これは してはいけない理由はない。こう やはりまだ 考えますが どうでしょう?

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.22

#21です。 > ☆ 命題の当否や是非について問うているとき たとえば是だという答えを出すとします。そうしたら その是という答えを出したことについて ほかの誰れかが《いまは そんなことを考えたくない。うるせー》と言うというお答えのようです。 : 大体そういう意味ですが、「うるせー」とまで言われると考えるのは、たぶん被害妄想だろうと思います。 > 或る人がみづからの判断を下したとき その判断にほかの誰れかが従わねばならないとか あるいは その判断には反対であるとの意思表示をきちんとせねばならないとか そういう強制が成り立つと言うのですね?  自由意志の公理によって そういう心配はいっさいありません。 : いっさいないというのは、ブラジュさん(だけのとは言いませんが)の見解でしょう。 強制と相手が感じたらすでにそれは強制ではありませんか? ブロックという行為はその強制から逃れるという意思表明なわけですから、それをさらに深追いするというのはどうなんですかね。   > 判断をくだす人も 表現の自由を享受し行使するとしても ほかの人たちも それぞれの表現の自由を行使します。 : ブロックも自由の行使のひとつじゃないんですか?   

bragelonne
質問者

お礼

 はこぶるさん いまは これまでの はこぶるさんです。戻りました。  ★ ~~~   > 或る人がみづからの判断を下したとき その判断にほかの誰れかが従わねばならないとか あるいは その判断には反対であるとの意思表示をきちんとせねばならないとか そういう強制が成り立つと言うのですね?   自由意志の公理によって そういう心配はいっさいありません。  :  いっさいないというのは、ブラジュさん(だけのとは言いませんが)の見解でしょう。  ~~~~~  ☆ 《いっさいありません》。  たとえば わたしは 事実にもとづき さいころクンに《欠席裁判を主宰した咎を晴らしなさい》と その訪問を受けて――つまりあくまで受け身においてです(あんがい これが 重要です)――言いました。ですが その人は どうしていますか? 何と答えていますか?  《強制》は成り立っていません。いっさいありません。でしょう?  ★ ~~~  強制と相手が感じたらすでにそれは強制ではありませんか?  ブロックという行為はその強制から逃れるという意思表明なわけですから、それをさらに深追いするというのはどうなんですかね。  ~~~~~  ☆ それは ハラスメントの場合でしょう。ストーカーの場合でしょう。  だって 上のように 強制はないのですから。言いかえると ブロックは 話したくないということを実行していることです。  むろん 強制がもしあれば それを避けるための行為でもあります。何の問題もありません。  ★ ~~~~  > 判断をくだす人も 表現の自由を享受し行使するとしても ほかの人たちも それぞれの表現の自由を行使します。  :  ブロックも自由の行使のひとつじゃないんですか?  ~~~~~~  ☆ そうですよ。  ○ ~~~   1. 自由選択という公理が第一に来て   2. そこに自由開放という命題を提出した。   3. この命題には むろん例外がある。  ~~~~  ☆ (3)においては もちろんのこと (2)においても 《自由の行使》があり得ます。命題は 見解ですから 相対的なものです。  公理のたとえば《自由》は あたかも――あたかもです――絶対的な・人間の存在についての条件(与件)なんだろうと思います。だから その(1)における自由が (2)にも有効であり活かされます。  《一件落着ではないでしょうか》とお応えしたときから そうでしたよ。  ○ 【Q:悪には善意をもって徹するという考え】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7280757.html  この質問は あなたも投稿しています(No.14)が わたしも投稿していて 次のように《公理》の問題について書いています。先月の話です。    ☆☆(その回答No.13= bragelonne ) ~~~  1. 《存在》が 善です。《生きること》が善だ という大前提です。自由および平等が 公理として――つまり証明抜きで人びとに共通の決まりとして――受け留められているように。  2. この善意で 善に対しても悪に対しても 向き合う。  3. ほかの対処の仕方は ありますか?  ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  もし余計なことでもよいということでしたら さいころクンの悪口をおしえてさしあげましょうか? まだいやですか?

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.21

#20です。 > ☆ 《強制》という漢字でよいのなら それは《無理強い》のことでしょう。 : はい、その意味で使いましたが。 > やっぱし意味が取れない。 : そうなんですか。 今回のご質問は、とことん話し合いだ、というご主張の言い換えだと思ったのですが違うのでしょうか。 つまり、ブロックしてまで喧嘩を避けようとする相手を深追いしてまで喧嘩を要求するのは、いかに効用があるとはいえ、強制になるゆえ好ましくないだろう、ということなんですが。 > 存在を愛し 〔まちがっていると思うところの〕思想や行動を憎むことです。  なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。 : と言った場合、 「今はそんなことをしゃべる気にはなれないんですよ」 と答える相手に、 「それはおかしい」 と言うのは強制でしょう。      

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ~~~~  > 存在を愛し 〔まちがっていると思うところの〕思想や行動を憎むことです。  なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。  :  と言った場合、  「今はそんなことをしゃべる気にはなれないんですよ」  と答える相手に、  「それはおかしい」  と言うのは強制でしょう。  ~~~~~~~  ☆ 命題の当否や是非について問うているとき たとえば是だという答えを出すとします。そうしたら その是という答えを出したことについて ほかの誰れかが《いまは そんなことを考えたくない。うるせー》と言うというお答えのようです。  或る人がみづからの判断を下したとき その判断にほかの誰れかが従わねばならないとか あるいは その判断には反対であるとの意思表示をきちんとせねばならないとか そういう強制が成り立つと言うのですね?  自由意志の公理によって そういう心配はいっさいありません。    判断をくだす人も 表現の自由を享受し行使するとしても ほかの人たちも それぞれの表現の自由を行使します。  ひょっとして これが 《釣り》か。

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  • hakobulu
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回答No.20

#18です。 > ★ ただ、喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制ですから、これはよろしくない、というだけの話でしょう。  ☆ こんなことは訊いていません。 : 「> なぜ いけないのでしょう?  理由が分かりません。おしえてください。 」ということでしたので、 「いけない理由はない。しかし、ただ、喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制ですから、これはよろしくない、というだけの話でしょう。」 と回答したまでですが。 どこか不自然ですか。 それとも、強制をお認めになったということでしょうか。 また、若干誤解がある向きもあるかもしれませんので補足させていただきますが、 「喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制」というのは、 「喧嘩したくないと考えている相手と喧嘩するのは相手に対する強制」という意味です。   

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとらるさんも指摘していたけれど  ★ 喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制ですから  ☆ この文(つまり判断)の意味が取れない。意味はないのではないか?  あぁ 途中から返答を書き始めたら あとで説明がしてあった。なんですって?  ★ ~~~  「喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制」というのは、  「喧嘩したくないと考えている相手と喧嘩するのは相手に対する強制」という意味です。  ~~~~~  ☆ 《強制》という漢字でよいのなら それは《無理強い》のことでしょう。  やっぱし意味が取れない。  はこぶるさん だいじょうぶ?

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回答No.19

ん゛?横レスだけど、はこぶるさん、 けんか(戦争)をするひと(国とか)は けんかをしたいから(←目的)するんぢゃなくて、 平安を求めるから けんか(←手段)をするんぢゃないの? ___________ >喧嘩したくない相手と喧嘩するのは・・・ :まづ添削しま~す。(*^_^*) >喧嘩したくない相手と喧嘩【する】のは・・・ :喧嘩したくない相手と喧嘩【させられる】のは・・・ つか、そもそもケンカしたくない相手とは ケンカ「できない」んぢゃないのん? ___________ ぶらじゅろんぬさんこんにちわ。 平安とか満足とか幸福なんかの概念が 個人が、今、までの経験の中で でっち上げてきた(←過去形)ものだから、 人それぞれ違うし、 他人(他国)がでっち上げてきた概念は わからない、 けどなんとか共生したいんだから、 ケンカが勃発しないなんてのはありえない、 おいらは自我(?)なんてのは 死ぬまで完成しないんぢゃないかと思う。 今、まで、でっち上げてきたように、 これからも 「これが今現在のおいらの概念ぢゃ」 「いいや、あてくしは今現在こうぢゃ」 と披露しあって 捨てたり拾ったりするだろうから延々と。 けど何事にもときがある、 と思うだけかな。 植えるのに時があり、 植えられたものを根こそぎにするのに時がある。 殺すのに時があり、癒すのに時がある。 崩すのに時があり、建てるのに時がある。 (中略) 抱擁するのに時があり、 抱擁を控えるのに時がある。 失ったものを探すのに時があり、 失ったものとして諦めるのに時がある。 (中略) 保つのに時があり、捨てるのに時がある。 引き裂くのに時があり、 縫い合わせるのに時がある。 黙っているのに時があり、 話すのに時がある。 うんぬん(伝道の書より)。 最近おいらは「役割」が多いから(言い訳?)、 湧き出すもの(?)が少なくなっちまって、 あまりケンカはしません。 休憩ばかりしてます。 ええ、バテてるだけです、それだけです。 それ、さぼたーじゅだろ、とか言われたら、 そうぢゃないす、と言って説明するんだけど、 おいらの説明を聞いてもらえなければ、 ケンカになります、 けどおいらはバテてるんで ケンカになりません、 それだけです。 ほぢゃ。                                                                                      

bragelonne
質問者

お礼

 にゅうとらるさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。  はこぶるさんが こわれてしまったよ。  ★ ~~~   >喧嘩したくない相手と喧嘩するのは・・・  :まづ添削しま~す。(*^_^*)  ~~~~~  ☆ ちょうど同じくだりを取り上げました(つまり 直前の回答への返答として)。つまりこのくだりは 質問と関係ありません。  ★ ~~~  けどなんとか共生したいんだから、  ケンカが勃発しないなんてのはありえない、  ~~~~~  ☆ この見方は いいですよね。ですから何とかさらに外交上のけんかに止めたい。ということになるかと。  ★ ~~~  おいらは自我(?)なんてのは  死ぬまで完成しないんぢゃないかと思う。  ~~~~~  ☆ 日本人が日本語でわざわざ《自我》という用語をつくり それに自分たちの思考様式に合わせて意味内容をも作り上げて行く。そもそもこのことに わたしは 意味を認めていません。それらは 無効だと考えています。  ちょうどさきほど 次のように書き込みました。  ☆☆ ~~~~   日本語で《自我》と訳されている元の言葉は 《 das Ich / ego 》であり これらは《わたし〔が〕》という意味の言葉です。  つまり なぜわざわざこのようなことを言うかと言えば 日本語で《お名前は?》と訊かれて 《自我は ぶらじゅろんぬと申します》とは 言いません。つまり《わたしは》と言います。それと同じ言葉が 西欧語では用いられているのに なぜ日本語では 別の言葉にしたのか? その必要はないではないか? という物言いです。  ~~~~~~~  ★ ~~~~  これからも  「これが今現在のおいらの概念ぢゃ」  「いいや、あてくしは今現在こうぢゃ」  と披露しあって  捨てたり拾ったりするだろうから延々と。  ~~~~~~  ☆ これは 哲学としては 存在論が扱うと思います。ヒトに共通の生まれつきの条件(ないし与件)として 自然本性があるとすれば その内容を問い求めつつ 存在のあり方についても 共通の認識が得られるようにすすめて行く仕事だと思います。さもなければ 《延々と》ああだこうだという議論がつづくものと思われます。  ★ ~~~  けど何事にもときがある、  と思うだけかな。  ~~~~~  ☆ ときにかなうものは みなうつくしい。なのですが つまりこれが大前提であり 人びとの考えはその上になのですが やはりものにはいつも反対の見方も持たれるようで 次のように言う場合もあるようです。  ○ ときを得ても得なくても〔ことをすすめる〕  これは 聖書の文句だったと思うのですが(パウロだったかと思うのですが) ただちには記憶が現われません。  ★ ~~~  休憩ばかりしてます。  ええ、バテてるだけです、それだけです。  ~~~~~  ☆ そうですか。そう言えば わたしは 45歳ころからの十年間 仕事はしていましたが 勉強を休んでいました。新聞を読むくらいでした。空白の十年です。なにごとも 《ときがある》!?  では。

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.18

平安でいたいから、ということと、収めるのが面倒だからということではないでしょうか。 収めようとしなければ良いわけですが、喧嘩自体が人間の平安を乱す要素を持っているためにそうもいきません。 ですから、カラスの勝手というわけにはいかない。 しかし、これは喧嘩の効用(いちいち述べる必要はないでしょうが)を否定する根拠とはなりませんし、喧嘩はいけないとはわたしは思いません。 むしろ大いにするべきです。 ただ、喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制ですから、これはよろしくない、というだけの話でしょう。 喧嘩したいように見える場合もあるし、喧嘩したいかどうかわからない場合もありますから、 「喧嘩しても良いが深追いはいけない」 という結論になると思います。     

bragelonne
質問者

お礼

 ★ ただ、喧嘩したくない相手と喧嘩するのは強制ですから、これはよろしくない、というだけの話でしょう。  ☆ こんなことは訊いていません。

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noname#151127
noname#151127
回答No.17

お礼欄を読みましたが、対話として成立していないようです。放っておくことにして良いですか?

bragelonne
質問者

お礼

 それは 到りませんで。  おもてなしが拙くて申し訳ありませんでしたが では そうしてください。

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noname#151127
noname#151127
回答No.15

何ともお返事に困るお答えですね。へっぽこな理屈と言っていますが、真面目に聞いています。他については、応答の仕様がありません。騙すと言っているが、その気はないということが主な理由です。代わりに、少し思い出を振り返っておきましょう。 私は最初のころから、変わりませんよ。変わったのは、あなたが私を見る目線です。私の方も、あなたを見る目線が変わりました。話し合ううちに、これは嫌だな、と感じる欠点が見えてきたのです。私にとって、それは許容しがたいものでした。「コミュニケーションにおける矛盾」で述べたことが発生した訳です。私はよかったときの思い出を保全するべく、あなたとの新しい会話をシャットアウトしました。話せば話すほどに、ずれが大きくなるからです。あなたはイメージダウンしていく一方です。それよりは、楽しかったときの思い出があった方がよかったのです。しかしボードレールの問いをあげたときは、楽しかった。 おそらく、あなたは私に対して一時、過剰なまでに期待を寄せたのではありませんか。私はそれに応えなかったし、応えられなかった。以前、あなたは私にいいましたね。猪突先生と話す方が楽しいから、ブラジュロンヌをのけ者にしたのだ、と。厳密には表現が違ったかもしれませんが、似たようなことを言われました。私はあのとき、「嫉妬ですか」と冷笑したと思います。しかし、実際は、そうかもしれません。私は時々、人間に対して平等に接することができません。結局、私はどうするべきだったのでしょうか。結局、今も分からないのですよ。 さて、負け戦だとおっしゃるなら、やめておきましょうか。結局、 ・あなたが納得する=騙された、 と思われるのでしょうから。私のお考えは伝えました。No6の投稿で、日本語として明晰に意味は伝わったと考えていますから、この件は私の意見表明で終わってもよい、とも考えています。 なお、私は別で新しい問いをあげるつもりです。碑文谷潤のお話ですけれども。別にあなたに当てつけた訳ではありません。コミュニケーションの問題を考えていた際、前々から、面白いな、と純粋に感じたのです。もしかしたら、「けんか」の問いの派生系として考えてみることもできるかもしれません。参加してみますか? 侮辱をしにくるのであれば、お断りしなければなりませんが。

bragelonne
質問者

お礼

 だとすると  ☆☆(No.14補足欄)  ひょっとして わたしに向かって すくってくれたまえと言っているの?  ☆ と言っていることになるのだが。  ともあれ 答えられないというのであれば 何をか言わんやとなります。  おつかれさん。  《相手を怒らせる》という筋書きは どうも思うに 自作自演であるようだ。  それを こちらに向けて おまえが仕組んだのだな だが考えてみればなかなかうまい手口であるわいなどと言われても・・・。といったところか。  まぁ いまいちど引いても またやってくるのだろう。  ★ 侮辱をしにくるのであれば、お断りしなければなりませんが。  ☆ じょうずに侮辱してくれたまえということか。つまりは ご自分の筋書にのっとって 侮辱してください。さもなければ またあらたな手口を考えます。ってなところだろ。  ★ 私のお考えは伝えました。No6の投稿で、日本語として明晰に意味は伝わったと考えていますから、この件は私の意見表明で終わってもよい、とも考えています。  ☆☆(No.7お礼欄) ~~~~  もしあなたのご回答が 質問の趣旨説明で述べている命題を反駁しえたとすれば その命題そのものを 〔逆説的に と添えたほうがいいのかな〕身を持って論証したことになりましょう。  もしそうではなく やはり質問の命題は間違っていると言い張り続けようとするのならば ご自分の回答内容の中で 推論にあやまりがあったと明らかにするか または その投稿としての行動に じつは愛はあるように見せかけたけれど それは偽りであったとやはり明らかにするかして 回答内容じたいの不成立ないし間違いを論証しなければなりません。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ この筋書は 誰が仕組んだと思うかい?

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