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存在の受け容れを優先し 批判を先送りすべきか?
母は 誰れをも その出会いから受け容れていました。家をおとづれる人は誰をも もう自分の家が恋しいというところまで歓待しました。 八方美人であるかも分かりませんが その人の嫌なところ・つまりあまりにも目立って合わせづらいところに目をつぶっているわけではありません。 おそらくまづは その存在を受け容れている。その人全体を歓迎している。そしてそのあと 互いの嫌なところは 互いに直して行きましょうという態度だったと思われます。 ところが この姿勢であると けっきょくずるずるだらだら死ぬまでその限りなき包容がつづきます。 ことに哲学の話になるなら なっても 全体としての存在の受容が優先され 対話はすすみません。 つまり それぞれ互いに相手の考えを理解してそれらを尊重するといった段階にまですすむことさえも まれになります。 学問というのは 先人の理解を理解したあと そこにも疑問が生じたなら 自由に大胆に問い求めて行く。先人や先輩との思想上のけんかをも経て行くいとなみなのではないか? 互いに相手の存在をとうとぶからこそ――人格の全体を受け容れ これを愛するからこそ―― 考え方で意見の一致しないところについては 互いにそれを問い質す。自由に批判しあう。 もし批判をしないなら――まれに意見が完全に一致するという場合もありましょうが―― それは互いに相手の存在を無視しているという結果になるのではないか? 嫌っているというのではなく――嫌いというなら まだ大きく全体としての愛の範疇にふくまれましょう―― すでに存在および人格をないがしろにしてしまっている。 けんかをしないということは まだ人格およびみづからの思想が出来上がっていないからか もしそうでなければ 人間という存在を放棄したい・つまりはその自然本性としての自由意志を脱ぎ捨てたいと言っているにひとしい。のではないか? これは ゾンビであると考えられます。すでに死んでいます。いかがでしょう? もし相手の意見のほうが――経験相対においてですが――ただしいと思ったなら そのように扱わなければならない。その意志表示をおこなって初めて人間は人間である。 【Q:けんかをしては 何故 いけないのか】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa4803472.html
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- littlekiss
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- MOG56222
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単に高みに登る為の議論は無益で我欲でしかありません。 ただ、高みから観た視点を人の役にたてるという志があってのみ他人から受け入れられます。 次に、命は有限で、生活は厳しいものですから、議論する対象は選ばなくてはいけませんし、効率的に議論していかなければなりません。 結局、指導力が無いとひとは動かせないということです。ここで言えば、回答の過疎化と言えます。
- hekiyu
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ケンカをしないから、相手の存在を無視している とは必ずしもならないと思います。 議論するのは、お互いに相手の意見を理解し、 より高みに昇ろうとする為でしょう。 しかし、そんな理想的な議論てのは、現実には殆どありません。 己の意見を声高く主張するだけ、てのが圧倒的でしょう。 それで残るのは、気まずい雰囲気だけ。 質問者さんは、人間に完璧さを求めているだけではないですか。 それだと社会主義のように、オカシナことになる と思いますがどうでしょう。 現実の人間をみるべきだと思います。 それにケンカしてまで、議論する、てのはそれだけ 自分の意見に自信がないと出来ません。 日本人は、何が正しいか、悪いか、なんてのは 所詮は、時代や自分の立ち位置によって変化するものだ ということをよく知っているのです。 だからケンカしてまで、己の主張を言い張る、なんてことは 無意味だ、と思っているのではないですか。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ですが 要するにおっしゃっていることは 回答者ご自身がか日本人の一般がかあるいは両者ともがかが定まらないとしても 向上したくない ということですよね? たのしくおかしく雑談できればよいのだ ってことですよね ここで? それなら わたしは邪魔はしません。 《雑談》や《近況報告》などは 規約に違反するのではないかとおそれますが わたしの知ったことではありませんので あとはご自分の責任においてご自由にと申し上げておきます。 ご投稿をありがとうございました。 議論のための議論やけんかをするつもりはありませんので 以後のご投稿は その内容について――今回の内容の繰り返しにはならないように――ご注意いただくと こちらとしてはありがたいです。てまひまがはぶけます。
- MOG56222
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議論するためには 相手の意見や思いを理解していなければなりません。理解するためには無我の境地で話を聞かねばなりません。 話を聞く前に既に意見が準備されており、相手はサンドバッグとしての価値しかないと思っている者に話そうとする人間はいません。 あなたのお母さんは正しいと思います。
お礼
もぐさん ご回答をありがとうございます。 そうですね。 あなたのご見解をのむためには いくつか用語や概念の定義をして共通の理解に立つ必要があるように思いました。 揚げ足取りも入っているかも分かりませんが 一つひとつ取り上げてみます。 1.★ 議論するためには ☆ 議論することは含まれるでしょう。ただし議論のために議論するのではないでしょうから やはり細かいですが 《或る主題を取り上げて互いにその答えを問い求める。その過程で 議論し対話をもすすめる》となるかと考えます。 2.★ 相手の意見や思いを・・・理解するためには無我の境地で話を聞かねばなりません。 ☆ すなわち ★ 無我の境地で話を聞く ☆ とはどういうことか? おそらく 分かりやすい言い方では 《先入見を持たずに・白紙の状態になって互いに相手の述べるところを聞く》ことだと思われます。 ところが もっとかんたんな方法があります。と思うのですが それは 《互いに分からないところは しっかりとじっくりと何度でもよいから また説明する側はていねいに 聞き話す》ということではないでしょうか。 言いかえると 要するに 疑問を持った側は ご厄介になるということでしょうが どこまでも質問して行ってよいし 分かるまで質問を重ねて行けばよいのではないでしょうか? そうすれば 互いに以前よりも一段高い知識ないし境地に達しているということではないでしょうか? 3. ★ 話を聞く前に既に意見が準備されており、相手はサンドバッグとしての価値しかないと思っている者に話そうとする人間はいません。 ☆ これは 意外なことをお聞きします。 どこかで誰れかが マッチポンプの自作自演だと言っているのを聞きましたが わたしの質疑応答の場合は ★ 話を聞く前に既に意見が準備されており ☆ ます。すなわちたいていの場合 趣旨説明に《たたき台》を用意しています。これを言いかえると マッチポンプ方式ではなく ポンプ・マッチ方式ででもあろうかと思います。 たたき台=ポンプが 自信のない場合があってそれはあやふやであって そういう場合は マッチ=自作およびポンプ=他演の方式になるときもあります。 すでにポンプ=たたき台が 或る程度の答えとしてすでに初めに用意されているのなら なぜ ★ サンドバッグの役割り ☆ になるというのでしょう? おかしくありませんか? もしそのように ★ サンドバッグの価値しかない ☆ と思うように――回答を寄せて わたしとの質疑応答をしたあとで――なったとしたなら それは わたしのたたき台を批判して 批判し切れなかった。というだけのことではないでしょうか? それはそれで 互いに一段高い境地に そのようなかたちを通しても なり得たということなのではないでしょうか? いづれにしましても ポンプ・マッチの方式については 別に特殊な質問の方式でもなく通常見られるものでしょうし 決して相手をサンドバッグとして扱っているものではない。このように反論しておきます。いかがでしょうか? 4.★ あなたのお母さんは正しいと思います。 ☆ ありがとうございます。問題は 互いにここんところの考えをあらためたらもっとよいのにと思われる場合にも なかなかそのような互いの話し合いが成されずじまいになってしまう。そういう意味では まだうわべでつき合っていると捉えられても仕方がないのではないか? とも考えるのですが いかがでしょう? そんな問い求めになっています。
ああ、ごめんなさい、二つ下だった。
お礼
了解!
このひとつ下の質問は質問者様へのひとつの皮肉であるようにも思いますよ。まあその皮肉を発するという意識活動は、質問者様の仰る「自由意志がない状態」であったかもしれませんがね(笑)。それはともかく、質問者様にお聞きしたいのは、オウムやエホバの信者に「自由意志」なるものはなかったと仰っておられますが、じゃあ一体どういう種類の意志があったかということです。
お礼
ふぁいなるこーずさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ふたつ前の質問とは ご自身の 【Q:自由から自由になることは可能でしょうか?】 ですよね。この問いが ★ 質問者様(=わたくし:ぶらじゅろんぬ)へのひとつの皮肉であるようにも思いますよ。まあその皮肉を発するという〔=あなた:ふぁいなるこーずさんの〕意識活動は、質問者様の仰る「自由意志がない状態」であったかもしれませんがね(笑)。 ☆ そうですね。えらい込み入っていましょうか どうでしょうか。どちらにしても そのご質問にはわたしが回答を寄せていますから その応答として話をすすめて行ってもらえるとありがたいと思います。どうでしょう? そうしますと あとは わたくしのオウム論やエホバの証人についての議論にかんしてということになるでしょうか? まづ簡単なほうから行きましょうか。 ☆☆(【Q:エホバの証人という宗教。】回答No.4) ~~~~ 次の聖句を出して どう受け取っているのかを尋ねてみてください。 ▲ (ヨハネによる福音書 1章 13節) ~~~~~~ この人々は〔* すなわち《ことば》であるキリスト・イエスの名を受け容れた人びとは〕、血筋によってではなく、肉の意志によってではなく、人間の意志によってでもなく、神によって生まれたのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ おそらく《神によって生まれた》という信仰の起こりについて どぎまぎするはずです。《信じる》ということについて何も知らないと思われます。 言いかえると 親から受け継ぐ場合を除いては 《人間の意志によって》エホバの証人になったと答えるはずです。実際に答えなくても それしかないはずです。 つまりは 人間の考えに従って じつは自分たちの神をこしらえている。そしてそれを《信じている》と思い込んでいる。そういう人びとです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ つまり ☆☆ 《人間の意志によって》エホバの証人になったと答えるはずです。実際に答えなくても それしかないはずです。 ☆ こう書いています。ですから ★ それはともかく、質問者様にお聞きしたいのは、オウムやエホバの信者に「自由意志」なるものはなかったと仰っておられますが、じゃあ一体どういう種類の意志があったかということです。 ☆ なるご批判はあたらないと思うのですが? オウム論についてですが これも残念ながら ふぁいなるこーずさんの勘違いではないかと思いますよ。 ☆☆(【Q:かつてのオウム真理教は 天皇制を模倣した。】その趣旨説明) ~~~~~~ かつてのオウム真理教は 天皇制を模倣したのではないか? その制度として また特にはその側近たちのあいだにおいて。 ひとり・唯だ一人 神聖不可侵なる人物を決めこれを ほかの人びとは 絶対的にまつりあげる。 したがって アサ何とかの言うことは ぜんぶ聞く。聞かなければならない。すべて従う。 この単純な組織の成り立ち〔として想定してみたもの〕が すべてを説明していまいか? と問います。 * アサ何とかに従った若い人間たちは まだおさなくて自由意志を発揮できるようなひととなりを形成していなかった。といった解釈例がありますが どうなのでしょう? もしそうだったら あとで――事件のあとで―― そのように自分たちが反省の弁をのべるでしょう。 つまり そうではなく やはり――上に述べたような簡単原理によって 宇宙の果てまでついてゆくというまでの――確信犯なのではなかったか? つぎのようにうたわなかったか? ▲ 〔海行かば 水漬く屍・・・〕 ~~~~~~ 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば 草生(くさむ)す屍 大君(おほきみ)の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ と言(こと)立て 丈夫(ますらを)の 清きその名を 古(いにしへ)よ 今の現(をつつ)に 流さへる 祖(おや)の子どもぞ (万葉集 巻十八 4094番) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち ☆☆ ~~~ アサ何とかに従った若い人間たちは まだおさなくて自由意志を発揮できるようなひととなりを形成していなかった。といった解釈例がありますが どうなのでしょう? ・・・ つまり そうではなく やはり・・・確信犯なのではなかったか? ~~~~~~~ ☆ と言っているのですよ? 確信犯だというのは みづからの意志行為だったという見方です。 ごめんね。表現で解釈の間違いやすい言い回しをしていないとは言えないかも知れませんから。 けっきょくこういうやり取りで 対話や哲学思想は成り立って行くのだと考えますが いかがでしょう? それしても 回答No.1はひどい。みづからは対話にいっさい応じないのに ほかの人間に対しては ぶつぶつ不満をぶちまける。
- 雪中庵(@psytex)
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少なくともここは、議論のサイトではありません。 利用規約ならびに禁止事項ガイドラインをよく読んでお使い下さい。
お礼
ご投稿をありがとうございます。 ○ (OKWave 利用規約) ~~~~ 第3条(本サービスの概要と範囲) 1. 本サービスは、会員間における質問と回答の形式による情報交換、利用者における情報収集および閲覧の機会、ならびにそれらの環境を提供することを目的とします。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ もし利用規約に反しているとお考えであるなら 放っておくか もしくは通報をすればよいはずです。 わざわざ投稿をするのは それが哲学としての《けんか》であると心得るべきでしょう。 ただし 中身は 見当たりません。
お礼
ご回答をありがとうございます。 復唱せずにお答えしますが でしたら 質問をえらんでご投稿なさるのがよいでしょう。 これに尽きます。