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諸国巡検使の経費負担
江戸時代原則将軍交代時諸国巡検使が各地域に派遣されています。このための経費は誰が負担したのでしょうか?幕府でしょうか?藩でしょうか?出来ればいただいた回答のソースを教えてください。 よろしくお願いします。
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こんばんは。 面白いお尋ねなので手持ちの史料などを調べてみました。 天保9年4月の公領巡検使の記録が岡山県の「総社市史・近世資料編」にありました。庄屋小山家の記録で、巡検使(総勢23人)はここに2泊しているのですが宿泊費は書いてありません(別の帳面に記載されていたはず)。 幕府からの通達に「宿泊費や食費はその地方の相場で払う」とあるので巡検使が支払ったのは間違いないでしょう。しかし彼らを迎える村や藩は莫大な金を使っています。それはこの巡検使に関する上記市史の記載が60ページもあることからも推定できます(しかも市史になっているのはごく一部です)。 この公領巡検使の一行は総社のあと備中浅口郡大谷村という所を通りました。そのことが「大谷村と巡検使」という論文になっています。これには金額や出動した人数も細かく書いてあります。 巡検使は村の中を1Kmほど通過しただけで休憩も宿泊もしていません。そして7月には私領巡検使が隣村を通過したのですが両方で銀2015匁もの金を使っています。 まず道路を修理。これには村人が18日間で延べ431人出動。次に川に仮橋を架ける。これらを検分しに来た藩役人の宿泊や接待がまた大変。 巡検使が村に近づくと人をあちこちに派遣してようすを報告させています。これは24時間体制でしています。天候などで巡検使の予定はしょっちゅう変わったからです。 費用について庄屋はできるだけ村の負担にならないよう努力しています。 仮橋は村境にあるため隣村と折半して負担、道路補修は藩に出金してもらっています。この道は川の堤防上にあるため堤防の修理という名目で藩に負担してもらったようです。そして一部は大割(領内の全部の村で負担)にするなどして最終的に村の負担は銀424匁で済ませています。 道路工事等に出た村人は1日あたり銀1匁程度の日当を受け取っています。しかし当時の労働賃金からいうと安かったのではないでしょうか。 この論文は「金光教学 第13号」(昭和48年)に掲載されています。 どちらの文献も長文で1~2日では読み解けません。小生の誤解もあるかもしれません。正確のためには原本をご確認ください。 要するに村や藩は宿泊費など目じゃない!というほど使っているのです。 天保9年の巡検使は江戸幕府最後の巡検使だったと思います。これを迎える村や藩はものすごく気を使っていますね。通過した所には多くの記録が残っていると思います。捜してみてください。
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- m-jiro
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こんばんは。#2です。 貴兄のご質問には小生も興味があり、図書館に行ったついでに少々調べてみました。 天保9年7月に岡山に来た巡見使についての記事を見つけました。要約すると、 「 休泊に要する道具は町会所の備品が使われ不足分は古銀屋仲間が損料なしで提供。賄いは有料で西中島(遊郭があった)旅籠仲間が担当。賄いは格によって詳細に定められており、この巡見使の場合は事前に賄いの内容を示し注文を受けた。宿泊入用は藩が負担し、他は郡割。」 とあって巡見使は全く負担しなかったようです。 食費について巡見使の一人が泊まった家の記録が掲載してあります。 「 上下三十二人、但御一人前御支度一度分米二合五勺づつ都合一斗六升、此代丁銀一貫六百匁、但一升に付丁銀百匁替。木銭四百六十匁・・・〆丁銀二貫八十八匁・・・」とあります。 ここの「一度」とは1泊を意味するようです(巡見使は岡山で2泊しています)。1泊の米代が丁銀25匁になりますが、これは金に換算すると1両の半分に近い金額です(小生、換算を間違えてないですよね?)。米代といいながら実はデラックスなご馳走だったようです。 宿泊費以外では、宿泊先の家の修繕費などで銀札9貫839匁余を使用。これは藩が負担。 町は警備や籠かきの宿泊、洗濯女の人件費など出費項目の記載はあるのですが、金額は書いてありません。 この記事は「巡見使-天保九年の岡山藩の場合-」著者・池葉須藤樹。高梁川流域連盟の機関誌「高梁川54号」(平成8年)に収載してあります。この機関誌についてはhttp://takahashigawa.sakura.ne.jp/ormag_list.htm 前の回答で「大谷村と巡検使」は正しくは「大谷村と巡見使」でした。失礼しました。 「金光教学」については http://www.konkokyo.or.jp/kyogaku/ の左にある「出版物」を。 このときの庄屋文書は「金光町史・史料編」(岡山県金光町 平成13年)に掲載してありました。
- tanuki4u
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http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller?cfname=W33/33.ctl&pfid=imag01&mgno=A0079841&session=192168252039C5C6710E91FF0FCB236E5D183EA45BA3 諸家が海防の費用で苦しいから今回は止めます・・・とか書いているから、すくなくとも幕府ではないなぁ http://homepage2.nifty.com/k-sekirei/otaru/kanto_08.html 畳替えとかしなくてもいいよ・・・・と出先の大名家に宣言している つまり、大名家の支出のようだ
お礼
回答ありがとうございました。具体例を示していただいたのでよくわかりました。 一晩泊まるのにどの程度の経費が必要だったのかわかるとさらにうれしいのですが・・・
お礼
ありがとうございました。要するに幕府も藩も村もそれぞれがかなりの金額を負担しなければならなかった訳ですね。ただ幕府からの通達「宿泊費や食費はその地方の相場で払う」が今のところ見当たりません。 今後探してみます。また「金光教学 」第13号や「総社市史・近世資料編」を図書館で探して勉強します。 ありがとうございました。