- ベストアンサー
ひらめきのしくみ
・対象をありのままに感受すること=検索対象を狭めないこと ・自分の中にキーワードをもつこと ・実際の検索は自我とは無関係な先天的なしくみに任せること こんなもんでしょうかね?
- みんなの回答 (18)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
にゅー・・・ ●定点観測の放棄(裏側から見ちゃった、さかさまに見てみた。) ●地と図が裏返った。 ●羅列に規則性を見つけた! ●大前提を無視してみた! ●遠くから見てみた。 ●凄く近づいて見てみた。 ●節穴から覗いてみた。 いずれにしても法則や前提の破壊が必須条件のようですね。 穴から覗く、というのは古典的ながら新たな視点を得る常套句。 でも、一番大切なことは、「本当に見つめる」こと。 既知を援用して解釈しようとすることは盲目であろうとすることに 等しいですから。
その他の回答 (17)
得ようとしなくても得られる受動的な閃きと 得ようとして得られる能動的な閃きとがあると思います。 後者は本当の閃きではないと思われがちですが一慨にそうとは言い切れないと思います。 ご質問の内容については、閃きの起きる条件を指しているように思いますが 人それぞれの閃きの質の違いもあるように思います。 閃きが生じたという結果から見た場合の条件の設定を特定することは困難だと思います。 それでも一応感じたことをお答します。 >・対象をありのままに感受すること=検索対象を狭めないこと 受動的な場合では、そうした状態に置かれているのだと思います。 能動的な場合では、対象に対する感性的な働きを高めた状態にすることだと思います。 感覚に伴う直観の働きを高めた時に、感覚外のものを直観が捉える可能性があると思います。 >・自分の中にキーワードをもつこと 結果から見れば閃きには二通りあって、頷けるものと、そうでないものとがあります。 受動的な場合では、頷けない意味不明のものも含まれると思います。 能動的な場合では、暗号が解けたと思われるようなケースが多いので、キーワードをもつことが一つの条件のようにも思われます。 >・実際の検索は自我とは無関係な先天的なしくみに任せること この仕組みは解明されてはいませんが 直観という無限のレーダーによるもの、という解釈もあります。 ですが、これは一個人の働きだけを取り上げただけに過ぎないもので、実際には個人だけの働きによるものとは言えないように思います。 検索なしで起きてしまうといった受動的な閃きもあると思うからです。 先天的なしくみ、といった個人的なものではなく、個人を含む働きが介在しているようにも思います。 一つの目的に沿った閃きを得ようとする場合の働きは、感性的な直観に頼ってもよいと思いますが 意識に優先する勘の働きの危険性があると思います。 目的外の閃きを選択する必要があると思います。 以上思いつくままに答えてみました。 ご参考にしてください。
お礼
回答ありがとうございます。 >先天的なしくみ、といった個人的なものではなく、個人を含む働きが介在しているようにも思います。 確かに、閃きにもいろいろなタイプがあるようですね。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
ご質問にかかれているとおりであり、皆さんのご回答も素晴らしい。 要するに、人は精神的心理的自由性のない情況ではひらめきって発揮できないでしょうね。 そしてある程度、目前のことから自由で離れている、つまり無責任性がほしいのでしょうね。 ちょいと別の話ですが 友達は一生懸命考えている事があって、ちょいと空の白雲を眺めている時にひらめいたとか。 ぐいぐい考えに考えたあと、ひょいとしたときに思いついた。とか。 以上思いついた事を。
お礼
回答ありがとうございます。 >ちょいと別の話ですが みなさんの経験や話を聞くと、ひとによりいろいろなパターンがあるようですね。 参考になります。
- tattaro
- ベストアンサー率19% (30/153)
2も、今意識してるかどうかの差だけで脳にあるからその情報をキャッチしたんだよ。 斜めから裏からあらゆる方向からアプローチし、足したり描けたり割ったりの情報処理(現物のも含めて)の追及の過程に起きるに過ぎない。 実はたいていなんでもそうでしょ。 自分の仮説や既存の発想とは異なるそれに対して、ひらめきのような感覚に陥るだけ。 ひらめいたという人のそれまでの追及の過程振り返れば、確実にそれを発想する要因あるよ。不思議なことでもなんでもない。
お礼
回答ありがとうございます。
- el156
- ベストアンサー率52% (116/220)
質問者の方が分類されている通りではないかと思いますが、少し補足させて下さい。 二番目のキーワードは、ひらめきのベースのようなもので、その問題に関係することとどれだけ長くつきあっているか、一見関係しないようなことであっても普段からどれだけ感度良くものごとを見ているか、アナロジーとして使えるようなものごとをどれだけ理解しているか、といったような部分になるかと思います。努力や情熱のようなものもこの中に入ると思います。この部分が個人の歴史だと言っても良いのではないでしょうか。 一番目の「感受」については、ただ対象が広いだけでは発散してしまいますので、何かの選択が必要です。かといって既成概念に囚われると折角生まれるかもしれないひらめきを捨ててしまうことになります。何を選択するかは個人の感性に依存すると思います。 三番目は、神の啓示と言っても構いませんが、私の考えでは「偶然」です。一番目と二番目だけを使って問題を解決しようとすると、論理の枠を超えることができません。其処に「偶然」を取り入れることで論理で辿っても行き着かなかった場所に到達できる可能性が生まれるのだと思います。休息や気分転換によってひらめきを得ることができるのは、それによって偶然を取り入れることができるからではないかと思います。 今回の私の回答と直接の関係はありませんが、添付URLなどTRIZやUSITの考え方も参考になるのではないかと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
NO.9 です。 日ごろから関心のあるテーマなので、いろいろご反応も含めて考え直しています。 星新一などのやっていたカード方式、新規なもの同士の唐突な組み合わせからインスピレーションを得るというのはよく言われることですが、新規な組み合わせはそのもの自体から発展するのではなくて、その新規な組み合わせ「つきとすっぽん、などという」から発せられるある種のエネルギー、心理的な衝撃が中性子のような波になって心のどこかを打ち、その連鎖反応の形で、あるまったく新規なイメージが現れる、そんなことのようなのです。これは心のどこにショックを与えれば別のものが出るのかという心のメカニズムへの探求になるのかもしれませんが、これではやみくもにショックを与えよということで元の木阿弥のような気がします。それともこの中性子は単なる危険な弾丸なのではなく、良質の打ち出の小槌なのかもしれませんがね。 将棋指しは無数の可能性のある手を頭で次々にシュミレーションして、最適の手を見つけ出すそうです。これは暗算の一種でしょうが、結局どこまで多くの手を読みきるかということで、対局者よりも常に多くの手を正確に読んでいれば勝つということで、面白みはありません。このことは、前に戻りますが、できるだけ多くの材料を手元に持っておく、より広い対象に手を広げて可能性を高めていくということに通じるのでしょう。その中での最適値ということなら、より「好ましい、あるいは高品質のインスピレーション」が発生する可能性があるということになります。まあ、このほうが論理的には筋が通っているのですが、つまりはいっぱい勉強して知見のたくわえを増やせ、という平凡な結論になるのかもしれません。 あえて「センシビリティの訓練」から離れて考えてみました。 もうやめます。
お礼
回答ありがとうございます。 また何かあればお願いします。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
★(No.6お礼欄) ~~~~ >:本質を見抜くようなヒラメキ=直観⇒人間の言葉化 問いが整理された後、自然と仮説が浮かびあがる状態が近いかと思います。 >:中身がまだ混沌たるヒラメキ(直感):イメージ 問い自体が混沌としているもしくは問うことすら意識せずに仮説が浮かびあがる状態が近いかと思います。 回答者さんの認識と一致していますでしょうか? あと、どうやら以上の二種類の閃きがあるために、地道な努力の価値で食い違いが生じているような気がします。 ~~~~~~~~~~~~~ ☆ そうですね。 全体として捉えてですが 次のように思います。 ○ 地道な努力を怠るというわけではなく しかもその努力の如何にかかわらず ヒラメキは ヒラメキの方からやって来ると思われるので ただ待てばよい。 このようです。 イメージとして次のような さとり についての捉え方が ヒラメキにも当てはまるように思います。 ▲ 〔親鸞:自然法爾(じねんほうに)章〕~~~~~~~~~ 自然といふは 《自》はおのづからといふ。行者のはからひにあらず。 《然》といふは しからしむといふことばなり。 しからしむといふは行者のはからひにあらず 如来のちかひにてあるがゆゑに法爾といふ。 * 爾(に・じ):しかり。そうである。 ▼ (道元:現成公案) ~~~~~~~~~~~~ 自己を運びて万法を修証するを迷とす。 万法進みて自己を修証するは悟りなり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ * 論理的な整理は おまかせしたいと思います。 * なお《はからひ無き状態》と言うとき 《はからひ無き状態になろうとするはからひ》が見られる場合もあるようです。やっかいです。
お礼
回答ありがとうございます。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
思考とは脳の働きですので、この動画が参考になると思います。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM 人間の脳内には二つの人格が存在しているからです。その科学的な文献も載せておきますね! ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”
お礼
回答ありがとうございます。 右脳がキーなんだと経験的に思います。
こんにちは. いま神に祈りを捧げていたら,ひらめきました. □ ときどき教養を忘れることだと思います.
お礼
回答ありがとうございます。 >いま神に祈りを捧げていたら,ひらめきました. どんなひらめきですか?よければ教えてください。 >□ ときどき教養を忘れることだと思います. No.11さんがおっしゃてるように知識に固執するなということでしょうね。
私見としては、仰ることは 1)無私の目、広い視野 2)問題意識 と括ることができて、常識の範囲内であり、とてもそれだけではひらめきのメカニズムに迫っているとはいえないと思います。 それとも3)が理解できない私の頭が自我で汚されているから、それ以上のものが見えていないのでしょうか? 一番重要なのは、たまたまひっかかってきたたくさんの組み合わせの中で、(無意識的にせよ)どれを選ぶかという独自の価値観に先鋭化された感覚の醸成ではないでしょうか。この価値観が、たとえばベートーベンの作った曲想がどれもベートーベンらしくなる原因なのでしょうけれど、それが一般的に現世的に優れたものになるかどうかは、また別の問題ですし。 あなたのひらめきはあなたにしか捕らえられない独自の補虫網の網目の働きだともいえます。独自の網目を構成するのは、やはり日々の集中心と努力、センシビリティの訓練にしかないのでは、と思いますが、どうなんでしょうか。 回答にはならなかったかもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 >常識の範囲内であり、とてもそれだけではひらめきのメカニズムに迫っているとはいえないと思います。 そうなんですよ。言葉にすると平凡になるのです。 >一番重要なのは、たまたまひっかかってきたたくさんの組み合わせの中で、(無意識的にせよ)どれを選ぶかという独自の価値観に先鋭化された感覚の醸成ではないでしょうか。この価値観が、たとえばベートーベンの作った曲想がどれもベートーベンらしくなる原因なのでしょうけれど、それが一般的に現世的に優れたものになるかどうかは、また別の問題ですし。 「組み合わせ」というか「可能性」「潜在性」の方が近いのですが、それ以外はそのとおりです。 >やはり日々の集中心と努力、センシビリティの訓練にしかないのでは、と思いますが、どうなんでしょうか。 これもそのとおりなのですが、「センシビリティの訓練」というタイトルの下に含まれる各章のタイトルは何かを考えれば、途方に暮れるといいますか違和感が大きわけです。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
誰だったかな。 名前は忘れたけど。 科学者にとって一番大切なモノは 勘である、と言ったのは。 それから遺伝で有名なメンデルが言って いました。 「どうやって発見したのですか」 「勘です。ひらめきです」 「勘ですかあ~?」 「勘といっても、30年間研究して 考え抜いた末の勘ですよ」 先天的なモノ、後天的なモノ、そういう モノの総合なんだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。
- 1
- 2
お礼
回答ありがとうございます。 >でも、一番大切なことは、「本当に見つめる」こと。 ここが実感で理解できないとこなんです。 もちろん、知識的にはわかるんですけどね。