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ヤマト政権は大和朝廷の母体・・・?

 失礼致します。 ヤマト政権は大和朝廷の母体と学びましたが、 それがどういう説明からそうなのでしょうか? また、ヤマトとという言葉はどこからとったものなのでしょうか? 出土したものからの命名だと思いますが、教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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  • TANUHACHI
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回答No.1

 こんばんは。大学で歴史学研究と教育に携わる者です。 現在の歴史学界では「大和朝廷」との歴史用語は既に使用されていません。この理由として「朝廷」にはシステムとして構築するための「政治システム」が必要だからです。  現在の歴史学の到達点を示す専門用語の一つに「王権」がありますが、この「王」には「権力者」としての側面と「司祭者」としての側面があります。  日本で初めて「システムとしての法に基づく統治機構」が登場するのは奈良時代を待たねばならず、それ以前の飛鳥時代や古墳時代では大和平野だけをみても幾つかの王と王権(豪族とそれらの連合体的組織)が並存し、また瀬戸内海の吉備地方にも吉備氏などの豪族が統治していた形跡もみられ形となっていて必ずしも「統一政権」の体をなしていたとはいえません。  こうしたことを書きますと、右の方からは必ず学術的に根拠の薄い反撃がなされますので詳細には書きませんが、現在の天皇家も元々は飛鳥地方から三輪地方にいたとされる豪族の一つだったとされています。質問者様のニュアンスからは「ヤマト政権」が「大和朝廷」へと進化したものとのご理解がうかがえますが、実際の時系列として整理するならば、「ヤマト政権」>「律令体制」の順番で進化したととらえることが現在の歴史学ではスタンダードな理解です。  また「ヤマト」の呼称ですが、これは例の邪馬台国の問題とも関連し、畿内説(近畿地方の大和平野)と九州説(九州北部から関門海峡を挟んだ長門国あたり)でそれぞれに「大和」「山門」などの呼称があり何れとも結論は出ていないこともあります。別に出土遺物や遺跡の名称ではありません。

benkyouchu
質問者

お礼

詳細にありがとうございます 正確に知ることが大事ですね! 回答、感謝致します!

その他の回答 (3)

  • Verhalten
  • ベストアンサー率17% (36/201)
回答No.4

現在では大和時代は用いられていません。 それだけの事です。 但し、「大和朝廷」のは現在でも小中学校の学習指導要領で用いられています。 ヤマト政権も用いられます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E7%8E%8B%E6%A8%A9 朝庭の見解。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E5%BA%AD 推古天皇にそれを見い出せます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%A6%96%E9%83%BD >ヤマトとという言葉はどこからとったものなのでしょうか? 奈良県明日香村にそれを見出す事が出来るでしょう。

benkyouchu
質問者

お礼

 ありがとうございます 感謝致します。

回答No.3

邪馬台国の卑弥呼実在人物です。

benkyouchu
質問者

お礼

ありがとうございました!

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

学んだと?誰から?いつ?どこで?なにから?どうやって? もっと分かりやすく説明してください。誰も質問者さんの学歴も年齢も居住地も何も知らないのですよ。 そもそも歴史用語は、神が与えたもうものではありません。歴史学者を自称する多くの人たちがそれぞれ好き勝手にここの歴史用語を生み出して、それが人々に受け入れられたら生き残り、そうでなければ誰からも忘れられて廃れる。 ヤマト政権も大和朝廷もそうした歴史用語の一つに過ぎません。昔はヤマト政権などという歴史用語は存在しませんでした。いつ頃からか、その時代はまだ大和朝廷と呼ばれる段階に達していないとしてヤマト政権という用語が生み出されて、それがいつしか定着して現代に至ります。 ヤマト政権と大和朝廷の関係が歴史の授業などでどう教えられているか。それは時代によってまちまちなのです。 なんども繰り返しますが、誰も質問者さんがどうやって日本の歴史を学んだのか何も知りません。 話は変わりますが、カタカナの起源は九世紀初めに万葉仮名の省略型として生み出されたといわれていますが、現代に至るような字体に落ち着いたのは12世紀といわれています。ですから出土品にカタカナなどは使われている道理はないのです。 当の大和朝廷は、ヤマト政権とも大和朝廷とも名乗っていません。他に比較できる存在があったわけではないので、わざわざ区別する必要が無いのです。どれもこれも近現代の自称歴史学者が勝手に命名した名前に過ぎません。 もともと大和朝廷は邪馬台国と区別したい現代人の都合で生み出されました。しかし邪馬台国と大和朝廷の関係がわかりません。継続性があるのかないのか。論者によって諸説紛々。 そしてヤマト政権は大和朝廷と区別したい現代人の都合で生み出されました。文字の歴史からいうと先に漢字が存在し、後から万葉仮名からカタカナが創案されたのですが、ヤマト政権と大和朝廷の関係は順番が逆で、先に漢字未満のヤマト政権が存在し、その形態が確立されたことによって、カタカナから漢字に代わって漢字化した大和朝廷になったといったイメージを持たせる為にヤマト政権という歴史用語が発明されたのです。 このように歴史用語とは自称歴史学者が無知蒙昧な現代人の印象を操作する為の道具に過ぎません。それだけの話なのです。 いずれにしても歴史学者には2つのタイプがいます。天皇のイメージを過大に植え付けようとする右派と天皇のイメージを過小に植え付けようとする左派です。 自称歴史学者が歴史を志す目的には、その2通りしかないのです。そういう欲望、欲求、願望を果たす為に彼らは歴史を志して、歴史学者としての権威を高めようと努力し、無知蒙昧な大衆を惑わすのです。 なんのことはない。魏志倭人伝で鬼道で統治したといわれる卑弥呼と同じような話。 日本人のレベルは、邪馬台国の時代から何も変わっていない。日本にはいまだに学問が存在しない。

benkyouchu
質問者

お礼

回答ありがとうございます! 感謝します。

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