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明治期の国史に描かれた韓国について

明治期の国史眼などの書物にはスサノヲが元々韓国の支配者であり、それが日本の天皇の祖先であるといった内容が書いてありますが、 これは、明治期の国史では 日本の天皇の祖先が韓国の支配者=韓国が日本に併合されるべきである という考えであったと解釈しても良いのでしょうか? そもそも、明治期の国史では韓国はどのように描かれていたのでしょうか?

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noname#148810
noname#148810
回答No.6

>日本の天皇の祖先が韓国の支配者 >韓国が日本に併合されるべきである そういう理論になるのが不思議で滑稽w もっとも当時はそれが都合が良かったのでしょうね。 古代における位置づけは中国>韓国>日本です。 文化が最も栄えて富んでいたのは中原です。 これは今の華北のことですね。 韓国は未開の蛮地、日本は更に僻地です。 紀元前3千年頃は神農氏朝鮮族が中国を支配。 やがて朝鮮族は東に移っていき、今の韓半島に居住を始めます。 ここで部族間で争いが起こり、敗走した一族がいます。 それが今の日本の皇族です。 韓国の支配者なんて噴飯ものの笑い話なのがよく分かる。 例え敗走しても青銅の武器や弓矢、馬などがあります。 戦闘なれもしていたので海を渡って日本へ。 縄文原始人を蹴散らすのは容易かったでしょう。 こうしてあっさりと古代日本の盟主になってしまったのです。 しかし、支配を継続するには如何せん歴史が浅い。 そこで壇君神話にその知恵を求め、 それを基にして作られたのが日本神話です。

回答No.5

>日本の成立は韓国を経由した渡来人であったということでしょう。 >日本民族は大陸から韓国を経由した弥生人と、フィリピンから経由した縄文人との混血です。 >つまり先住民であった縄文人の土地を弥生人が奪った形になります。 横になりますが、これって明治期から言われていたのでしょうか? そもそも、渡来人というのは戦後できた言葉ですよね? 現在では、古代の日本のほうが、鉄器、稲作、人口すべてにおいて先進地帯で、半島は人口密度の少ない後進地帯となっていることがわかっていますよね。 言葉にしても、古代日本語は数万とのこっているが、古代朝鮮語は100も残っていません。 百済や新羅にしても、日本と中国の資料だと、倭人が建国し貴族として倭人が君臨していたわかっています。 それなのに何故、渡来人が弥生人となって、征服された先住民が縄文人となるのでしょうか? 征服された日本の言語や風習しか残らずに、何故、征服した渡来人の風習は日本には残っていないのでしょう? 人口も多く、武器も優れた民族を、すべてに劣った民族が海をわたって征服することがあるのでしょうか? 考えるべきは逆なのでは? 弥生式土器にしても日本のほうが時代が古いですよね? >大国主→国を追われた縄文人 >アマテラス・スサノオ→後からやってきた弥生人 >として説明してるのでしょう。 >そこで日本書紀などでは、大国主はアマテラスをはじめとした高天原の神々に国を譲った・・・という> 形にしています 縄文人も弥生人も時代が違うだけでなのでは? 普通に考えると、アマテラス・スサノオが普通に周辺を征服して国を築いていく過程に過ぎないのでは? そもそも弥生人弥生時代って紀元前1000年~からですよね? 中国に鉄器が普及する前に、、朝鮮に住んでいた渡来人が鉄器を発明して日本を征服したってことなのでしょうか?

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.4

>明治期の国史では韓国はどのように描かれていたのでしょうか? 明治期の国史だけでなく、今でも南北朝鮮を除いて同じです。 「歴代、韓国王朝は中国の属国・植民地」 今でも、中国に対しては「謝罪しろ!賠償しろ!黄海を西海に名称変更しろ!」と言いませんよね。 DNA的に、歴代中国の影響下にあった事認識しているのです。 特に、朝鮮という国号は「明国の太祖が、高麗王朝を謀反で滅ぼした李成桂に与えた国号」です。 そして、初代朝鮮国王に李成桂を任命していますよ。 この中国皇帝による歴代朝鮮国王任命・支配は、1895年に史上初めて(朝鮮半島での)独立国家になる韓国誕生まで続きます。 1895年。下関条約第1条「清国は、朝鮮の独立を承認する」 明治政府は、朝鮮国王・朝鮮国民が望まない「独立」を日清戦争で果たしてしまいました。 国王・国民が望んでいないのに、勝手に独立国にした訳です。 結果、国王・国民は「今度は、ロシア帝国の属国・植民地」になる事を望み、ロシア皇帝も南下政策上望みを受け入れます。 ここに、日露戦争が勃発。ポーツマス条約により、韓国の独立は決定的になります。 が、韓国国王・国民は「独立を望まない」状況で韓国併合になります。 (韓国皇太子は、日本に留学) イギリス・アメリカなど先進国も、韓国併合を容認。 以上が、明治期の歴史観ですね。 平成の世でも、基本的には同じです。 中国でもEU諸国でもアメリカでも、韓国の歴史は同じです。 数十年前、韓国の留学生が「韓国の歴史は、私が習ったのと異なる」とUCLA教授に抗議しました。 すると教授は「フィクションには、興味は無い」と一蹴した事実がありますよ。 確かに、「物語韓国史」は本家三国志に勝るとも劣らない小説です。 韓国学会では「漢字・製鉄・稲作は、朝鮮(韓)半島から近隣諸国に伝播した」と発表しています。 ここまで来ると・・・。

  • mekuriya
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回答No.3

明治期の歴史観は一つではありません。例えば日ユ同祖論を唱える論者もいて、百家争鳴です。それには3つの背景がある。1は徳川幕府の言論弾圧がなくなったこと。2は日本が近代的国民国家に生まれ変わるにあたって大衆レベルで日本、日本人論に対する関心が高まった。3は江戸時代以前の木版印刷技術から明治時代に活版印刷の技術革新によって出版が盛んになった。木版印刷というのは版画みたいなもので文字を裏返しに彫るという職人芸によって版木が作られました。活版印刷は活字を並べ替えるだけですから、はるかに出版が容易になったのです。 答えはそう考えた人もいたでしょうし、様々に描かれたというだけの話です。泡沫候補が乱立する東京都知事選みたいなもの。「国史眼」というのは、そういう題名の書籍が出版されたというだけの話であって、古代の日本書紀のような正史という訳でもないのです。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6195)
回答No.2

 当時の資料では『韓国が日本に併合されるべきである』とは触れていません。 日本の成立は韓国を経由した渡来人であったということでしょう。  日本民族は大陸から韓国を経由した弥生人と、フィリピンから経由した縄文人との混血です。  つまり先住民であった縄文人の土地を弥生人が奪った形になります。 それを日本書紀などでは  大国主→国を追われた縄文人  アマテラス・スサノオ→後からやってきた弥生人  として説明してるのでしょう。  そこで日本書紀などでは、大国主はアマテラスをはじめとした高天原の神々に国を譲った・・・という形にしています  強引に土地を奪ったとはかけませんからねw  で、殺して土地を奪ったはいいが、死者の恨みが怖いからという理由で作ったのが出雲大社です  つまり日本民族を学術的に説明しただけのことでありそこに政治的意図は含まれていません。 ただし韓国側は  日本の天皇の祖先が韓国の支配者=日本が韓国に併合されるべきである   と主張しています  ただ細かいようで申し訳ないのですが韓国の建国は1945年8月15日です。 明治時代に韓国という国は存在していません。  明治は。1868年1月25日(明治元年1月1日)から1912年(明治45年)です  そうなると正しくは李氏朝鮮 1392年~           大韓帝国 1897年10月12日~1910年となります  李氏朝鮮時代は清の属国でしたから(清の一部)なので基本『清』として認識です  独立したのは『大韓帝国』でありこれは李氏朝鮮が独立後使用していた国号です 後、明治期の国史では韓国との質問ですが これは当時の江華島事件以降、韓国世論も右往左往しており、時期によって全然異なります。それでも端的にいうなら、隣国の小国が、欧米の脅威から自国を守る為に、日本様助けてくださいとゴマをする小国家・・・という感じでしょうか?

回答No.1

韓国は日本人のおかげで初めて歴史上独立させてもらえたのですよ。 今の韓国のドラマはウソねつ造だらけです。

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