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盧溝橋事件について
日中戦争の始まりのきっかけである盧溝橋事件の原因は夜中の演習による兵士の消息不明であると教科書では伝えられていますが、他の国によると盧溝橋事件は仕組まれた事件であると書いていますが、実際はどうなのでしょうか?
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この事件にはいろいろな説がありますね。 【盧溝橋事件の発端】 1937年(昭和 12)7月7日夜蘆溝橋の北で 夜間演習中の日本軍中隊長清水節郎大尉が実弾射撃の音を聞き、 兵1名が不明となった(まもなく帰隊)ことから戦闘態勢に入り、 翌8日夜明けに中国軍陣地を攻撃して戦闘にはいった。 【エスカレート】 この衝突はわずかの間に華北全域に広がり、 やがて上海にも飛び火、中国全土を巻き込んだ戦争へと発展していきます。 これから8年間も続くことになる日中全面戦争の始まりです。 なぜ発砲事件が起きたかはいろいろな説があり、 現在も謎となっています。 【日本軍の謀略説】 この事件は数々の謎があります。これが日本軍の謀略の根拠とされます。 「軍事演習」 なぜ深夜、日本軍は軍事演習をしていたのか。 不自然ではないか。 「発砲」 日本軍が撃たれたというのではなく、発砲の音がしたというだけで、 中隊長清水節郎大尉、大隊長一木清直少佐、連隊長牟田口廉也大佐の三人が、 攻撃を許可してしまったのか。 前面戦争の危険があるのになぜ安易に攻撃をしたのか。 「北支事変」 停戦協定により現地はいったん収まったのに、 軍中央および政府は同じ日に政府は「重大決意」を声明し、 事態を「北支事変」と名付けて事 実上の戦争として扱い、派兵を決定してしたのか。 この不自然が日本軍の謀略説の根拠となっています。 【中国の発砲説】 志村二等兵が道に迷って中国軍陣地に接近したために中国軍(第29軍)兵士の発砲が引き金になったというものです。 中共発砲説は金振中証言が元になっています。 「日本軍が我が陣地の100メートル以内に進入したら射撃してよい」 という命令を下したのは金振中自身認めています。 数々の謎がこの事件にはあります。 下記のサイトに詳しく載っていますので、 是非お読み下さい。
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- GratefulDead
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あるエピソードを。。。 牟田口廉也中将といえばあの悪名高いインパール作戦の指揮者として有名です。その作戦策案中のころ、無謀な作戦内容に参謀達が作戦中止を求めますが、その参謀達に牟田口がインパール作戦に掛ける意気込みとして次のように語ったと言われています。 「自分が盧溝橋事件を仕掛け日中戦争を開始したがここまで泥沼化し皇軍の威信を失墜させてしまった。なのでインドまで侵攻するインパール作戦を実行・成功させることで皇軍の威信を回復させるのは自分の使命だ」 限りなく黒に近いですな。。。
お礼
詳しいところまで教えてくださってありがとうございました。 できたらインパール作戦まで詳しく教えてくれませんか?
- Slegger-Law
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演習中の部隊が謎の銃撃を受けた後、兵士(志村二等兵)が一時行方不明になった事件は、実際に起きているようです。 事件時の詳しい経緯は、下記の本が詳しいです。検証も試みています。 牟田口連隊長が攻撃命令を出すきっかけになった謎の銃撃については、中国側の偶発的な発砲や、日本陸軍・中国共産党の陰謀とするなど様々な説があるようですが、現在でも結論は出ていないようです。 「昭和史の謎を追う〈上〉」 秦 郁彦 (文春文庫) ・盧溝橋事件(謎の発砲者は誰か 中共謀略説をめぐって)
お礼
わかりました。 参考資料まで教えてくださってありがとうございました。
お礼
詳しく説明していただき、更に参考URLまで教えてくださってありがとうございました。