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蘆溝橋事件の始まりとは?
- 昭和12(1937)年7月7日午後10時40分、日本軍の支那駐屯歩兵第一連隊第三大隊第八中隊が、蘆溝橋の北側の永定河左岸荒無地で夜間演習を実施した後、休憩中に突如、実弾射撃を受けました。
- この事件は蘆溝橋事件(中国名、七七事変)として知られ、日中戦争の始まりとなりました。
- 休憩時間中に日本軍の誰かが空砲を撃ったという証言がありますが、それが本当の出来事であるかは不明です。
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質問文にあるとおり、当日は夜間演習(日本軍が敵同士に分かれる)をおこなっていました。その演習課目は「薄暮より敵主陣地に対する接敵及び黎明攻撃」であって、「敵主陣地」の敵兵役は当然日本兵が務めていました。 演習が一段落して休憩にはいったとき、第八中隊長が演習中止の伝令を各小隊長及び「敵主陣地」指揮官へ送ったさいに、「敵主陣地」側は、その伝令を演習の敵軍と見まちがえ空砲を発射したのです。演習ですから実弾ではなく空砲というわけです。 ちょうどそのころ龍王廟付近の堤防上では中国軍が工事をしており、彼らはその空砲音を実弾射撃と勘違いして日本軍に対し発砲した、という経緯のようです。 ただし、中国軍の発砲は第八中隊の一兵士が道に迷って中国軍陣地に近づいたため、という説もあります。 資料:岩波ブックレット シリーズ昭和史No.3『盧溝橋事件』江口圭一
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- yatiyochan
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> 私は盧溝橋事件は偶発的に起きた事件ではないと考えています。私の方にも物的証拠はありませんが状況証拠はあります。 > その夜、龍王廟付近の中国軍にも中国共産党員の中国兵がいたはずです。 > 一方、日本軍の支那駐屯歩兵第一連隊の中にも共産主義者の将校がいたのは間違いありません。彼らは満鉄調査部の天津事務所に出入りしてその職員との交流がありました。 > 私は盧溝橋事件は、日本軍と中国軍の共産主義者が、モスクワの指令を受けて、互いに連絡を取りながら計画的に惹き起した事件ではないかと疑っています。 これ等が状況証拠といえるでしょうか? 国民党軍の中に共産党の秘密党員がいたとして、龍王廟の中国軍にも共産党員がいた、というのは事実ですか? 支那駐屯歩兵第一連隊に共産主義者の将校がいたとして、彼が第八中隊の演習に具体的にかかわった事実がありますか? モスクワからの指令を中国共産党と日本の共産主義者が同時に受け取って計画を立てた、という事実はありますか? > 日本軍の中の共産主義者が空砲を撃って、中国軍の秘密共産党員に合図をした。 と書かれていますが、共産主義者であれ日本軍の中で空砲を撃ったのですから、そもそも『最初の質問』にある > 休憩時間中に日本軍の誰かが空砲を撃ったというのは本当なのでしょうか。そういう事実はありますか。 についてわたしは事実があります、と回答しています。また、私はすでに回答の中で 「見まちがえた」ということです。それ以外の可能性があれば新たに質問してください。 と書いています。本来の質問主意から外れる場合は新たに質問しなおすべきではありませんか? > 江口圭一(著)『盧溝橋事件』は、盧溝橋事件の真実を隠蔽するために出版された本ではないですか。 どのような資料であれ、まず読んでから批判することが大切です。左翼が書いたから云々という態度でどうやって真実を追究することが出来ますか? なお、同書から引用したのは、第一連隊、第八中隊当事者の回想部分であって江口氏の意見を書いたのではありません。まず、同資料を読んでください。 なお、盧溝橋事件に関して以前から中共陰謀説があることは承知しています。例えば、野口省己「支那事変拡大の真犯人」(『軍事研究』73年9月号)、相良俊輔「盧溝橋事件の謎を解く」(『歴史と人物』78年8月号)など。 ただ、今回の質問はそれらを検討することではありません。
お礼
政治、外交、戦争に関する書物は、著者及び翻訳者の思想、政治信条、立場、経歴、出版社の編集方針などを念頭に置きながら読まないと、まんまと嵌められる危険があります。大学教授という肩書を盲信するようなことがあってはなりません。充分な注意が必要です。ありがとうございました。
補足
>モスクワからの指令を中国共産党と日本の共産主義者が同時に受け取って計画を立てた、という事実はありますか? 今のところ証拠はありません。そのような記録は日本側も中国側も破棄してしまったでしょう。 ただ、旧ソ連の外交記録が未だに公開されず、眠っています。現ロシア政府は公開しようとしたのですが、中国が日本関係の記録は公開しないように申し入れたので、未だに未公開です。そこには,コミンテルンの指令文書が大量に保管されているはずです。それらが公開されれば、支那事変(日中戦争)のからくりが総て公になるでしょう。日本が侵略戦争をしたという中国の主張がひっくり返るでしょう。 また国民政府の記録も台湾で保管され、事件当時の日中関係の記録が秘密にされています。 モスクワからの指令を中国共産党と日本の共産主義者が同時に受け取って計画を立てた、というのは私の仮説です。間違いないと思っています。コミンテルンの文書と国民政府の記録が公開されれば明らかになるでしょう。 中国が日本関係の記録を公開しないように申し入れたこと自体が、状況証拠です。国民政府の記録がいまだに秘密にされていること自体が状況証拠です。 次の状況証拠は事件当時、中国共産党が発した長文の電報です。 ◆蘆溝橋事件の早い段階(7月8日)で陝西省延安にあった中国共産党が発信した長文のアジテーション電報には奇妙な箇所がある。「7月7日午後10時、日本は盧溝橋において中国の駐屯軍に対して攻撃を開始した・・この挑戦的行為の結果・・」と始まり、「・・全国の同胞諸君! 北平、天津危うし、中華民族危うし、全国民族が抗戦を実行してのみ、われらの活路あり! われらは進攻する日本軍に対し、直ちに断固反撃を加えるとともに新たな大事変に即応する準備を急げ・・」と檄を飛ばし、国民党軍には直ちに総力を挙げて日本軍と戦うように要求している。(7月8日、中国共産党中央委員会発信、中国名『七・八通電』、「為日軍進攻蘆溝橋通電」。) 日本軍が武器による反撃を開始したのは7月8日の朝5時半です。それなのに電報では、日本軍が7日夜10時に攻撃をしたと言う。この矛盾は次のことを示唆します。 (1)中国共産党が蘆溝橋事件を計画して共産党兵士を国民党軍(国民政府軍)の中に潜入させた。7日夜10時に日本軍を銃撃せよと命じておいた。(国民党軍第29軍(宋哲元軍長)の中に張克侠副参謀長以下の秘密共産党員又は共産党シンパがいた。) (2)長文の電文は事前に準備した。予定した7日夜10時の銃撃を、日本軍の銃撃であると“うそ宣伝”をして責任を日本になすり付ける計画だった。 (3)しかし現地で何らかの事情が発生して、共産党兵士は10時に銃撃できなかった。結果、銃撃は予定より40分遅れて10時40分に実行された。 (4)しかし準備された電文の「日本軍の銃撃時刻」は修正されることなく、そのまま発信されてしまった。 >なお、同書から引用したのは、第一連隊、第八中隊当事者の回想部分であって江口氏の意見を書いたのではありません。まず、同資料を読んでください。 連隊副官であった河野少佐(終戦時は大佐)の遺稿に、「当時の中国兵は空包を持たなかったから実弾と空包の区別が出来なかった」とありますが、私は江口は完全なウソを書いていると信じます。 本来の質問主意から外れてしまったのは私のせいですので、この点についてはお詫びします。質問を締め切ろうと思いますが構いませんか?
- yatiyochan
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補足質問ということですが、私は根拠資料を提示していますから疑問があればこの資料によってお調べになられてはいかがでしょう。「岩波ブックレット」なら殆どの公立図書館に備えてある書籍です。 > 資料の著者(江口)が「(演習の)敵主陣地側が伝令を演習の敵軍と見まちがえ空砲を発射した」と書いているとのことですが、「見まちがえ」たという証拠があるのでしょうか。それとも著者が勝手に見まちがえたのだろうと推測したのでしょうか。 演習というのは、仮想敵を発見したならば空包射撃するのが基本です。演習中止の伝令を出した後に空包射撃があったということですから「見まちがえた」ということです。それ以外の可能性があれば新たに質問してください。 > また、「(中国軍は)その空砲音を実弾射撃と勘違いして日本軍に対し(実弾を)発砲した」と書いているようですが、「勘違いし」たという証拠があるのでしょうか。それとも著者が勝手に勘違いしたのだろうと推測したのでしょうか。 これもまず同資料を参照されるべきでしょうが、当時同連隊副官であった河野少佐(終戦時は大佐)の遺稿に、当時の中国兵は空包を持たなかったから実弾と空包の区別が出来なかった、とあります。 これら一連の事件について「証拠」と言われますが、その証拠とはなにを指すのですか? まず物的証拠は何もありません。なにより中国側の証人は一人もいません。したがって日本軍側の清水中隊長や同中隊の部下らの証言に頼るしかないわけです。したがって当時の関係者の回想を状況証拠とする以外にない、と思われます。
補足
お示し頂いた江口圭一(著)『盧溝橋事件』は読んでみます。しかし・・ >まず物的証拠は何もありません。なにより中国側の証人は一人もいません。したがって日本軍側の清水中隊長や同中隊の部下らの証言に頼るしかないわけです。したがって当時の関係者の回想を状況証拠とする以外にない、と思われます。 私は盧溝橋事件は偶発的に起きた事件ではないと考えています。私の方にも物的証拠はありませんが状況証拠はあります。 当時、ソ連のモスクワを本部とするコミンテルンのスパイ工作活動(※)が(日本を含む)東アジアで活発に行われていました。中国大陸は無政府状態でしたから、なおさら活発でした。 中国軍(=国民政府軍。中国国民党の蒋介石がトップ。)の中にも共産主義者が潜入していました。彼らは中国共産党(毛沢東がトップ)の秘密党員でした。その夜、龍王廟付近の中国軍にも中国共産党員の中国兵がいたはずです。 一方、日本軍の支那駐屯歩兵第一連隊の中にも共産主義者の将校がいたのは間違いありません。彼らは満鉄調査部の天津事務所に出入りしてその職員との交流がありました。戦前は満鉄調査部といえば、企画院、東京帝国大学とともに日本の共産主義者の牙城でした。(日本軍の支那駐屯軍の参謀本部も天津にありました) ですから私は盧溝橋事件は、日本軍と中国軍の共産主義者が、モスクワの指令を受けて、互いに連絡を取りながら計画的に惹き起した事件ではないかと疑っています。日本軍の中の共産主義者が空砲を撃って、中国軍の秘密共産党員に合図をした。その合図をきっかけにして中国軍の秘密共産党員が最初の実弾を撃ってきたのでしょう。 中国軍に潜入していた共産党員は、日中両軍を戦わせるために日本軍と中国軍の両方に実弾を撃ち込んだのです。 モスクワの意図は、日本軍と中国軍(国民政府軍)を互いにヘトヘトになるまで戦わせて、 (1)日本軍の力を消耗させてソ連領に侵略する余力を奪い、ソ連の安全を確保すること。 (2)中国軍(国民政府軍)の力を消耗させて、中国共産党の党勢拡大を助け、中国大陸を共産化すること。 だったでしょう。 ※コミンテルンのスパイ工作活動:世界を共産主義化するための活動 江口圭一(著)『盧溝橋事件』は、盧溝橋事件の真実を隠蔽するために出版された本ではないですか。なぜなら、出版社の岩波書店は戦前も戦後も最左翼の出版社であること、著者の江口圭一はマルキスト(共産主義者)であること、がその根拠です。
補足
ありがとうございます。休憩時間に日本軍の誰かが空砲を撃った事実はあるようですね。 補足質問をさせて下さい。 資料の著者(江口)が「(演習の)敵主陣地側が伝令を演習の敵軍と見まちがえ空砲を発射した」と書いているとのことですが、「見まちがえ」たという証拠があるのでしょうか。それとも著者が勝手に見まちがえたのだろうと推測したのでしょうか。 また、「(中国軍は)その空砲音を実弾射撃と勘違いして日本軍に対し(実弾を)発砲した」と書いているようですが、「勘違いし」たという証拠があるのでしょうか。それとも著者が勝手に勘違いしたのだろうと推測したのでしょうか。