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柳条溝事件と蘆溝橋事件
日中関係史において、いずれも重要な事件である、柳条湖事件(1931年9月18日。九一八事変)と盧溝橋事件(1937年7月7日。七七事変)ですが、確か、30年前くらいは、それぞれ、柳条溝事件と蘆溝橋事件と呼ばれていたように記憶しています。これに関連して、以下の点をお教え下さい。 1)いつごろ、呼び方が、柳条溝事件と蘆溝橋事件から、柳条湖事件と盧溝橋事件に変わったのでしょうか? いずれも1980年代という理解で、正しいでしょうか? 2)この現象は、中国(大陸および台湾)でも、同じなのでしょうか? もちろん、上記の通り、この事件の呼び方自体が中国では異なりますので、「事件名」ではなく、「地名」についてお教え下さい。それとも、日本だけで起きたことなのでしょうか? 3)上記第2点とも関係しますが、このような間違いは、なぜ生じたのでしょうか? 4)このような間違いが、事件発生後、かなりの長期間(半世紀?)放置されていたのは、なぜですか? 重要な事件だけに、その理由がなかなか想像できません。 5)このような事態については、どこかできちんと整理されているのでしょうか(経緯・顛末など)? まとめた文献(Web上または書籍)があれば、お教え下さい。 特に興味があるのは、第4点です。以上、よろしくお願いします。
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1) 1980年の中国の歴史学会で、より適切な名称に変更す可きとの提案がされ承認されたようです。 3) 盧溝橋は日本の新聞記者の単純な勘違いでしょう。 柳条湖は地名としてはこちらが正しいようです。 4) こういう不適切は、意外に長く気が付かないものです。 探せばほかにも見つかると思います。 思い込みですね。 歴史認識の問題から中国でとりあげられ、分かったのではないでしょうか。
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- phantom1
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柳条溝事件と言う呼称は当時の新聞報道による誤記がそのまま定着したものです。事件が発生した場所は奉天(現瀋陽)北方の柳条湖付近ですので、柳条湖事件とする方が正確でしょう。盧溝橋事件については申し訳ありませんが存じません。
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。新聞報道は、安易に信用してはいけないということなのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。専門家ではない者としては、いきおい、「二次資料(三次資料・・・)」に頼ることが多いのですが、注意していきたいと思います。