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集落で多い苗字について
- 集落で多い苗字の背後にある歴史や家族のつながりについて考えてみました。集落内に同じ苗字の家が多い理由やその意味について探求します。
- 田舎の山間地域では、集落内に同じ苗字が多く存在することがあります。その背景には、広大な土地を相続し分家した家族のつながりがあるのかもしれません。
- 集落内に多く存在する同じ苗字の家には、歴史的な背景や家族のつながりが関係している可能性があります。これらの共通の苗字を持つ家は、遠い祖先の広大な土地を相続し分家した結果と考えられます。
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ある地域の実例を紹介します。 ある村のある地域のある小字Aでは、6件のうち隣接する4件が小字Aと同じ苗字です。 それぞれの家に尋ねてみますと、 ・遠い親戚かもしれないが、すくなくとも明治以降では親戚だという話は聞いたことがない。 ・どの家が本家かわからない。 とのこと。 明治にそれぞれが地名にちなんで同じ苗字を名乗ったのかとも思えますが、江戸時代の戸籍を調べてみると、 ・A1家は本家の子孫である。 ・A2家・A3家は江戸時代中期にA1家から分家した家の子孫である。 ・A4家はA1家に仕えた家の子孫である。 という事情が判明しました。 苗字については、明治に本家が知名にちなんだ苗字を名乗ったことから、他の家もそれにならったのかもしれませんし、江戸時代以前に名乗っていた苗字(もともとは地名由来かもしれませんが)を復活させたのかもしれません。 地域によっていろいろなケースがあると思いますので、一概にこうだと断定することはできないと思います。参考までに。
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- tanuki4u
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たぶん ボトルネック効果 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C http://www.math.sci.hokudai.ac.jp/~ohmoto/Classes/fw/rigaku3.pdf P15 屋号は農家では当たり前。 ※ 私の実家の方では、農家ばかりなので、全員が屋号で呼び合っていました。 うちの祖母の家は、その部落ができた時からの本家だったので ○○門、部落には三軒のみが門がついていた。古い家とのこと。(けど、戦前は小作人でしたが)○○ドンという屋号もあり、現当主にはその○○ドンとは関係なくても、分家した段階の先祖の名前をそのまま○○ドンと名乗っている。
お礼
勉強になりました。 ボトルネック効果についてはもう少し勉強したいと思います。 江戸時代に農民は屋号を持っていたんですね。 歴史の教科書では「明治まで農民は苗字が許されなかった」ということでしたが 屋号があったなら、実質それは苗字があるのと同じだったということですね。
- SPS700
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明治8年(1875)の平民苗字必称義務令で山間でもどこでも苗字は必要になりました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%AD%97 これは237年前のことです、1代を30年とすると約8代前です。言い換えれば仮に「上原」という1人の人に、同じ姓を名乗る息子が2人居て、それを8代続けると256名に増えます。 僕が知っている200戸ほどの村には、40種の姓がありますが、この川に沿って南東から北西にのびている集落には、苗字の上ではざっと3っつに分かれ、川上には、「上」ではじまる「上田」「上村」のような姓、中程には「中村」「中山」のような姓、川下には「下田」「下村」「下釜」のような苗字が多いのです。 また方角を意識した名前も多く「東」「西村」と言った名前もあります。この中心部には「宮崎」とか「山田」という姓の家が、集まって群をなしており、かつて「宮崎」や「山田」という名の人が、1人づつ移住して来た、それも8代より新しく移住して来た、というだけで説明が付きます。 纏めますと、集落外の人との結婚、移住などで多様化はしても、240年もたてば、自然に鼠算式に増えて、限られた土地では隣接地に分家する可能性もありますから、 「これらの共通の苗字を持つ家は、遠い祖先は共通のそれぞれの土地を相続されて分家した」と解釈できても、その土地に住み着いた人が必ずしも「広大な土地をもつ有力者」であったとは限らないのではないでしょうか。
お礼
兄弟も同じ集落に分家すればどんどん増えていきますね。 有力者でなくとも、親の近くに住みたいと願う人々の心が 集落内に同じ苗字の世帯を増やしたということでしょうか。
- misawajp
- ベストアンサー率24% (918/3743)
>でも、そういうつながりは語り継がないものか不思議です。 >住人に聞いても、大抵「うちとは関係はないね~」と答えます。 語り継がれるには、よほどのイベントでなければ、3代~100年程度です それ以前の分家なら、家系に興味を持っている者以外は、 大抵「うちとは関係はないね~」と答えます です そうではない人は数百人に一人程度です
お礼
同じ苗字が多いような田舎は、近所づきあいや、 つながりがもう少し密なので、そういう家系のことも知ってると 思っていましたが、案外、そういうことも無いんですね。
- mekuriya
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明治7年の平民苗字必称義務令です。それまで公家や武士だけに許されていた苗字を百姓も名乗ることが許されました。しかし田舎の山間地帯では文字が読める人は庄屋さんや僧侶といった限られた人だけでした。苗字といわれても何も思いつきません。漢字など誰も読めない。今だって活字が印刷された書物はカレンダー以外何も無い家庭だって珍しくない。当時は、ネットもテレビも新聞も何も無い時代です。一生、漢字に触れる機会がないのです。困った困ったと懸命に百姓が振り絞った知恵が庄屋さんやお坊さんに苗字をつけてもらうことだったのです。 だから分家でも親戚でも何でもない。庄屋さんや、お坊さんが面倒くさくなって、まとめて苗字をつけただけです。個別の事情は当時、数万もあった村ごとに違います。ですが、大雑把な話はこんなところです。
お礼
庄屋さんや、お坊さんに苗字をつけてもらったという話しは よく聞きますね。 それ以来、約150年の歳月が流れても、当時の村の構成はあまり変わらず その子孫が平成の今も住んでいるというのが感慨深いです。
- rimurokku
- ベストアンサー率36% (2407/6660)
No.4です。 >その集落付近には、祖先の家と他は数件しかいない集落だったのかと疑問に思います。 戦いに負けて落ち延びた一族や、村八分になった家族が、人里離れた山奥を切り開き子孫を増やしていった事も有ったようです。
お礼
高校時代に地理で「隠田百姓村」の話しを聞いたことがあります。 そういう場所もあったということですね。 実際、多かったのでしょうか?
- 植松 一三(@jf2kgu)
- ベストアンサー率32% (2268/7030)
No2です 屋号とは 例えば店の名前です 有名なのが歌舞伎の中村屋などです、 名字が一般庶民にゆるるされていなかった時の通称で付いていた物と考えて良いと思います
お礼
ありがとうございます。 店の名前というのはわかりますが 江戸時代、特に何かの商売をしていたわけではない農民の家にも 「屋号」はあったということでしょうか?
- rimurokku
- ベストアンサー率36% (2407/6660)
名主が面倒がって、農民に名字を付けるときに全部同じ名字にした地域も有ったと聞いています。 しかし、殆どは元は全員同じ祖先で何代もに渡って分家などを繰り返した為に、関係ないと思っている人が多くなっているのでしょう。
お礼
同じ祖先というのが、個人的にはしっくりきます。 ただ、どのくらい昔かは知りませんが、 その集落付近には、祖先の家と他は数件しかいない集落だったのか と疑問に思います。
- misawajp
- ベストアンサー率24% (918/3743)
もともとは一族でしょう しかし長い年月が経過したため、昔のことや近い親戚以外は忘れられてしまったものと思われます #1のようなことも無い訳ではありませんが、多くの場合、江戸時代に苗字を名乗ることが認められなかったときにも、苗字は代々受け継がれてきていました 明治になって苗字を名乗ることが認められたとき、その代々受け継がれてきた苗字を名乗りました ですから、ルーツは一族の可能性が高いです
お礼
やはり、ルーツは同じ一族なのでしょうか? 考えれば隣どおしなのに、「関係ない」なんて不思議ですからね。 でも、そういうつながりは語り継がないものか不思議です。 住人に聞いても、大抵「うちとは関係はないね~」と答えます。
- 植松 一三(@jf2kgu)
- ベストアンサー率32% (2268/7030)
私の故郷でも 一つの部落がほとんど同じ名字で それ以外の名字の家は2,3件でした100軒ぐらいある部落でです どうしていたかと言うと、屋号を使っていました 底はほとんどが親戚でした
お礼
100軒中、97、8件まで同じ苗字とはすごいですね。 私の知っているところはそこまでではありませんが 集落に代表的な苗字が一つ、二つあるという感じです。 すみませんここでおっしゃられてる「屋号」とはなんです?
- waltz-of
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江戸時代から明治に変わる時名字を持つことが農民に許されました しかし農民はどんな名字を持てばよいかわからないからお寺に行き住職に名字を決めてもらうことにしました 大木がありその周辺に住んでいるいる人は木下 川のそばならば河辺など あまりにも名字を変える農民が多いから住職は面倒になり坂の辺りにある農民がまとめて坂本とかです なかには自分で名字を変える人もいて源平藤橘など有名で各がある名字に変えたり昔の戦国武将の伊達政宗からとり伊達を名乗ったりしました 集落一帯で同じ名字があるのは先祖がみんな農民だったからです
お礼
まとめて同じ苗字にしたということもあったのですね。 集落の中に何件か「藤原」姓が混じってるのをみると なるほど源平藤橘からとった家もあったのかと思いました。 確かに、山間部の集落はおそらく昔から祖先は農民だったと思います。 ありがとうございました。
お礼
そういえば 集落内に何軒か、字名(集落名)と同じ苗字がありました。 字〇〇の〇〇さん。 同じなのが不思議でした。 また、集落を流れる川の名前と同じ名前が苗字になっている家もありました。 (やはり家はその川に近い場所です)