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コンピュータが人間を上回ることはありえない

コンピュータが人間を上回ることはありえない なぜならそのコンピュータを作ってるのは人間だからだ という意見がありますが、なにか違和感があります。 では 人間と虫は? 人間には 虫は絶対作れませんよね コンピュータが人間を上回ることはありえない なぜならそのコンピュータを作ってるのは人間だからだ という意見は論理的ですか?

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noname#194996
noname#194996
回答No.18

NO.12 です。前回の回答はちょっと不明瞭だったかもしれません。 もう一度回答します。 前回答よりましなものになりますでしょうか。 前提 車が早く走るようにという目的で作られるように、ラウドスピーカが大声を美しく出せるべく工夫されるように、コンピュータには何が期待されているのかといえば、究極には人間を上回る知恵が出せるようにという目標に向かって開発がなされてきたと私っは思っています。すでにその片鱗というか基礎体力は相当のものがあるようです。記憶力の大きさ、計算能力の速さなどでしょう。そういったものは既に人間の能力をはるかにうわまわっていることも事実です。しかし、それだけでは人間を上回ったとはいえないと思います。いくらチェスやら将棋で世界一になっても、そのひとを世界最高の人間だとはいえないわけです。コンピュータが求められているのは、人間を上回る総合的知性、つまり人間が発揮できない高度な知恵が自在に出せるということでしょう。人工知能の目標はそういった知恵を持つことで、人間との会話を通じて、あるいはカリスマ的な指導者になって人間以上の知恵を出すことで人間が直面する様々な危機に対応し、切り抜けていくということを期待されているのだと思います。もちろん総合的知性というものがどんな可能性を持っているのか、あるいは芸術に、あるいは未知の科学にその才能をはっきするかもしれませんが、当面の必要性は前記の政治的な未来科学、危機管理とでもいうほどの分野だと私は思います。 ここで私が疑問に思ったのは、人間の知性を上回る知性とはどういうものなのかということです。それは多分人間の能力を超えて、比喩的にいえば神に通じるレベルの知性だと思います。そういったものを人間は具体的に想像することはできません。ただ人間の能力を上回る知恵が発揮できるようなコンピュータをつくる、という目標がたてられるだけのことで、それは何なのか?それを実現するにはどうすればいいのか?ということは原理上人間にはわからないわけです。わからないものを作ることはできない、というのが私の結論です。 高速で加減算できる論理回路を無数に作っっていけばそれが実現できるのか、無限に近い記憶能力を実現すればそれが出来るのか?答えはのーでしょう。とりあえず人間がどうやって考え、どうやって複雑な問題を解いているのか、そのメカニズムを様々なソフトで実現し、更には学習能力のようなものまで実現していますが、人間がどうして自我を獲得するのか、自立して考えるにはどんな構造が必要なのか、そんなところはまだまだ未解明のようです。そういったところが解明され、自立した考えを持ち始めたコンピュータが、果たして人間を上回る思考能力を発揮し始めるものか?わたしは そうはならないと思います。というのは >なぜならそのコンピュータを作ってるのは人間だからだ ということです。 「人間を上回る思考能力が発揮できるメカにズム」が解明されたということは、既にそのレベルに人間が到達しているということにならないでしょうか?  でもそれは原理上できないでしょう。とうのは、それはくどいようですが「人間を上回る思考」だからです。 ちなみに >人間には 虫は絶対作れませんよね これは、作れると言っていいと思います。コンピュウータと機械を組み合わせて、昆虫程度の能力の自立機械を作ることは可能だと思います(スパイ用の無人飛行機の類です)。ただ、生身の虫のようにコンパクトにはできないとおもいますが。

fasdlqwirw
質問者

補足

>これは、作れると言っていいと思います。コンピュウータと機械を組み合わせて、昆虫程度の能力の自立機械を作ることは可能だと思います(スパイ用の無人飛行機の類です)。ただ、生身の虫のようにコンパクトにはできないとおもいますが。 無理無理

その他の回答 (17)

  • SPROCKETER
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回答No.17

 相談室で議論するのはやめてください。トラブルの元です。  16番さんへの回答ですが、 1.「保存するデータ」を保管しているのは誰でしょうか?  去年亡くなったスティーブ・ジョブズが話していたそうですが、パソコンは自転車のようなもので、人間が手入れしないと使えない道具なのだそうです。  確かに、データを保存したり、保管しているのは人間ですが、人間の記憶力と比較した場合、長期的なデータ保存が出来るコンピュータとは対比出来ないでしょう。 2.身辺にいる人としかコミュニケーションが可能と断定するのはどの様な根拠からでしょうか?  人間は声による会話しか出来ないのに対して、コンピュータは遠距離通信手段を持っているという意味です。電話を使えば、人間も遠くの人と会話出来るというのは、電話という機械を使っているのを忘れた発言で、機械を使わずに人間が会話出来る範囲は極めて限られています。 3.これまでの「情報伝達」の歩みを見る限り、不特定多数を対象とする情報伝達の手段に「文書を含めての“言葉”」が主要な役割を果たしてきたことは明らかですね。近代以降、通信手段は前近代の「お触れ」や「告示」から電信・電話そしてインターネットと進化し、誰でもが情報を発信できるようになってきたことも一面の事実ですがインターネットもその「手段」の一つにすぎないのです。これだけは確かな事実です。こうした「変化」をもたらした要因は「社会構造の変化」が作用している点を見落としては「本質としての人間の進歩」を認識することはできないでしょう。  文書や言葉が社会を変えたわけではありません。コンピュータが無かった出版の時代は出版物になるまでの前段階でさまざまな規制や圧力で内容が改竄され、自由な発言が出来ない時代が長く続きました。特定の演出や表現しか許されないなど、厳しい報道統制までありました。  コンピュータが普及し、インターネット社会になり、こうした事前検閲が時間的に不可能になって、自由な書き込みが認められるようになってから、社会構造の変化が始まっています。文書や言葉で世の中が変わるのであれば、コンピュータもインターネット社会は必要なかったでしょう。 4.コンピュータが「認識」「思考」「創造」という営みを習得できるかはまだ疑問の余地があると僕は思いますよ。  すでに基本的な面では実現しています。人工知能が認識に成功していますし、デジカメなどで応用されていますよね。研究段階では、ある程度の思考も出来るようです。創造は、まだ無理のようですが、模倣が創造に結び付く可能性は残っています。  コンピュータと人間の違いは大量の情報を処理する能力の違いに過ぎず、人間は特別でコンピュータとは違うという考え方は、すでに過去の遺物になっているように思います。  その証拠に、歌詞を与えれば歌うソフト、動物の鳴き声を翻訳するソフトなども実現しましたし、今後も人間の能力を超えるソフトが開発されて、世の中を変えていくと思います。

  • TANUHACHI
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回答No.16

 まだ空いている様ですね。No.15の方に質問です。「記憶能力が卓越して人間を超えています。人間は10年前に読んだ文章を1文字も間違えずに思い出すのはほとんど不可能ですが、コンピュータは古いデータでも保存状態が良ければ正確に再現出来ます。文章だけではなく、絵や写真、映像、音楽など、人間を遥かに超える記憶力、情報再現能力を持つ機械です。 人間は身の回りにいる人としかコミュニケーション出来ませんが、コンピュータはインターネットを通して世界中とコミュニケーションが可能です。通信能力でも人間を遥かに超えています。」とありますが、ではその「保存するデータ」を保管しているのは誰でしょうか?。そして身辺にいる人としかコミュニケーションが可能と断定するのはどの様な根拠からでしょうか?。  これまでの「情報伝達」の歩みを見る限り、不特定多数を対象とする情報伝達の手段に「文書を含めての“言葉”」が主要な役割を果たしてきたことは明らかですね。近代以降、通信手段は前近代の「お触れ」や「告示」から電信・電話そしてインターネットと進化し、誰でもが情報を発信できるようになってきたことも一面の事実ですがインターネットもその「手段」の一つにすぎないのです。これだけは確かな事実です。こうした「変化」をもたらした要因は「社会構造の変化」が作用している点を見落としては「本質としての人間の進歩」を認識することはできないでしょう。  コンピュータが「認識」「思考」「創造」という営みを習得できるかはまだ疑問の余地があると僕は思いますよ。

  • SPROCKETER
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回答No.15

 コンピュータは人間を上回っていますね。まだ、人間を超える能力を発揮している分野が少ないだけで、これからは、ますます分野を広げて人間の能力を超えて行き、最後はほとんどの分野で人間の能力を超えるまでになるかもしれません。  コンピュータが人間を超えているというと、計算能力だけだと考えている人が多いですが、計算能力だけではありません。記憶能力が卓越して人間を超えています。人間は10年前に読んだ文章を1文字も間違えずに思い出すのはほとんど不可能ですが、コンピュータは古いデータでも保存状態が良ければ正確に再現出来ます。文章だけではなく、絵や写真、映像、音楽など、人間を遥かに超える記憶力、情報再現能力を持つ機械です。  人間は身の回りにいる人としかコミュニケーション出来ませんが、コンピュータはインターネットを通して世界中とコミュニケーションが可能です。通信能力でも人間を遥かに超えています。  コンピュータは必要ならば、昼夜を問わず、休まずに連続運転を続けるのが可能ですが、人間は休まなければ死にます。コンピュータの集中力は常に同じですが、人間の集中力は時間と共に変化して安定しません。コンピュータは信頼性が高い機械と言われるのも、その為です。  コンピュータ上で動いているソフトウェアは同じ人間でも優秀な人が大変な努力を重ねて製作したプログラムです。それも一人ではなく、多くの人間が力を合わせて作り上げたものです。個人の能力と比較するのであれば、コンピュータが普通の人間の能力を超えるのは当然です。  コンピュータはソフトウェア次第では、どんな処理でもこなせるものです。人間には得手不得手があり、コンピュータのようにオールマイティな事は出来ません。  コンピュータは情報技術を集約した機械です。百科事典の知識にかなわない人が、コンピュータが人間の能力を超えないと言うのは無理があるのではないでしょうか。現在のコンピュータでは百科事典の情報量はHDDの一部の僅かな記憶容量でも十分に収まります。人間との違いは明白なのです。  コンピュータが人間を超えられないと言っていたのは、せいぜい16ビットパソコンぐらいまでで、現在のパソコンは人間の生活に必要不可欠なものになっているように思います。コンピュータが無ければ何も出来ない時代になっていると言っても良いぐらいではないでしょうか。

  • TANUHACHI
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回答No.14

 No.9です。一つ書き忘れましたが、比較する対象に無理があるのではないでしょうか?。 「人間には 虫は絶対に作れませんよね」と最初に「有機質」のモノをとりあげ、その一方で「だからコンピュータが人間を上回ることはありえない。なぜならそのコンピュータを作っているのは人間だからだ」と比較する対象を「無機質」である機械にしている。  もしかしたらいずれは人間が「人為的に生命を作り出す」可能性もあります。それは地球上に初めて生命が誕生した時の様子を現時点では既に検証しつつあることにも起因します。単細胞から多細胞へと進化し、それがやがては生物の形(とはいっても最初はバクテリアのレベルですが)となる過程も実験室の中では目にすることも可能です。  しかしながら「無機質」の典型でもある機械ことにコンピュータはいってみれば「信号装置の巨大な集合体」であり、構造は単純です。そこに道具や装置としての機能を与えるのは最後まで「プログラム」であり「手順」です。コンピュータ自らが進んで判断を下すことは先ずないでしょう。たとえばコンピュータが進化したとして、裁判所の法廷にコンピュータのモニターとスピーカーのみが置かれ、抑揚のない言葉で被告人に対してただ一言「法律第何号に記されているので、被告人に死刑を申し渡します」などと言われたら、どの様に感じるでしょうか?。  どなたかが「実は”人間”って、そんなにすごくは無いんですよ」と細胞レベルの話をされていますが、人間を生物として見た場合と「哲学的存在」あるいは「社会的存在」と見た場合では話の内容が異なります。  後者の実例が「失敗から学ぶ」との「人間の知恵」の特性を一言で表現しています。生物としての人間が怪我や病気で輸血を受ける場合を考えてみましょう。A型の人間にB型の血液を輸血した場合にどの様な事態が起こるでしょう。最悪の場合には生命の危険すら伴う可能性もあります。そうした事柄を人間はこれまでに数多くの臨床実験などで学びまた現実としても遭遇してきました。つまり「失敗から学ぶ」との原則はこうした事態から生み出されてきた智恵と呼ぶこともできます。何も「全てにおいて成功する、サクセスストーリーの主人公になること」だけが、「すごいこと」とは限らない。逆に「なぜ、このような事態が発生したのか、発生させてしまったのか」の原因をとことん突き詰めることができることの方が、結果としての「進歩」の根底にあり、進歩そのものを支えてきたともいえるでしょう。  コンピュータは確かにDNAの解析まで行いましたが、それだけで「人間の全てを解明できた」と言いきれるモノかどうか、少なくとも僕にはイエスと断言できるほどの根拠と自信はありません。仕事としてコンピュータのシステム構築に携わってもいますが、他方では現場の声をどれほど多く集約できるかの方が「使い勝手の良いシステム設計」につながることも経験しています。コマンドや命令の与え方を知っているだけではプログラムを組むことは困難です。  もっと卑近な事例を挙げれば、今年を象徴する言葉の一つでもある「想定外」があります。この言葉は「コンピュータリゼーション」の脆弱性を見事に表してもいます。システム構築をする場合には「考え得る全ての可能性」を先ず列記し文書化することから始め、それを分析した後に実際のプログラム構成に入る。つまりこの時点で「想定から外れたモノ」は最初から「予期せぬこと」と同質のモノになります。原発で発生した水素爆発の際に「なぜ水素が装置の内部に充満し漏れ出したのか」との疑問に「そうした出来事は“絶対に”ありえない」として「想定外」の扱いにした。これは外国では「考えられない」ことであっても、日本では「常識的な結論」だそうです。こうした発想と類似しているとお考えになりませんか?。「完璧なシステム」など地球上のどこにも未だありません。もし「完璧」があったとしたら、ここまで人間が「なぜ進歩してきたのか」との疑問が成り立つことになります。

  • aokisika
  • ベストアンサー率57% (1042/1811)
回答No.13

人間の走るスピードを上回る自動車を人間は作りました。 人間の腕力を上回クレーンも作りました。 人間の胃袋の消化能力を上回る処理能力で有機質を分解する薬品も作りました。 単純な計算能力においてコンピュータはすでに人間を上回っています。 チェスや将棋でも、コンピュータは大部分の人間の能力を上回っています。 であるなら、条件判断などの「高度」とされるような能力で上回ることがあり得るかどうかについて、「人間が作ったから」あり得ない、というのは論理的な根拠にはなりません。 実際に高度な判断や芸術その他の能力において、コンピュータが人間を上回ることが可能かどうかは、私には判断できませんが、「人間が作ったからできない」というのは非論理的であると言わざるを得ません。

noname#194996
noname#194996
回答No.12

NO.11 です。 前回は勝手なことを書きました。回答にはなっていなかったかもしれません。 >コンピュータが人間を上回ることはありえない なぜならそのコンピュータを作ってるのは人間だからだ この文は以下のように解釈できます。 人間の知恵は人間を超える(たとえば神に近いもの)知恵(能力)を発揮することはできない。つまり人間以上の知恵を発揮する機械(コンピュータ)を想像することは不可能だ。 この場合、知恵というのは人間の範囲を越えては存在しないということです。人間は神という概念を想像(創造)しましたが、こうしてみると、あくまで今ある神は人間の範囲を超えてはいないということになります。 なんだかよくわからないけれど、神というものがあって、それは人間の知恵を越えた知恵を発揮するらしい。そういうものは人間には作れないし、未来永劫つくることはできないだろう。だからこそ神は尊いのだ。 そういった意味では、上記のドグマは論理的だと思われます。 人間に神を作れるでしょうか? 人間を越えた知恵ってなんでしょうか?

noname#194996
noname#194996
回答No.11

コンピュータが反乱を起こすというSFがありますが、この言葉がこういったことはありえないという希望的つーか楽観的つーか家父長的な封建的な意見の表明なのだと退けることは可能でしょう。 こういった気分は理解できます。コンピュータが政治の中枢にいすわって暴走を始めたら、原発の暴走よりも恐ろしいことになるやもしれませんし。 こういったことが幸いにしてまだ笑い話の範囲でいられるのは、人間の脳と人格(自由意思)のシステムの細部がまだ解明されていないからだと思います。いまのところ、ですからコンピュータはどこまでも人間の意思下で動く忠実無比な奴隷に留まっているのでしょう。 遺伝子組み換えの技術がほぼノーコントロールでおそろしい猛威をふるいはじめたように、いやそれ以上にコンピュータが意思を持つようになったら、ほぼ人間の未来は最悪だと考えざるを得ません。たとえばマイクロソフトが最強のニューオバマ政治ロボをバックにして無敵になるということですから。

  • chiha2525
  • ベストアンサー率10% (245/2384)
回答No.10

実は”人間”って、そんなにすごくは無いんですよ。 生物学なんかで、個々の細胞がどのように活動しているのかが最近わかってきたのですが、それらは遥かに高度な仕組みで動いているのです。一細胞内では、司令官が居るわけでもないですし何らかの意思があるわけでもないですが、何かを行う一連の行動を見事にやってのけています。その行動を引き起こす力も電磁気力などを非常に上手くつかって行っています。 片や”人間”あるいは”自由意志”と呼ばれるものが、非常にあやうい状況になりつつあります。私達は、何かを自分の意思で決定していると思っていますが、実は脳が勝手に決定したことを、私達が自分で決定したと思い込まされているだけなのではないかと考えられ始めています。 果たして、生物が生きていく上で作り出された幻想たる自由意志である”人間”は、どの程度、高度なことが出来るのであろうか。少なくとも私達をつくる一細胞より、我々”人間”は高度とは言えないだろう。 コンピューター?何だっけ。話がそれたね、ごめん。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.9

 一つ言えることとして「コンピュータはプログラムによって動いている」「そのプログラムは人間が作成するモノである」とのことです。  つまり機械的に如何に進化しようとも肝腎の「それを動かすための指令」がなければ「ただの箱に過ぎない」ということになります。  コンピュータと人間との間で最も異なる点は「認識を構成する能力の有無」にあります。「認識」は「思索」と言い換える事も可能で、思索するにはそれまでの「経験(哲学的営み)」と思惟に裏付けが求められます。  一例として、「赤いバラの花」という場合、そこには「植物としてのバラの特性の一つである色彩」が規定する条件となりますが、コンピュータに「赤」「バラの花」と個別の情報を打ち込んだとしても、そこから導出される答として「必ずしも赤いバラの花が導き出される」とは限らない。「赤い」モノとして他にも林檎や金魚そして玄武岩質の土壌(インドのデカン高原)など様々なモノが実際にはある。また「バラの花」に関しても赤もあれば黄色や白、そして近年では「青」や「黒(実際には沈んだ濃い赤紫)」のバラもあります。では「バラ」を「バラ」と規定する最も大きな要素は何かと考えた場合に問題となるのが「バラの概念」ということになります。  エクスパートシステムを事例に引用している方がいらっしゃいますが、このシステムも「人間の持つ思考力」には当面の間は適いそうもありません。そこで動いているシステムは「人間がプログラムとして与えた処理命令」以外の何物でもなく、プログラムは命令以上でも以下でもありません。  こうした言説に対し生半可にコンピュータの知識をお持ちの方は多分に気を悪くされるかもしれませんが、コンピュータに関して何も知らないか若しくは知りうる限るの詳細を知っている方の多くは「コンピュータに対する不信感」を持つ傾向にあります。  未だ「自らを制御するシステムを持ったコンピュータ」は地球上のそして歴史上のどこにも見あたりません。自らを制御できるのは「理性」を持った人間のみに与えられた特権でもある。コンピュータがモーツァルトのシンフォニーやセザンヌのデッサン、ソクラテスやデカルトの思索やシェークスピアの戯曲や芭蕉の俳句、世阿弥の能楽に匹敵する「作品」を一つでも残していますか?。  人間は過ちを犯すけれど、それを「感性」や「理性」そして「知性」によって「正そうとする」能力があり、現時点でのコンピュータにはそれは「できない領域」です。何となれば、80年代後半から90年代に掛けて議論された「人工知能の開発」も結局は「人間のどの部分を機械に置き換えることが出来るか」を議論した時に、結局は「人間そのもの」に関する研究もそのための視座も不十分なままだったことだけがわかった、だけであり「人工知能」のその後は個別分野のアプリケーション、例えば「データベース」の進化などの形でお茶を濁しているにすぎない状態です。  コンピュータはあくまでも「道具にしか過ぎない、それも使い方の限定できない両刃の剣的な性質を兼ね備えている特別な道具」である。これが僕の印象です。

  • phobos
  • ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.8

> コンピュータが人間を上回ることはありえない > なぜならそのコンピュータを作ってるのは人間だからだ その言説はずいぶん前に聞いたことがあります。 コンピュータがまだ「電子計算機」と呼ばれていた頃に言われた言葉だったではないでしょうか。 おそらく、コンピュータの事を全く知らない知識人の誰かが、何の根拠もなく思いつきで適当に言ったことが広まったのでしょう。 なぜ広まったのかといえば、そう聞くと多くの人が(何となく)安心できたからかも知れません。 余談ですが、20世紀初頭に「空気より重い物は絶対に空中を飛べない」と科学的に証明した著名な科学者がいたそうですが、彼はライト兄弟の初飛行成功のニュースに接しても、あれはトリックだ、と断固認めなかったそうです。 > という意見は論理的ですか? 「我々が戦争に負けるはずがない。なぜなら我が国は神国だからだ」と同じくらいに非論理的な意見だと言えましょう。 人間が作ったコンピュータが人間の知的能力を総合的に上回る可能性は十分あります。 人間が作るのは、自分で学習し進化する知性のタネ(基本アルゴリズム)だけで良いからです(もちろんこれは現段階では大変難しいことですが、原理的には可能です)。 あとはコンピュータが勝手に自分で知識を吸収し、勝手に自分自身をより賢くして成長していくことでしょう。

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