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「悲惨のなかにこそ人間の真実がある」という考え方
「悲惨のなかにこそ人間の真実がある」という考え方で 戦場や難民キャンプ、地震・津波の被災地などを 巡ったりしてる作家や写真家がわりといますが こういう考え方はどうして産まれてきたんでしょうか? オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも 人間の真実の姿ですよね? というかそっちのほうが圧倒的にいいと思うんですが・・・
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こういう質問は、相手を見て答えなければならない類のものですが、好奇心という程度らしいので、ごくシンプルに答えます。専門家が見たら、もっとちゃんと論述せよというでしょうし、私もできないわけではありませんが、ともかくわかりやすく答えた方が効果的と思ったので。 まず、尋ねてらっしゃる作品はレアリスムというものです。これが生まれた時期についていえば、まずフェルメールなどを思い浮かべればいいのです。日常の些細なものの中にも美があるというのが、始まりです。これが貧困問題などと結びつけられて、盛んになったのは、とくに十九世紀のフランスです。市民社会が台頭してきた時期です。貴族という特権階級の楽しみのために、美しいもの提供することが芸術なのではなく、苦しみの中にも美があると主張されるようになってきたのです。 なぜ、レアリスムが生まれたのか。端的に、人間が平等だと思うからです。安楽な生活をしていると、苦しい生活をしている相手が、虫けらのように感じられ、同じ人間ではないという考えに陥ってしまいがちです。ホームレスを排除しようという運動は、いくらでもありますね。 しかし、苦しい生活の中にだって、輝くものがあると見いだせれば、某かの平等の観念が築けるのです。人と人とのつながりが作れます。人道主義的な視点を支えるという点に、レアリスム芸術の意義があります。 人道主義なんてダサいという考え方もありますね。極端なものは、置いておきましょう。しかし、完全に人道主義的な観点を失ってしまうと、社会全体は、随分と、官僚的で、ギスギスとしたものになるでしょうね。結局、東大卒で、資産数億という人でもない限り、貧困や排除は誰にでも起きうるのです。世の中、そういう勝ち組ばかりでもないでしょう? もちろん、苦しんでいる人間を見て、優越感に浸る人もいます。またサディスティックな快楽を覚える人もいます。どのように他者の苦しみを眺めるべきか?という議論は、かなりなされていることです。スーザン・ソンダグ著『他者の苦痛へのまなざし』など。 レアリスム芸術だけが真実であり、それだけに没入するべきだ、ということはありません。しかし、社会に生きる以上、自分の楽しみをもつ一方で、他者の苦しみを無視することができないのです。
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地獄の底での仄かな光と、楽しい暮らしにふと訪れる虚しさ。影に隠れていたものがチラと見えた時、人はそれこそが真実だと思い込むのではないでしょうか。
お礼
チラリズムに真実が宿る派は多いかもしれませんね。 回答ありがとうございます。
- taco8ch
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>「悲惨のなかにこそ人間の真実がある」という考え方 →自然主義 >オシャレして、おいしいものを食べて、わいわい楽しく暮らしてるのも 人間の真実の姿 →浪漫主義 なんかそれっぽく分けてみました・・・
お礼
どうもありがとうございます (^^)
- marbleshit
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甕の中の水はいずれ腐るのです。
お礼
インドやフィリピンのスラム街なんてのは、思いっきり澱んで腐って 悲惨だと思うんですが。
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お礼
リアリスム勃興の裏には、フランス革命による市民社会の出現と 産業革命による労働者層の搾取貧困、社会主義の勃興という 社会的背景があると考えると良さそうですね。