• ベストアンサー

ヨーロッパ史について質問です

今世界史勉強中の者です。 主権国家体制 絶対主義 啓蒙専制君主 について分かりやすく教えてください! お願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

全部近代史だよね。 ということで、近代の前の中世ってなによ?というところから。 精神世界はローマ法王、俗世界は神聖ローマ皇帝が、形の上では一番偉いという体制です。 で、1618-1648 神聖ローマ帝国内で、30年戦争があった。 最初は、カソリックを信じましょうか、プロテスタントを信じましょうかという話だったが、1648年のウェストファリア条約で、「各国は各自決めてもOK」ということになったんだけど、宗教だけでなく、条約なんかも各自自由にとなった。各自自由でなければ、ウェストファリア条約を結べないわけで、各国の宗教の自由を認め合うことが、結局 各国が自分のことは自分で決めるということになった。 これが、主権国家体制。 各国の上に ローマ法王がいなくなったので(各国で宗派を決められるから)各王家がその国の中で自由に政治をできるようになった。これが絶対君主制。 ※ 戦争を行うということは、戦争の指揮者である王の権限が強くなることです。 ※ 古代史のローマ皇帝が、軍隊の指揮者から発生したようなもの。 なので、イギリスのチューダー朝以外は、全部 30年戦争以降になります、絶対王政は。 イギリスのチューダー朝は、30年戦争の前に国内で薔薇戦争をやっていて、勝ち残り戦をやって、勝ち残ったチューダー家が、強まった。 ほんで、絶対王政の典型はブルボン王朝になるんですが、ここが発展した。欧州で一番の強国。 おフランスは偉いのよね。 ということで、その強国であるフランスに負けないように、フランスの制度を王様が率先して導入して近代化しよう!としたのが啓蒙専制君主。進んだフランスの制度を導入するということは、啓蒙であり、王が上からといのが専制となる。

chocoriri
質問者

お礼

とても細かい回答ありがとうございます! お礼が遅れてしまって申し訳ありません。 すごく助かりました。 テストが近いので頑張ります!

関連するQ&A