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お百姓さんに感謝する必要はあると思いますか?

数十年来の疑問です。 私が幼稚園児のとき、ご飯をいただきますするとき、「お父さん、お母さん、お百姓さん、ありがとうございます」と言ってから食べていました。 年長あたりから気になっていたのですが、お父さんとお母さんに感謝する事はアリだが、なぜお百姓さんにまで!?と考えていました。 お百姓さんだって職業として米を作っているんだろう、それを売って対価としてお金を貰っているんだから、こちらが別に感謝するいわれは何もないじゃないか、と。(嫌な幼稚園児だ^^;) 因みに、幼稚園はお寺の住職さんが園長先生で、曹洞宗でした。

みんなの回答

  • kxlu
  • ベストアンサー率41% (80/192)
回答No.12

質問:お百姓さんに感謝する必要はあると思いますか? 回答:あります。あった方が良いと思います 感謝、ありがとうの語源は、有り難し・・・ 有り得ないから来ていて、つまり、それは「あり得ないこと」を神・仏が起こしてくれた場合 に使った言葉です。今はちょっと違うかな… お父さん、お母さん、生み育ててくれて”ありがとう” お百姓さんに引っ掛かりがあるようですが 百姓の意味はもちろん農業で生活している人ですが 百姓ひゃくせい=一般庶民の意味もあります お米・野菜・肉等を作ってくれた人、 ご飯入れる器・箸色々ありますよね 高速のCPU・その他身の回りの物すべて すべて造ってくれている百姓(一般庶民) ”ありがとう”良いとおもいます。

abberation
質問者

お礼

> すべて造ってくれている百姓(一般庶民) これならば素直に納得し受け入れられます。私の幼稚園でも、この意味で使っていたのでしょうか? 回答ありがとうございました。

  • lack03
  • ベストアンサー率13% (49/371)
回答No.11

>お百姓さんだって職業として米を作って >いるんだろう、それを売って対価として >お金を貰っているんだから ある意味あたっているが、それが全てだったら働くということはつまらないものだねえ。 金は大事だが全てではない。 働いている人に素直に感謝ということだろう。 別に働いてない人はどうとか言うつもりはない(w なぜお百姓さんかというのは、日本はおコメの国だからだろう。食事することを飯を食べると言うじゃないの。

  • poor_Quark
  • ベストアンサー率56% (1020/1799)
回答No.10

 当然ながら、人間は食料がないと生きてはいけません。人間が生きていくのに必要なエネルギーの大もとは太陽のエネルギー放射で、植物はそれを生物的化学反応を通じてエネルギーとして蓄え、それを人間がいわば横取りしてきたといえます。その後組織的な食料作物の生産に成功し、さらにそれをストックできるようになったのは人類史で言えば比較的最近のことです。  それが何より証拠に人間の体には飢餓に関してはいくつもの対策が生理的に用意されていますが、過食飽食に対しては生活習慣病と呼ばれる問題を簡単に引き起こすことが思い起こされます。動物は一度摂取したエネルギーを捨てるようには体の仕組みができていないのです。つまり人類史のほとんどは飢餓に覆われているということです。  日本でもまた、大規模な気象環境の変化により食料生産に支障をきたした数多くの飢饉の歴史が明治時代まで刻まれています。食糧、とりわけ主食となるべき炭水化物の不足に対する強迫観念が、遺伝子の中に組み込まれていると言っていいくらい重要な位置を占めてきた期間がごくごく最近まで続いていた、端的に言うとそれらの潜在的記憶がどこかにあると考えます。  また稲作地域で言えば、人間を野生動物から社会的な存在へと変容させたのも、労働集約を要求する一連の稲作に関する作業がその中心にあったのは間違いないと思われます。この効果こそが歴史的に一定の規模の集落の形成を導き、ひいてはクニとよばれる集団や潜在的な民族意識と文化を育ててきた一番強力な背景だったのではないでしょうか。  人間の築いてきた文明や、経済や、生存そのものの基礎にはだれかの食料生産のための脈々とした労働があり、そのことに思いをはせるという潜在的なものと、食料が不足したときの強迫観念が、もはや飢餓とは関係ない現代の日本人である私たちの心のどこかではたらいていて、宗教に関係なく、私たちにそのような思いをいだかせている、私はそう考えています。

abberation
質問者

お礼

深い分析ですね。勉強になります。 回答ありがとうございました。

  • Neginebu
  • ベストアンサー率43% (565/1298)
回答No.9

私も、親から「お百姓さんに・・」とか言われました。 でも、その時は 『お百姓さんが、美味しいお米や野菜を作ってくれたから、お前は美味しいごはんを食べる事が出来るんだよ。』 と、いった様な説明を受けた覚えがあります。(^^ゞ 私は、昔から「米」が大好きで、ゴハンを口一杯にほおばって食べる事が幸せの一つでした。 子供心に『何故、こんなに美味しいんだろう?』と思い、親に質問しました。 「なんで、ごはんは、こんなにおいしいの?」 そのとき、そこに、理論的な答えは出なかったと思いますが 親は私に 「じゃぁ、お前の大好きな「お米」を作る人は凄いだろう?」 「お米を食べると嬉しいだろう?」 と、いったような内容で話を進め 「だから、お百姓さんに悪いから、残さずに綺麗に食べなさい。」 「美味しい作物を作るお百姓さんに「お礼」の気持ちを持つんだよ。」 と言ってくれたと思います。 特に、父方の祖父は、お百姓さんでしたので、父もそんな気持ちを昔から持っていたのでしょう。 ですので、私の思考回路には 「美味しい物を作る人は凄いから感謝する」 って事が根付いてます。 もちろん、その「美味しい物を作る人」には、お百姓、漁師さん、飲食店の人、 良く手作りのお菓子をくれた近所のおばちゃん、母親、etc・・ みんな含まれるのですが。(^^ゞ 私の場合なので、自信は無しで。m(__)m

abberation
質問者

お礼

どうもありがとうございました。 人生観というか、その土地土地の考え方というか、そういうものも影響していそうですね。勿論私は、感謝する事に否定しているわけではないです。

  • ppr
  • ベストアンサー率20% (5/25)
回答No.8

こんにちは。 私は両親に「せっかくお百姓さんが作ってくれたお米や野菜を粗末にするとバチが当たるよ」と言われて育ったクチです。(家は曹洞宗ではありませんが) > お百姓さんだって職業として米を作っているんだろう、それを売って対価としてお金を貰っているんだから、こちらが別に感謝するいわれは何もないじゃないか、と。(嫌な幼稚園児だ^^;) うーん、金払ったんだからいいだろって問題じゃないですよね^^; 例えば、この世界からお百姓さんが一人もいなくなってしまったとしたら、どうでしょう? 私たちは自分の手で食糧を生み出さなきゃならなくなりますよね。 これが一朝一夕ではできないワザで、「やりなさい」と言われて誰にでもできることではないわけです。 自分が炎天下の畑で手に血マメを作りながら重たい鍬を振るわなくて済んでいられるのも、 獲れるのか獲れないのかわからない魚を追って (時には命を落とすかもしれないというリスクまで背負って)海に出ることがなくていられるのも、 農家の方や漁師さんが汗を流してくれているからこそです。 このことを考えた時、私は「感謝する」より先に、つくづく自分が「生かされている」のだという気持ちになります。 父母が存在したお陰で自分もまたこの世に生かさせてもらっている。 面識の無い他人が流した汗の上に、自分が成り立っている。 自分は多くの『他人様』の努力で「生きている」のではなく「生かされている」のだって考えると、自然に感謝の気持ちが湧いてきます。 このあたりに気が付かないまま子供たちが育っていくと、世の中おごり高ぶるだけの人間ばかりになってしまいそうで怖いものがあります。

abberation
質問者

お礼

感謝して食べる、というのは私もそう思っています。子供にも常々そうしつけています。ですが、この「お百姓さんに」というのはどうも受け入れがたいものがあります。子供たちに感謝の心を教えるのが大事であることは論を待ちませんが、この言い回しが変だなと感じるのです。 PCで利便性を享受している現代人が、高速のCPUを開発した人に感謝したり、ビルゲイツやスティーブジョブスに感謝したり、CERNのwww開発者に感謝していませんよね。食べ物との違いはありますが(そこが大きいのかもしれませんけど)。 先日新聞で宮本亜門さんのエッセー(?)を読みました。沖縄に行ったとき、彼の友人が羊を捌いてくれたそうです。その時「この羊は君(宮本さん)のために命をおとすのだから、目を背けるな」と言われたそうです。羊(食べ物自身)への感謝の念、こういうものは忘れてはいけないと思います。 回答ありがとうございました。

  • inoge
  • ベストアンサー率45% (510/1116)
回答No.7

米は日本の歴史の中で特別な位置を占める穀物であることはご承知のとおりです。 米の生産高はそのまま日本の人口であり,生産技術が上昇すれば人口が増え,不作になると餓死者が出たのです。明治時代初期までは石高と県の人口がほぼ一致して(石川県が一位),武士のサラリーも石高で表されました。(参考URLはこの説に対する反論) 食料輸入が無い鎖国時代は米がそのまま日本人の命だったのです。農民も田を自分の命よりも大切にしました。日本で餓死者が見られなくなったのは近代になってからだし,世界の視点から見ると日本の豊かさは例外なのです。石油生産だってあと50年ももたないのです。 http://homepage3.nifty.com/shin_homepage/Environmental_Study/es_oilgone1.htm 今は日本に経済力があり,食料輸出国も存在して,輸入が可能です。しかし,そんな状況などいつ代わるか分かりません。日本で栽培に最も適している穀物が米であるという事実は変わらないのです。

参考URL:
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/history100.htm
noname#21592
noname#21592
回答No.6

あくまで、比喩ですから、感謝という概念を、どう子どもに伝えるか。 と、いう、テーマに対する例示として、現代幼児に理解しにくくなったのかもしれませんが、あらゆるものに感謝するという「気持ち」は育てたいものですね。

abberation
質問者

お礼

ありがとうございました。 > あらゆるものに感謝するという「気持ち」は育てたいものですね。 はい、そう思います。 「お百姓さんに」というのは、どうも理屈で考えると納得できないもので・・・。

回答No.5

ひとつは、感謝していけばきりがないので、幼稚園の方針で代表的なものだけ取り上げた。 「お父さん、お母さん、お百姓さん、農協、運送会社、問屋、販売店、食品加工会社・・・」とはいえないですからねえ。 また、昔の士農工商の名残とも考えられますね。お百姓さんを敬う。だったら、「お父上、お母上、お殿様、お百姓さん」となりそうですね。今はお殿様がいないので省略したとか。 また、お百姓さんの生業についてケチをつければ(疑問を呈すれば)、両親の存在も「子供の養育義務があるのに、なぜ感謝しなければならないのだ!」などとひねくれた子供もいても不思議ではないですね。 近くの人(親とか)は親しく感じるけれど、遠くにいる農家の人々とはあまり親近感がないのでそう思うかもしれません。 まあお世話になっている人ではありますので感謝しておきましょね。

abberation
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 感謝する必要があるでしょうか?「世の中は互いに助け合いながら生きている」と言うのは当然ですが、そこでお百姓さんにだけクローズアップするのがどうも抵抗があります。 「お父さん、お母さん、そして食べ物に感謝しましょう」だったら分かるのですが。

回答No.4

なんでお父さんとお母さんに感謝するのはアリなんでしょうか?私にはそっちの方が疑問でした。 自分で作った子供の世話を自分がするのはあたりまえのことでしょう、と。 大きくなってから知ったのですが、両親や目上の兄弟を尊敬したり感謝したりしなさい、というのは儒教思想の影響だそうです。 ご飯は食べないと死にますから、お百姓さんはともかく、目の前にある食べ物には感謝するのが当然だと思います。自分を生かしてくれる「元・命」なのですから・・・。 私としては「お百姓さんが全くいなくなって、食べ物がなくなったらどうなるだろう?」というほうが恐怖でした。そういう意味では、お百姓さんに感謝するのは自然かと思います(漁師さんや農家の方も同様ですが、それらの総称という意味で・・・)。

abberation
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 > 自分で作った子供の世話を自分がするのはあたりまえのことでしょう これはこれで同意できます。親はおごり高ぶってはいけないですよね。互いに謙虚になる事は大切ですね。 > お百姓さんはともかく、目の前にある食べ物には感謝するのが当然だと思います。 私はむしろこの考え方が正しいと思っています。

回答No.3

 米という字を分解すると八十八になります。それくらい,お米を作るには手間が掛かるんです。特に夏場の草取りは地獄のようだそうです。それを少しでも園児に分かってもらいたくて,米作りを体験学習に取り入れている園もあります(とはいっても本格的な米作りに比べればホンのお遊びですが)  kijineko3さんがおっしゃるように「全てのものに対して、感謝の心を忘れないように」ということだとおもいます。でもそれを具体的に小さい子供に分かってもらうのはとても難しいと思います。abberaitionさんの先生も,もう少し噛み砕いて説明してくれればよかったんですよね。

abberation
質問者

お礼

回答、どうもありがとうございます。 よく分かりました。 > 「全てのものに対して、感謝の心を忘れないように」 これはとてもいいことだと思います。ただ「お百姓さん」という限定的なのが納得がいきませんでした。今でもこれはおかしな言い方だなと思っています。食べ物に感謝しましょう、とか言う方がずっといいことだと思うのです。

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