ANo.9の補足欄にいただいたご質問に関してです。
>光速度一定の筈なので、c-v、c+vを持ち出すのはおかしいような気がします。
c-v、c+v は静止系から見た光の波頭と列車の壁が接近する速さです。光速度一定なら、これで良いかと思います。
>この説明で外で電車を見ている人をA君と呼ぶことにすれば、A君は8/5秒後に電車の後ろの壁が光るのを見、8/3秒後に電車の前の壁が光るのを見ますから、・・・・・・ A君よりも光の速さで16 /30秒ぶん、即ち16万kmだけ右にB君がいたとすれば、B君は電車の後ろの壁と前の壁が光るのを同時に見ます。この時B君の立場では後ろの壁と前の壁が同時に光ったということが事実なのか、それともB君にはそう見えるのだが事実は後ろの壁の方が先に光った筈だとB君は「考える」のか、そのあたりの見かけと実体の区別がよくわからないのです。
相対論に限らず、その座標系でどのように記述されるかという意味でも「見える」という語が使用されると思います。相対論の導入部は、ローレンツ変換で各座標間の表記はどう変化するのか、その「見え方」に終始するのが普通で、そこに光学的視覚効果、たとえば「テレル回転」を含める事は稀かと思います。平均的教科書では、静止系で見れば、4/5秒後に電車の後ろの壁が光り、4/3秒後に電車の前の壁が光るように観測される旨の叙述になるでしょう。独立変数としてx, y, z, t を選ぶ事は、静止系のA君もB君も、そしてたまたま、壁が光るのを間近で目撃するかもしれないD君やE君も同じ時刻の腕時計をしているという事です。A,B,C,Dに共通の描写として俯瞰が存在します。視覚の遅延時間を含んだあなたの「見る」では観測者固有になり、他と共通という意味での俯瞰は確かに無理です。
視覚効果としての遅延時間は、単に位置の関数であって、「相対速度」に絡んだものではありません。B君の位置に応じて前後の壁の光る様子の認知時刻は変化するでしょうが、それは「電車が静止していても生じる」現象であって、いわゆる相対論的効果とは別のものです。
壁が光る瞬間は次のように実体化されるでしょう。先頭後尾、壁に到達する光でカメラ2台のシャッタを駆動します。それぞれに対し間近なプラットホームの時計が撮影されます。壁に光があたる瞬間のプラットホームの時刻を想像してください。後尾より先頭の写真の方がプラットホームの時計像は進んでいます。誰もが閲覧できるこの写真、動かぬ証拠という実体だと思いませんか。
>場所が違えば同時性が保証されないはずなのに、この図のように世界を俯瞰で見てしまってよいものか
同時性が場所に依存するのは、相対速度を持つ別の系から見た場合でしょう。また俯瞰の可否は、同時性とは、別の問題のような気がします。時刻傾斜をつけた図を描く事さえ可能なのですから、特殊相対論の範囲では支障は無いのではありませんか。俯瞰性が阻害されるのは、環状列車内部から見た列車全貌のように、非線形が大きな場合ではありませんか。経路依存になってしまっている時刻をどう俯瞰すれば良いのでしょう。丁度、変動磁場下で電位が定義できないような感じだと思います。静電場の電位は俯瞰可能ですが、電磁誘導は経路依存です。電気の経験がお有りのようですので、そのもどかしさは、お解りでしょう。
お礼
有り難うございました。最初のリンクの千葉大学の説明は、とてもよくわかりました。よく分っている方から見れば同じ事なのかもしれませんが、ちょっとした事ですぐに躓いてしまいます。7ページにあるようにl-V tA = c tAの変形と考えることで納得しました。慣性系の中での同時(俯瞰)についてもこの資料6ページの鏡を使う方法で納得しました。沢山リンクを挙げて頂いたお陰で自分にとってわかり易い説明を見つけることができました。少し理解が進んだ気がします。表題のオリジナルの質問についてはまだちょっと私には難しいのでもう少しわかるようになってからもう一度考えてみようと思います。長い間有難うございました。