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サブリミナルを暗記に利用できるか
論文のテーマでサブリミナルについてやろうと思っているのですが、 サブリミナル効果を暗記に利用できる可能性はありますか? 「サブリミナル効果の科学―無意識の世界では何が起こっているか」という本を読み 『サブリミナルは行動を起こさせるまでには至らないものの、認知・感情面においては有効である』 ということを知りました。 ならば、単純な暗記(人の顔と名前を一致させる、地名を覚える等、物と名前を対応させるような暗記) においてはサブリミナル効果を利用することはできるのでは?と思い、その事をテーマにしようと思いました。 このテーマは研究として成り立ちますか? それとも、とんちんかんな物なのでしょうか。 詳しい方がいらっしゃいましたら、どうかお願いします。
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- SPROCKETER
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サブリミナルを暗記に利用するのは可能ですが、危険が大きいのでやめた方が良いでしょう。 詳しい人が書いていますが、米国CIAなどの情報機関がサブリミナルを利用して洗脳に使い、被害者が大勢出ているそうです。 単語や数字の暗記は可能ですが、一時的な記憶ではなく、数十年が過ぎても1文字も忘れないような記憶になります。単なる情報の記憶だけでなく、特定の物に対して強い嫌悪感を持たせたり、逆に興味を持たせるなどの印象操作、記憶力、集中力、持続力を落として無能力者に変えたり、思考能力を偏らせて視野の狭い人間にしたり、性行動を変えるなど、常識では考えられないような恐ろしい使い方が可能なのだそうです。 テレビのニュースやCMで瞬間的に映像を映し出すだけで、イメージメッセージを送り、思考や行動を変えさせたりなど、ロボットか、実験動物のような操作を現実におこなっているそうです。 オウム真理教が手に入れようとしていた技術だそうで、恐ろしいものです。サブリミナルに関して米国は高度な軍事技術を保有しているのだそうで、あまり深入りしない方が良いようです。
- tumaritou1
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人間の脳の機能からサブリミナル効果は説明出来ます。人間の脳の機能が二つに分かれていると云う事によってです。一人の人間には二つの人格が存在していて、その二つの人格の共同作業によって人間らしさや、人間としての正常な行動や思索が完成される事です。 一つの人格が『自我意識』です、是は顕在意識として働いている者です。機能的には『意識する事』を担当しています。そうして期待したり、自分の行動などを評価して、分析をして計算高く言葉によって全ての事象を表わそうとしています。 『言葉として、或いは計算する機能』として働く意識の限界は、割切れない事には向いていないと言う意味が在ります。割切れない問題に付いては、解く事が出来ないと言う限界です。 現象や、事象や、起きた事柄等に対して、常に言葉に翻訳をして感じている自我意識の機能には、有限の世界しか理解出来ないと言う制約があります。無限とか永遠とかの理解は脳の機能から出来ない構造になっています。割切れない問題を解く能力がないという意味です。 それに対して、右脳の意識は、物事を言葉には出来ないと言う制約が在ります。物事の勘や術を『言葉では伝えられない』と言う場合には、右脳の人格が関わっています。 右脳の機能は『生命活動全て』に関わっています。心臓や呼吸やホルモンの調節や、自律神経や、書き始めたなら書ききれないほどの項目になるはずです。生命活動に付いては『全て握っている存在』として働いています。 そうして心に関しても全てに関わっています。 人間の五感から入る情報は、二つの人格が同時に感じています。自我意識が見ていない所も見えているという意味が在ります。その効果の一つが『サブリミナル効果』と云う事です。 右脳の意識との協調作業が完成された姿が『剣道、茶道、香道、書道、弓道』等の免許皆伝した姿です。禅で言うならば、悟りが開けたと云う事になります。 宗教関係の言い方をするなら、キリスト教では『神に会って和解する』と言う言い方になります。心的な内容はどちらも同じです。右脳と左脳の間にホットラインが開通したと言う意味です。 仏教的な言い方をするなら『他力宗ならば、向こうからお助けが来る』と言う言い方です。自力宗なら、人生の生死の問題が解決すると言う言い方になります。是は絶対の安心が手に入ったと言う意味ですが、この心境や境涯を涅槃と言っています。心が限り無く静寂になったという意味です。 話が横道に逸れましたので、本題に戻します。 サブリミナル効果と云う事は『自我意識が関わっていない所で効果を挙げる事』を意味しますので、自我意識が関わっていない場合を書いてみます。 自我意識が関わっていない場合を『殺気を感じる』と言う風に剣道などの達人は、他の人が気付かない事を気配として感じています。或いは『スピードラーニング』と言う風に、意識しないで学ぶ事が出来ることにも関係します。或いは一冊の本をぺらぺらめくっただけのようにして全て読むと言う学習法にも応用されています。 どちらにしても相当な訓練を必要としているようです。参考になるものとしては右脳関係のものです。七田氏の『七田式右脳イメージ教育 』などが参考になると思います。 又心を病む場合や、神経症や、自律神経失調症や、心身症等の原因が分らなくて、医学的に悪い所がない場合なども『悟りを開く事』で完治します。何故ならば、右脳の意識と左脳の意識が仲違いしている事によって起きている現象だからです。 その漠然とした不安を何処に感じているのかがその症状名になっている事を意味します。その漠然とした不安そのものが、右脳からの情報と言う意味になります。つまり心の矛盾を『自我意識は』生き難い想いとして受け取っていると言う意味です。 心理学と精神医療と宗教が全て合体した姿が本当の医学としての完成された姿になるはずですから、宗教に興味を持たない精神科医がいたなら、そういう場合には『精神の成り立ち』に関心が無いままに精神の治療や心理療法を行なっているという意味が在ります。 薬だけに頼る場合がその良い例かも知れません。