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老子 五味令人口爽
老子第十二章の、五味令人口爽は「ごみはひとのくちをしてたがわしむ」と読むらしいのですが、爽を「たがう」と読むことに違和感を感じています。 なぜ爽は「さわやか」ではいけないのでしょうか? 老子の時代には 爽 という文字に「さわやか」という意味は無かったのでしょうか?
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今はあまり使われませんが、古代中国では爽が動詞としてつかわれたようです。 二つに割れて符合しない、ばらばらになる、調子がくるうなどの意味です。 約に爽ふ(やくにたがふ)など、また爽然という言葉がありますが、二つに割れて瓦解することから、がっくりして気が抜けるという意味です。 もともとこの漢字は、人の両側にわかれている乳房や入墨の様子からでき、二つに分かれるという意味から始まっています。 ですから古代ではたがうというのが自然な使い方だったのでしょう。 今現在よく使われる爽やかという形容詞は、わかれるという元の意味が転じて、「わりきれて」すっきりするという意味へとなったのかもしれません。 参考になれば幸いです。なお私は専門家ではなく、素人なりに辞典等で調べたものですので満足な回答になっていないかもしれませんがその辺りはご理解ください。
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- qwe1986
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調べて気になってそのあと老子を読んでみました。 この言葉は欲望に限りがないということを説明することで使われていました 味をたのしむこともいきすぎると味覚が喪失し、味が分からなくなってしまうということを伝える文章のようです。 老子の考え方の分かりやすい本として、マンガ 老荘の思想 (講談社α文庫)を参照なさるといいと思います。 その189ぺージの質問なさった言葉に関して説明がありますので、一読なさるとより理解が深まると思います。
お礼
2度もご回答いただきおそれいります。 老子がわざわざグルメを否定しているは、古代にも美食に溺れる風潮があったのでしょうね。本のご紹介までしていただきまして、ありがとうございました。
お礼
ご回答有難うございます。 爽のさわやかという意味は、新しくあとで生じたのですね。今では、ばらばらになる調子が狂う等の意味で用いる事は全くありませんので違和感を感じました。「いろいろな味は爽快にさせる」と解釈できれば、現代人のセンスにもマッチするんですが。味のバラエティを楽しむことを否定するとは、老子はずいぶんストイックなんですね。