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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:中国人から見た日本軍)

中国人から見た日本軍の評価とは

このQ&Aのポイント
  • 在日44年の帰化人が見た日本軍の評価とは、組織の不備や戦略の欠如などの要素がありました。
  • 日本軍と中国軍には共通の問題点があり、戦争における敗北や屈辱を経験してきました。
  • しかし、日本と中国は経済戦においては強さを発揮しており、その長所は評価されています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.2

日本軍など存在しなかったということです。存在したのは陸軍省と海軍省だけでした。それぞれ閉じた村社会で、相互に人的交流はありません。陸軍将校は、陸軍省が作った入試に合格し、陸軍省が建てた学校に通い、陸軍省が作った教科書を用い、陸軍将校の教官に教わった人間しか成れないのです。それは海軍もほぼ同様。完全に閉じていて外部の有識者の関与もチェックもどこにも入る余地が無いのです。専門的な知識を習得させるには効率的だったかも知れないが、逆に言うと極めて視野の狭い偏った人材しか育たないということなのです。日本軍があったというのは完全な幻想です。陸軍省と海軍省があっただけです。陸軍将校には海軍のことは分からないし、海軍将校には陸軍のことは分かりません。完全、縦割りの村社会だからです。戦前の日本にとって軍事は公共事業と同じ意味だったのです。陸軍省、海軍省は農村の若者にとっては夢の出世コースだったのです。戦前は都市部と農村部で大きな社会格差がありました。電線、電信、鉄道、上下水道、道路の整備は都市部から始まっていて、農村部でははなはだしく遅れました。ヨーロッパでは古代ローマ帝国が道路網を舗装していたのに対し、日本は明治時代からなので、2000年遅れていたのも同然です。それぐらい遅れていたのだから戦後になっても農村部では道路整備が必要だったのは当然のことなのです。 現代人は軍人が特別な職業であるかのように思い込んでいるが、戦前は違います。中央官僚の一つだっただけです。外務省や経済産業省と同じです。省利省益が最優先。責任うやむやで仲間を庇う。陸軍大臣は陸軍省出身で選挙を経ているわけでもない。海軍大臣も同様。外部の有識者の関与もチェックもどこにも入る余地が無いのです。 以上の事情や背景によって、質問者さんが指摘したような事態に至ったわけなのです。

dayanvanilla
質問者

お礼

判り易い回答ありがとうございます。 軍人ではなく官僚だったのですね。 国益の為ではなく省利省益の為に戦ったのですか。 官僚は中国でも諸悪の根源です。

その他の回答 (2)

  • mable2006
  • ベストアンサー率35% (214/598)
回答No.3

すでにご覧になったとすれば、ごめんなさい。 下記のリンクで紹介されている本は大いに参考になると思います。 http://books.rakuten.co.jp/rb/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89-%E6%AE%B2%E6%BB%85%E6%88%A6%E3%81%8B%E3%82%89%E6%B6%88%E8%80%97%E6%88%A6%E3%81%B8-%E5%B0%8F%E6%9E%97%E8%8B%B1%E5%A4%AB%EF%BC%88%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E7%B5%8C%E6%B8%88%EF%BC%89-9784062879002/item/4468270/ http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20070801/p1 http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/nicchusensou.html まるで古代中国の項羽と劉邦の戦いのような感じがします。 ハードパワー一本やりで劉邦を滅ぼそうとした項羽。周りの国々(将軍たち)を味方にするためソフトパワーを重視した劉邦。 日本側も宣伝などソフトパワーを使おうとしたのですが、いかんせんやり方が稚拙であまり効果を上げられなかったというのもあげられます。

dayanvanilla
質問者

お礼

貴重な情報ありがとうございます。 今の日本はソフトパワーを上手に使ってると思います。 中国はハードパワー丸出しですね。 いつか痛い目見ると心配です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

剣道の話にこんなのがあります。 「勝ちに不思議の勝ちあり。  負けに不思議の負けなし」 負ける時は、負けるべくして負ける、ということです。 日露戦争の時は、当時世界最強だった英国を味方につけ、 開戦と同時に、ルーズベルトに仲裁の工作を行い、 レーニンの社会主義革命に多大の資金援助をする、など やるべきことは、総てやってきました。 それが大東亜戦争の時は・・・。 御指摘の通り、日本は米国とやる気はなかったのです。 しかし、ABCD包囲網を敷かれ、 今までの日米交渉を総て反故にしたハルノートを 突きつけられ、遂に戦争に踏み切りました。 「あんなことをされたら、モナコのような小国でも  武器を取って立ち上がっただろう」 相手がどうしても戦争をやりたい時は、戦争をやらないことは 難しい、ということはイラク戦争を見ても判るでしょう。 米国はどうしても戦争をやりたかったのです。 あの大不況で、株価は1/10に、失業率は30% を超えました。 社会主義革命の足音がヒタヒタと聞こえてきます。 ニューデールなど色々な手を打ちましたが、効果はでません。 戦争をやる他なかったのです。 あの戦争のお陰で、米国経済は危機を脱し、 見事に復活しました。

dayanvanilla
質問者

お礼

日本はどこで道を誤ったのか。 なぜ孤立化したのか。 私は中国が当時の日本と同じ道を歩んでるのではと 危惧しております。 明治の英傑達の優秀性を昭和の軍人は受け継げなかった のですね。 しかしその後の日本の復興は見事でした。 今再び日本は危機を迎えてますね。 平成の政治家は果たして戦後の日本人の優秀性を維持 発展できるでしょうか。 公共事業としての戦争は資本主義の罪悪と思います。

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