- ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:考えるとは何か)
考えるとは何か
このQ&Aのポイント
- 考えるとは何か、と考えてみると果たして私は考えているのだろうかと思い当たります。
- 考えているそのプロセスを観察すると、思考というお芝居を鑑賞している存在(意識)がおり、それがお芝居中で起きた出来事を第三者(他人)に自分の考えはこうだと説明するわけです。
- 思考とは何かの前に「私」と「思考」を分けてみましたが、皆さんは自分の思考についてどう感じますか。
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
仏教において思考についての考えがあります。 感情も思考も停止することを無所有処といいます。 ここでは「私」と「思考」が分離されています。 仏陀曰く 「やってみたら出来たけどそれといって変わった気もしなかった」 その後ウッダカ仙人の「非想非非想処」 で「識別しない」を「識別」さえ意味を成さなくなる停止を体得します。 「私」そのものもなくなります。 仏陀曰く 「やはりなんの益もない」 で苦行してやめて得たのが ふつうの人間には自覚できない因果をはっきりと自覚すること。 そして根本的に無知だった状態から最終的に脱出すること。 すなわち智慧を得る。 解脱であったとのことです。 瞑想により多くの思考を分析し 原因と結果を自覚して 常日頃から私を思考に囚われなくすることが 出来ればいいなあと思ってます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 仏陀は何の益もないと言いましたか。 さすがだと思います。