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坊主が肉食妻帯になった理由とは

  坊主が肉食妻帯になった理由とは  

みんなの回答

  • miko-desi
  • ベストアンサー率19% (69/352)
回答No.9

肉食妻帯は願望の対象を自分に近づけています。 近づけることで素朴にして円熟した共同体がもてそうです。 これが何か必要があって、真剣に求めだすと現実が理想とかけ離れて邪魔になったり、 同化を拒んだりすることもあります。 この原理を逆手にとって 「故郷は遠くにありて想うもの」というアニミズム的な理想が 肉食妻帯を禁じて実在する願望対象と共存させようとしたの、だと思います。 アニミズムといっても嗜好の対象はありそう。 幼い頃のおぼろげな記憶だったり、天賦した恋人であったり、 そんなものに義理立てして一生を捧げられるほど、 大いなる悲観は大いなる楽観に同じ。 といって自殺した若い哲学者も純愛路線だったみたいで。

noname#176957
noname#176957
回答No.8

なんで職業化したかと言えば 衆生済度 ですね。 偉そうに。 御釈迦様はそんなこと一言も言っていないのに。 社会を良くしたいのなら、 出家を諦めて 修羅の道を歩むほか無い。 血河屍山を乗り越える覚悟。 血迷った挙げ句の、必然の堕落ですな。

回答No.7

すみません。 私には 多くの宗祖たちご自身が 肉食妻帯を禁じる規則とか道徳とかを説いたとはとても思えません? わざわざ 人と人との間に差別をつけるようなことを? ただ、 真実を説く、あるいは人間性のあり方を説くために すべての時間を使おうとするべく妻帯はしなかった真実の宗教者も結構いたと思います。 でも それは 肉食妻帯をしない規律や道徳などという狭い心によるものではないのではないでしょうか? このような規則、規律があること自体  宗教に権威化が入り混じってしまった証拠の一つに思えます。 差別化を図る戦略のようなもの…。 悲しい戦略です。   (お坊様と 同じ人間を呼ばせる戦略…) これもまた 仏教に限らないところが まさに文明の盲目性という感じに思えるところです。 ただ、 そのような規則 規範を知りながら 誘惑に負けて甘い考えに陥ったということであれば これもまたなんとも情けない 宗教文化が見え隠れしてしまいますね。 すみません、 この回答も もしかしたら、 私の視点 視野がどこかおかしいのかもしれません。 「肉食」とか 逆のベジタリアンについての私の視点からの考えを書くと 長くなりすぎるので略しますが 妻帯については さらに重要なことと思えますので 一応書かせていただきます。 実は 私自身 今妻帯について迷っています。  男女関係について正しいあり方が解らずに迷っているのです。 実は かなり多くの女性と さまざまなお付き合いをすることが出来た人間でもあるにも関わらずです。(ナンパなんていうのは しようと思えば簡単なことです) そんな人間が、今 たった一人の女性ともお付き合いすることが 出来なくなってしまってもいます。 たくさんの 体験や経験を生かしての 正しい風俗革命をも目標に一つにしてきたような人間が なぜ、たった一人の女性ともつきあうことがむずかしくなってしまったのでしょう? 恋した時には それが本物の恋と言えるものなら、 そのセックスもセックス関連も 全部どこもいやらしく感じないはずです。 それは 深く感じることができるチャンスを得たからです。 恋でなくても もし 深く感じることが出来れば いやらしい あるいはどこか不浄なセックスではなくなるはず。 しかし その本物は 感性の深まりの中でもなかなか 訪れない 恋に近い不安定な世界。 詳しくは こうしたことも略します。 そこを 私は 中国の医学の原点から生まれた 経絡の気脈の意識化によって、常に最高の恋のような状態を作り出せる呼吸方法のようなものを見出しています。 これによれば、 美男とか美女は関係なく 心のつながりは関係しますが、 すべて ほとんど どんな女性も 恋人と同じ様に愛せます。 と ここまでの境地に来ると  でも逆に 恋が出来なくなる世界がやってきてしまいます。 これは たくさんの恋の経験や 多くの女性とのお付き合いがあってのことかもしれませんが、 恋はたしかに 美しいというか 美しい感性をさらに高めてくれ その感性が恋をよリ美しくしてくれるというような健康な循環をもたらす すごい価値的な世界ではあるのですが、 … 視野が狭ければ それはまるで 天からの贈り物、 大自然 や星たちの運命のようなめぐり合わせに思えるところ   客観視できてしまうような 広い視野になってしまえば、 一人を選ぶということは、 完全にえこひいきであることが見えてきてしまうということなのです。 ? 昔の人も  快楽がどこかおかしいのではない ことを理解したうえで さらにむしろその奥の真実を見極めた上で  逆に ほんとうに 妻帯が難しい境地になり、  その上で真剣に 妻帯の是非について何かを説いたのでしょうか? 私には そうは思えません。 私が知っているところでは、 唯一キリストが 山上の垂訓の中で 道徳的宗教規範の反逆して、目には目をとかいう規則の世界では 法は完成しませんよ と説くくだりにて、 「心の中で貫通してもそれは貫通したことになる」と言っていたりすることを知っていますが、 これこそ そこに巨大な 道徳の間違った流れが起こってしまったことの象徴だと思うのですが、 大勢のクリスチャンがこれを 「、心の中で セックス(この場合 配偶者以外の人とのセックス)を想像しただけで、罪になる」と キリストが言ったと 思いこんでしまいました。 想像しただけで というのなら そのように言うキリストも罪を犯した汚らわしい存在となってしまうのに 誰も気がつきません?   これが 宗教の中に 権威者たちが作り出してきてしまった盲目性の強固さの一つです。 こんな当たり前のことが 全く見えなくなっているのです。 このように説明しても 意味が通じないかもしれません。 だからと言って キリストが 貫通を認めたとかいうのではないですよ。 そうではなくて、 これは明らかに セックス自体が なんらおかしなことではない ことをキリストらしく強烈に表現しようとしたと私には思えるということです。 あるいは 私の人生から視点からは そうとしか思えません。 私自身 今 迷いに落込んでいます。 結局  私の視点自体が 広いようでいて どこかまだ間違っているのかもしれません。 逆にお伺いします。  妻帯がほんとうは不浄ではあるという本当の理由があるのであれば 教えてください。 わたしのような凡人には 理解できないことなのでしょうか? ただ、 昔の求道者たちの中にも 私のような 木の葉みたいに弱い人もいたでしょう。 何も解らないと迷いに迷う求道者たち、 しかし 私は自分を誠実ではあると思っています。 先人たちも 同じ様に弱い悟れない人たちも、誠実ではあったと思います。 》坊主が肉食妻帯になった理由とは《 現代の坊様たちのその理由には、  ですが 誠実さは ?  … うむむ   もう書きたくなくなってしまいました。 ごめんなさい。 変な視点からの回答でした。

回答No.6

先の回答にもありますが、お坊さんが、「職業」として成り立つようになったからではないかと思います。 江戸時代、「寺請制度」ができ、日本人はどこかのお寺に所属することが義務づけられました。これによって、お寺は何もしなくても「檀家」を得られ、一定の収入が得られるようになりました。 こうなると堕落するのは目に見えています。 さらに明治時代になって神仏分離が行なわれ、仏教を名実ともに堕落させようと、政府が「肉食妻帯勝手たるべし」という“お触れ”を出しました。 奥さん子供がいようと、肉を食らおうと、寺の住職だったら坊さんと認めてあげましょうと“おかみ”がお墨付きを与えたわけです。 そうなると、いくら坊主とて人間です。易きに流れるのは常のこと。 きちんと戒律を守る人なんていなくなります。 今、肉食妻帯していない坊さんは皆無ですね。 妻帯していない人も、戸籍上妻帯していないだけの人も多いようです。 それでもごくわずかながら、女っ気のない真面目なお坊さんもいます。けれど肉食と般若湯をきちんと避けている人だけは、私も見たことがありません。

noname#176957
noname#176957
回答No.5

御釈迦様の時代と違って、 坊主が職業化して、 「若い坊主」なる、 御釈迦様も思い至らなかったような人種が、仏教会を席巻したからでしょう。 俗界での務め(生産と繁殖)をある程度済ませ、もう後は心安らかに死ぬだけ、という人物が出家するのが本来かと。 つまり坊主の職業化が諸悪の根源。

回答No.4

出家坊主でさえが、成仏よりも、今生の快楽を優先する考えが普及したからでしょう。 日本仏教の最大の堕落と申し上げなければなりません。 もともと、親鸞は肉食妻帯は悪いことだと認識しておりましたが、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という有名な悪人正機説を主張し、自ら肉食妻帯を実践しました。 日蓮は、この世は末法(=世も末)と考えて、末法に戒律は不要とする考えから、肉食妻帯に頓着しなかったので、日蓮宗の坊主も今生の誘惑に負け、肉食妻帯を禁ずる戒めを破りました。 大衆的な浄土真宗、日蓮宗を除けば、他の宗派は十戒を守っておりましたが、明治政府が「仏教徒が戒を破っても国としては処罰しません」という意味で、「肉食妻帯勝手なるべし」としたのを良いことに、他の宗派も浄土真宗や日蓮宗にならって、肉食妻帯を黙認することになったようです。 宗派間の人材獲得競争から考えると、浄土真宗と日蓮宗が肉食妻帯の快楽を認めている以上、自派が戒に厳しいと、若い人材を獲得できないと考えたのかもしれません。 道元禅師が、今生の誘惑に負ける坊主、そしてそれを黙認している日本仏教を知ったら、大いにお嘆きになるでしょう。 南無三世諸仏。

回答No.3

もしかしたら、一休さん(一休宗純)が関係してる? 「坊主が肉食妻帯」 と聞いて真っ先に思い浮かんだのが、このお坊さんだったので。 でも、ネットで探してたら「yahoo知恵袋」にそれと思われる回答があったので、貼っておきますね。↓ http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1434298049

noname#154773
noname#154773
回答No.2

西洋の食文化に負けたのではないでしょうか? 今やキャバクラや風俗にに行く僧侶も珍しくなくなりました。 高級車に乗り酒を煽り、女を抱いて肉を食べる僧侶はゴロゴロ居ますね。 まぁ生臭坊主なので御利益など皆無です。

  • mappy0213
  • ベストアンサー率26% (1706/6353)
回答No.1

宗派によって違います 坊主が全部未婚童貞で菜食ではありません

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