個人、個、を取り巻く世界を整理して見た場合、その性質を8つに分けて考えて見ることを提唱した哲学者が居ます。
1.個人
2.家族
3.グループ
4.人類
5.生命体
6.物質
7.精神
8.神
これら皆、我々又は個人を取り巻いている世界です。その8つの領域を個人は所有しています。
そして、それぞれに対して抱く愛は、それぞれの存在に対する理解と連動します。
個人を愛することが大切なように家族を愛することも大切です。家族ばかりではなく仲間、会社、チーム、或いは国民への愛も大切です。
そして人類や動物への愛。
その比率、度合いはその個人個人の精神のあり方生き方や目的で変わりますが、それぞれの領域は同等の重要性を持ち、その個人の世界を創り出している訳です。
個人への愛とは、栄養ある食事、眠り、健康維持などの活動として現れます。 家族、子育ては第2の領域です。チームを勝利に導くことや地球環境に働きくけることや、神への信仰、芸術への傾倒、表現などなど活動は広がります。
自己を否定しながら家族を愛することはあまり合理的ではないでしょう。飲まず食わずで全ての食べ物を子供に与えてしまったらそれ以上働けなくなり子供も野垂れ死するかも知れません。
自己を愛し、家族、友人を愛する。更には人類愛へと繋がっていきます。これらは、どれが大事でどれが大事ではないということではありません。
個人は、自己世界に於いて全ての生存領域を有していて、どれもが同等に重要です。
ただより多くの生存を有効に活かすかより多くの生存を破壊するかは個人の選択に掛かっています。
あなた様の質問の意図とズレるかも知れませんが一応こういったことを体系付けた哲学者が居るということです。
自己を愛し受け入れるには、正しくより多くの生存を環境にもたらしているという道徳意識に適った自尊心の高さが必要です。
つまり、他者を慈しみ助け道徳に沿う生き方を選択しない限り、理性に於いて個人は自己を愛することは出来ないということ。もし自己を愛するならばそれは偏愛であって他者を隔絶した偏狭な存在に陥った状態と言えるでしょう。 自己の世界に8つの要素を持ちながら、たった一つの生存に固着するという状態です。人はより強く健全であればあるほど、他の生存に沿うように創られていることは、一つの宇宙の理、少なくともこの地上ではそういう風にできているようですよ。
お礼
「自己への愛が他者への愛を導く」- 肉食妻帯坊主はこれを実践してたってわけだ。 有難いな。