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『存在する』に物理法則は不要なのか?
存在が存在するために原因が有るのか、無いのか、分かりませんが、存在とはただ存在しています。 また、物理学では、存在が存在するという存在の本質はつかめません。 何故なら、物理法則自体も何故存在しているのか分からないけれども、ただ存在しているだけでしかないからです。 結局、何故だかは分からないけれど、存在とはただ存在しているとしか言いようがありません。 つまり、何故存在が存在するのか? という存在の本質を考えると「何かの原因によって存在が存在するという結果に結ばれる」というような因果律も存在しないし、それが成り立ってもいない、因果律によって「存在が存在する」という存在自体の本質に対して考えることは全くの無意味です。 もはや、ただ存在するとは因果律を超越していると言わざるを得ない結論にたどりつきます。 それなら、宇宙は『魔法の世界』と言えるかもしれません、存在するとはまるで魔法そのもののようです。 『存在とはただたんに存在する』のなら、因果律が成り立っていないし、そして因果律を超越していると言えます、また、物理法則自体も『存在する』ということ自体を説明するものではありませんし、また、物理法則は存在の原因にも成り得ません、物理法則は存在を存在させるものでは無くて、ただ存在に秩序を与えるものでしかないのなら、物理法則によって存在が存在しているという訳では無いことになります、結局、どこまで遡っても存在はただ存在しているとしか言いようがないからです。 因果律が無意味なら『存在はただ存在するだけ』であり、『存在する』ということに対し物理法則(秩序)は不必要ということでしょうか?それとも存在に物理法則は必然でしょうか? 必要ない場合、物理法則が無い状態のただ存在するという『物理法則に縛れない存在』(無秩序)が可能ということになりますが、物理法則を持たないとは一体どのような状態の存在でしょうか?(法則が全く存在しない状態など想像できません) 例えば、その『物理法則に縛られない存在』とはまるで魔法のようで、秩序が無いということは、つまり、無限の可能性を秘めている存在なのでしょうか? 存在するということを原因と結果では説明できませんしそれは無意味であり、存在とはつまり原因と結果を超越していて、存在とはただ存在するだけでしかありません。。
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- miko-desi
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因果律(時間が過去から現在、そして未来へと流れる) は閉鎖的な世界観(環境外部からの観察)の理ですが、 それに慣れてしまっているような私たち生命態は、 解放系であることも考慮しなければならないようです。 特に人間の「精神」では無秩序から秩序を現わしたり(暗黙知)、 時間の矢に逆行する多種多様な現象を多次元的に扱えるからです。 生命体としても「存在は本質に先立つ」といいますが、 解放系では本質を自己創出する存在がある。 情報を受け取るだけでなく、自らが可能性を淘汰していきそこに移行していく。 進化や適応能力、恒常性と呼ばれるものも、 生命体は非因果律を創出していると考えることも可能であろうと思います。
- mmky
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存在するということを原因と結果では説明できません ○そんなことはありませんよ。全てが因果律ですよ。 例えば、あなたが日曜大工で椅子を創ったとしましょう。完成した時点から椅子は存在しているのですね。あなたが死んだ後も存在し続けますね。その椅子を石で創ったとしましょう。その椅子は風雪に耐えて10万年ほど椅子であり続けたとしましょう。あなたの子孫も絶え、未知の人類がその椅子を観て偶然にできたものか、何故存在しているのかわからない。というかもしれませんが、あなたはあなたが創ったという事を知っているわけです。さて、あなたが無限だと考える宇宙もあなたが創った椅子と同じものなのですよ。時計を創れば時間になりますしね。規模と経過時間の違いだけで全て因果の法則なんですよ。 全てにおいて創ったものがいるから因果律はくらませないんですね。 因果を疑うということは自身の認識の低さを反省するよすがとすべきものなのです。
- entap
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存在する、とは、認識可能な事象です。 認識可能な事象が存在するためには、因果が必要です。 認識可能な事象が存在するためには、認識者も必要です。 その前に、存在しているという事象を認識するためには、存在するという言葉が必要です。 存在するという言葉があり、その言葉の使い道について不思議がっているあなたがいるだけではないかと思いますが如何。 言葉のゲシュタルト崩壊がおきているだけではないかと。
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お礼
ご回答して頂きありがとうございます! 物理法則(秩序)は、確かに存在しているけれど、物理法則が『存在している』または、現象しているとか、意味を持ち成り立っている、ということ自体は原因の解明のしようがない、つまり、『存在する』という説明できない根本的な現象自体に物理法則が必然でないならば、物理法則はただ存在させられているだけならば、 物理法則(秩序)がただたんに存在しない状態(無秩序)があってもおかしくないのでは? という疑問なのです。 また、仮に、物理法則(秩序)が無い状態が存在したとしたら、 それは、つまり、法則が存在しない訳ですから、何の法則や規則にも縛られることが無いという事は、全ての事が可能と言う意味でもあり、無限の可能性がある存在なのか? という疑問なのです。
補足
ご回答して頂きありがとうございます! >存在する、とは、認識可能な事象です。 人間が認識可能な事象だけが、存在だとは言わないと思います。 何故なら、人間が宇宙に誕生する前の宇宙は人間に絶対に認識されないので、人間が認識出来ないので人間が存在することになるまで、宇宙は一切存在しなかったと言うのと同じではないでしょうか?つまり、人間が宇宙に存在する前には宇宙は存在しなかったと言うのと同じではないでしょうか? また、宇宙に因果律は確実に存在しますが、では何故そもそも因果律が存在するのか?因果律という存在は何なんだ? という疑問なのです。 例えば因果律とは、 酸素(原因)と水素(原因)が反応して水(結果)に変化するということですが、 では根本的に、そもそも酸素と水素そして水とはなんだ?これは、酸素や水素よりもっと小さな、酸素と水素自体を構成する素粒子へ遡って原因を追求したいということではありません、素粒子も含めてそれを仮に『存在』と呼ぶのだとしたら、存在するというのは何なんだ? という存在そのものに対しての疑問です。 つまり、化学反応(因果律)自体が何故存在するのか?それどころか、化学反応が存在するとは何なんだ?という疑問です。また、例えば、仮に、宇宙の最小構成単位(つまり、それ以上分割不可能な素粒子)が発見されたとしたら、では最小構成単位は何故存在するのか?最小構成単位という存在自体は何なんだ?つまり、究極まで遡ったとして『存在する』という事自体は原因や結果で説明できないことになる。 という疑問です。