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物理学の基本法則
物理学の基本法則は、古典力学、一般相対論、量子力学すべて微分方程式で表されています。ということは初期条件が与えられると、この宇宙の全未来と全過去が決まってしまうということです。たとえばモーツアルトの音楽はモーツアルトの誕生以前の初期条件の中にすでに存在していたこのになる。したがって我々の創造性も倫理も意味をなさなくなってしまう。 物理を勉強している皆さん、あるいは生業にしている皆さん、そんなことが信じられますか。ご意見をお聞かせ下さい。 因に、量子力学の不確定性原理は単に微分方程式に従う実態が数ではなくて、演算子あるいは波動関数だと言うことを主張しているだけですので、演算子に対する物理学の基本法則のこの初期条件による決定論的性格は変わりません。 また、フォン・ノイマンの観測の理論は物理学の基本法則の枠外の理論ですので、これを認めてしまったら、そもそも物理学におけるの基本法則の概念も無意味になってしまいます。
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お礼
有り難うございました。
補足
質の高い反応、有り難うございます。雑用に追われ返信が遅れることもありますので、ご辛抱ください。また、内容が物理学とは何かという大枠に関する議論ですので、お互いに噛み合ない遣り取りがあるのは、いたって自然ですので、逆にその噛み合ない則面を通して新しい問題点を認識できるかもしれないという、生産的な立場で論じているつもりです。 (3)について: 保江先生の業績は第一級の仕事として讃えられるべきでしょう。 私の友人の数値計算の分子運動論の専門の人で、粒子間の相互作用にはニュートンの法則に従う力だけを仮定して、対流が起こることを示した人がいます。個々の粒子の運動は乱雑でしたが、粒子の位置と速度の平均値を場所ごとに描くと立派な対流が起こっていました。 (4)について: 観測による波束の収縮は今のところシュレーディンガー方程式の解からでてくるものではなくて、それとは独立な原理から起こるとしているのがフォン・ノイマンをはじめとした観測の理論の主張です。これを認めてしまうと、この宇宙には幾つもの独立した原理が存在するという多元論信者になってしまいます。#2の補足内容のところのでも述べましたが、それを認めてしまうと、自然はどこからどこまでをどの原理に任せるのかをどう決めているのか、という問題が起こってしまいます。そして、それを理解するための統一原理が必要になり、したがってまた一元論にもどってしまうという、堂々巡りになってしまいそうです。#9での補足内容でも述べましたが、物理学者とは一元論を信じる物理教信者のことを言いうのだ、というのが私の持論です。 今のところ、波束の収縮によって確率の概念が確立したと、確率に、いや間違えた、確実に言うわけにはいかないと思います。 波束の収縮を部分系と熱浴との力学的相互作用の結果として説明しようという試みもありますが、何故熱浴が熱平衡状態という、軌跡や波動関数の概念では説明できない確率的な分布をするかという、一番難しい問題を避けて通っています。 デコヒーレンスについて: 私の理解ではデコヒーレンスの理論には2局面があり、一つは励起原子の基底状態への自発遷移が指数関数的に起こる現象を指す場合と、二つには、熱浴などとの相互作用で、部分系の情報が失われることを指す場合があります。 前者の自発遷移はシュレーディンガー方程式の厳密解として記述されますので、この過程で全体としてエントロピーは増えず、何の情報も失われていません。 後者の場合には、先ず熱浴ありきとの仮定をしますので、上で述べた一番難しい問題を避けて通っています。そしてこの場合、例えば、パウリのマスター方程式などの、はじめから非決定論的な運動論的方程式を解いて、デコヒーレンスの現象を論じています。従ってこの過程ではエントロピーが増大してしまい、物理学の基本法則とは相容れない結果になっております。 デコヒーレンスを論じる場合、熱浴を仮定した後でハミルトン形式で力学として解く方法も時々見かけます。その場合、熱浴が大きいので熱浴の時間変化は無視できるという近似を使って計算するので、力学の決定論的側面の重要な概念である、いわゆる記憶効果が無視されてしまい、厳密にはやはり物理学の基本法則から現象が説明できたと言うわけに行かないと思います。 何れにしても、デコヒーレンスの現象が量的に説明でき、それが実験で確認された場合にはそれで十分ではないか、という人もいるでしょうが、それは典型的な工学者の立場だと思います。#3の補足内容のところのでも述べましたが、物理学では、個々の現象が量的に無矛盾に計算され、かつ、実験で確認されればそれで良しと、満足できません。その現象がどう物理学の基本法則と関わり合っているかまで認識できたとき、はじめて、満足できるのだと思っています。