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存在するという結果自体が、実は原因なのか?
因果律とは、原因と結果という、時間の順序のことであり、原因と結果が同時であっては矛盾ということになる。 このように、因果律とは、時間の順序そのものということであるが、それを空間的に捉えた場合。 例えば、電子、陽子、中性子を原因とするなら、原子を結果とするような考え方もできる。 とは言え、原子とは、結局のところ、電子、陽子、中性子、の集まってできた集合体であって、本当に存在しているのは、原子ではなく、電子、陽子、中性子であり、それらが集まって原子として振る舞って存在しているだけなのである。 とすると、結局原子とは、電子、陽子、中性子が原因であると共に、電子、陽子、中性子が結果でもあるのだ。 だから、電子、陽子、中性子に存在する固有時間は、同時に原子(電子、陽子、中性子)の固有時間そのものなのだ、原因と結果は同じ時を刻むどころか、全く同じ存在なのである。 つまり、このように、原因は結果であると共に、結果は原因でもあり、存在が存在するための原因は、存在自身であり、原因を遡ったり、外部から原因を必要とすることなく、存在は、因果律が原因と結果の二つの間で閉じたループになっていて、因果律が自己(存在)の中で完結しているのだ。 このことは、原子だけに限らず、それよりミクロの世界を構成する素粒子や、また銀河のような宇宙の大規模構造にもあてはまるように思える。 つまり、原因と結果は同じ時を刻む、同じ一つの存在なのだろうか? そして、存在するという結果自体が、実は原因なのだろうか?
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- agripapa
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だいたい、宇宙開闢のビッグバンがゆらぎから始まるってのがお笑いなんだけどさ ・
- agripapa
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確かに 生まれ出たものは死ぬということにおいては 存在と同時に原因と結果を内包している と言えますね けどそれを生命現象の全てに当てはめるとしてしまうのは生命機械論もしくは決定論になってしまうな。。 アインシュタインに神はサイコロを振らないと言わしめたけれども 素粒子論になるとゆらぎとかでカオス状態が生じ予測が不能になるということも科学的には知られてきていて決定論には懐疑的になってるってのが今は当たり前になってきているのではないのかな ・
- sibat0901
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質問者様のとても興味深い問いかけに、思わず反応してしまいました。 私の認識している範囲での回答になりますが、何とぞご了承下さい。 原始の存在(神・創造エネルギーとよばれるもの)は何かの原因があって存在しはじめたのではなく、”はなからずっと存在している”のであり、存在そのものなのではないでしょうか。 存在そのものには、原因と結果はなく、存在のプロセスそのものだと思います。 ですので、 >つまり、原因と結果は同じ時を刻む、同じ一つの存在なのだろうか? >そして、存在するという結果自体が、実は原因なのだろうか? というのは私もその通りだと思います。 一つの存在は生命のプロセスそのものであり、それが永遠の今にそのすべてが存在している。 原因と結果とは、永遠の今という久遠の瞬間を、恣意的に範囲を区切ることで、それがあるようにみえるだけで、本当は原因も結果も同じ時(永遠の今)に存在しているのだと思います。 私たちが原因と結果を経験できるのは、実際に一つの存在(神)から生み出された、複数の存在(宇宙)に存在しているからではないでしょうか。 一つの存在(神・創造エネルギー)は自らの意識を”経験する”ために、一つの存在である自分を、複数の存在に分割させて(分割させたようにみせて)ある自分の一部が他の自分の一部を振り返って、「私はAではなくBなんだ」と実感できるようにしたそうです。(神との対話 サンマーク出版) 私たちが存在している世界(1つから分割された世界)では、原因と結果を経験することができます。 経験はできますが、実際は1つの存在しかないので原因と結果があるように見えるのだと思います。
- sheep67
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NO20です。 ちょっと補足させてもらうと 原因と結果を知っている自分を、そのまま、現実リアリティーをめいっぱい経験してる まさにその瞬間に持っていくことはできません。なかなかそういう余裕はないですし。 つまり現実を経験してる時と、この原因ー結果で俯瞰してる時は、ある意味別人です。 その乖離が、つまり・・論理的にはわかってるにもかかわらず、 現実実体験中には、その原因ー結果の俯瞰した視点をその場に持ってくることは難しいように 感じます。 すべてが終わってしまってから、「ああ、あそこはああだった、こうだった」と、再解釈できても 遅いですし。 それは先に書いたように、現実に逐一起きることを、抽象的にはともかく、ぐたいてきには 原因ー結果に基づいて瞬時に解釈できないからですが。 これができないと、いくら理屈が正しくても、実生活に影響力がないので。 そんなこんなで、先の投稿のような話になりました。 質問者さんにとって、実生活への応用がどの程度価値があるのかわからないのですが・・ (というかこれはモロに僕の課題なんですが・・)
- ok9608
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No. 19です。 若干の補足です。 因果律がない状態でも ある条件下で再現性がある ということは工学的あるいは実用的な認識とおもうのです。私は 不思議と思う一つは 物理学(自然科学)は論理構成である という説です。勿論、因果律、無矛盾律の世界となります。観察実証の世界は これを裏づけしていると思うのです。しかし なぜ 物理学は論理構成になるか ということです。論理構成は理解し易いとうメリットはあり 応用面も広がる のですが そうなっているという 証明はないと思うのです。量子力学は そこに 一つの反旗を突きつけたものと思うのです。物理学として必要なことは何かです。再現性は 一つの要件と思うのです。 個人の存在、原因、結果などの納得理解は ある種暗記でも、ある種感覚でもある種情報でも いいとおもいますが。 参考までに。
お礼
ご回答して頂きありがとうございます! 逆に宇宙のマクロな世界においてある程度論理的になっているほうが不思議なのかもしれないです。。 そうなら因果律が必ずである必要は無いように思えました。 因果律があるか?より観測において何が正しいのかそれが一番重要であることだとわかりました。 参考にさせていただきました、ありがとうございました!
- sheep67
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こんばんは。 >原因と結果以外にあと何が必要だと回答者さまはお考えでしょうか 原因と結果をつなぐところの、過程、でしょうか? 現実にあるすべてを原因と結果は、包括的にはしますが、個別に現実を全部説明するわけではないので、 世の中が、その原因と結果に挟まれた、囲まれたものだとしたら、 実生活が、全部この原因と結果に帰結するかどうか? というあたりが気になります。
お礼
ご回答して頂きありがとうございます! >原因と結果をつなぐところの、過程、でしょうか? >実生活が、全部この原因と結果に帰結するかどうか? というあたりが気になります。 おっしゃる通り、実世界の全てを原因と結果という二つの概念だけで説明できるのなら、世界をもっと理解出来るような気がします。しかし、現実の世界はどんなことにしても、単純なように見えて実際は複雑ですよね。 それでも、宇宙を何処まで理解出来るのか気持ちとしては挑戦はしていきたいですね。。 前回ご紹介頂いた、振動宇宙論は、時間も閉じていて遠い将来宇宙がもっと膨張した時に今度は収縮に向かい時間が逆転するという法則があったとしたら、いま時間の進行方向が過去→未来という一定で、何故今は時間が逆転しないのかということの原因なような気がしますね。 また、ご紹介頂いた、相関関係と因果関係というのは、私の中では相関関係と因果関係をどうやら混同していたようです、でも、相関関係と因果関係は別の概念だと分かりました。(しかし、相関関係というのは、二つの事柄の間の因果律の自己完結のような感じを勝手に受けました(笑)(笑)) ありがとうございました!
- ok9608
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はじめまして。 存在を物理学(自然科学)存在として捉えると 観察実証の世界になると思います。観察は ご存知のように 時間変化を 捉えているわけで因果律の世界と思います。しかし、観察に至るまでの説明は 必ずしも因果律に従っていないし、必ずしも論理的でもない と思われます。量子力学が その例でしょう。そんなモノが何故使用され続けられているかですが、条件が整えられば十分な再現性があるのです。量子力学の解釈問題と言われているようです。因果世界ではないということでは 情報世界という理解も可能でしょう。幾何学、確率など数学は 因果世界ではない と思います。 以上 参考まで。
お礼
ご回答して頂きありがとうございます! マクロな世界では、因果律が存在していると思いますが、ミクロな世界では量子力学のように必ずしも因果律が成り立ってはいないようですね。 因果律というと、人間の感覚からすると物事の起こりをとても解釈しやすいのですが、再現性があるから、となると解釈するというより、その都度、その都度、感覚で理解するというより、暗記しかないという感覚になるような気がします。 やはりどうしても、物事には必ず原因を作りたくなりますが、量子力学などを理解すると本当は原因なんて無いような気もしてきます。。
補足
『存在』とは、存在しているという結果であると同時に、その結果、観測することになる原因でもあるような気がします。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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amluqhxさん、私たちが勉強し、精進しているヒンドゥの教えには宇宙の生成と展開の理論があります。 その出版物のA4の2000Pほど本のなかに、原因であり結果であるという、日本語で10語ほどのフレーズがあり、興味を以ってここを訪問しました。 そしてご質問とかの本の前後を含めて読み直しました。 しかしたいへん似たことを内容としていてもちょいと違う内容でした。 この教えを勉強してきて、私個人は事柄の進行や展開がスパイラルであるという感じを持ちます。 原因が結果になり、結果が原因になりながら展開しているような気持ちをもちます。 磁石の磁力などもそういう見方ができるような気がします。 適宜なところで切断した磁石は同じように陰陽の磁極となりますね。 宇宙の展開で、原因を分析すると結果が内包されている。結果を分析すると原因がそこにある。 そういうようなことを、ご質問やご回答を拝読して感じました。 ご質問への回答ではなく、自分の普段おもっていることをご参考に書いてみました。
お礼
ご回答して頂きありがとうございます! ヒンドゥの教えには宇宙の生成と展開の理論があります。 その出版物のA4の2000Pほど本のなかに、原因であり結果であるという、日本語で10語ほどのフレーズがあり、興味を以ってここを訪問しました。 そうなのですね、初めて知りました、教えて頂きありがとうございました。 形は違えどずっと昔からこのような理解が存在しているのですね。 おっしゃられる通り、磁石の磁力というのは、磁石のN極から出た磁力線が、いつのまにか磁石のS極から入り、今度は磁石の中でいつのまにかN極となって出て行く、という反対の性質を持つものどうしがあたかも、一つの同じ存在であるかのように、二つで一つとなり、互いに互いを存在させるための原因であるかのような、始まりも終わりもない自己完結した閉じたループになっているかのようですね(この理解が物理学的に正しいのかは分かりませんが)。 そして、磁石とは、何処まで分割してもN極とS極は互いに不可分な関係であり、それらが、二つで一つとなり、磁力という存在になり、自己完結しているようですね。 また、例えば、男女という異なる性質の間に子供が産まれる、というのも、反対の性質の者どうしの間で自己完結が成立し、二つで一つの存在になるように思えます。 DNAの二重らせん構造なども二つで一つとして細胞を作るなど(RNAという一本鎖もありますが)。 この、反対の性質を持つ存在どうしが、両者間で互いに補完しあって二つで一つの完結した者が誕生するというのは、何かの真理のようにも思えてきます。 参考になりました、ありがとうございました!
- sheep67
- ベストアンサー率28% (36/128)
こんばんは。 (2)『時間進行の瞬間(現在)における、「原因と結果のシンクロ」という時間的因果律のループ』 これは最初見たときオリジナリティーあるなーと思いました。 僕も考えるネタを貰えてありがたいような。 内容読ませていただいて、論理的は多少ざっくりな感じだけど矛盾はないなーと思いますし、 >時空の自己完結により時間という不可逆的な方向に進行が始まったのだ これもあーなるほど、と思いました。 深いところでそうかもと思います。 で、これが宇宙の真理解明かどうかというと、この場合の質問者さんが扱われる宇宙というのは、 なんというのか・・形而上学的宇宙かしら? 詳しくないのでわからないですが、 物理学の宇宙じゃないですよね? 概念で構成された宇宙観というか。 この世界観は、質問者さんの性格などに対応してると思います。 で・・・その質問者さんの宇宙において解決してるのかもしれないですねー。 僕はちょっとピンと来ないとこがあって。 質問者さんはこの結論が正しいとしたら、それで十分納得がいって、もう逆さに振っても疑問が湧いてこない、ということなんでしょうか? 矛盾がないようには僕も思いますが・・
補足
ご回答して頂きありがとうございます! いやー、私も、まだまだ疑問だらけで、全くスッキリ解決はしていません(笑) 形而上学のことは、私もよくは知りませんが、少なくとも、自分だけで納得できる都合の良い妄想だけはしたくないです(笑)。 存在を、やはり物理学を軸に哲学したいです。 時差無く、原因が結果を作るのと完璧に同時に、結果が原因を作ったから、(例えば、エネルギーという存在は、『原因というエネルギー』が『結果というエネルギー』を存在させるエネルギー原になるのと完璧に同時に、『結果というエネルギー』が『原因というエネルギー』を存在させるためのエネルギー原に当てられるということが同時に起きたため、原因と結果の間でエネルギーが保存され、エネルギーは存在できた、つまり、エネルギー自体は完璧な永久機関である、とか(笑))物事の存在するという結果自体が原因で自己完結していて外部から原因は必要なく忽然と 誕生できるのだとい言い切れるような気はするのですが、あくまでも、原因と結果という言葉というか概念でしかないとも思いますし。 原因と結果さえ揃えば万事解決というのも確かに、私自身どこかしっくりきません、とするならば、物事が存在するというのは、原因と結果以外にあと何が必要だと回答者さまはお考えでしょうか??? オリジナリティーがあると言って頂いいたのは嬉しいです!
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
「原子は現象であり、電子や陽子などの素粒子が実体である」と お考えな訳ですね? しかし実は、素粒子はクォークによってなり、さらに量子の振動 (=超弦)によってなる、という事が明らかとなっています。 その量子とは、存在性の実体である確定性ではなく、不確定性 に由来するものなのです。 たとえば「存在」を決定する事は、どこにが何があるか、即ち “位置と運動量”の対の、両方を確定する事を意味します (あるいはその時間軸的転換としての時点と質量の対)。 ところが、そうした値は不確定性を伴い、しかも上記の2対の 一方を絶対的に確定化すると、他方が無限不確定化するという 相補性を有するのです(不確定性原理)。 これは計算上の問題ではなく、その相補性の極限として、 エネルギーの最小単位や長さ・時間の最小単位が求められ、 その「エネルギーの最小単位」によって、光は波でもあり、粒子 でもあり得、また電子がエネルギーを放出・吸収して移る軌道も 飛び飛びになるのです(この量子性がなければ電子は原子核に 落ち込んで、世界は瞬時に崩壊する)。 相対性理論の四次元時空の式において、時間は虚数項であり、 そのために空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”ができます。 それが「ライトコーン」、即ち光子(=量子)の形成する面であり、 光速以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点 なのです(超光速=タキオンは時間軸逆行=過去と等価)。 量子論的世界像において、有限な性質=存在性は、認識される ことで派生するとされます。 全ての存在は、不確定性原理において、確定化しようとすると 無限不確定性(=無)に還元すると共に、その不確定性において、 無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。 この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に認識体 の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、 認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完 (相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。 その認識体(現在=光速)による大ざっぱな認識=階層現象表面的 定性化における非光速性に基づく、超光速=過去=記憶=自我仮説 と光速下=未来=予測=空間仮説の対発生の、無への還元が光量子 なのです。 「何かあるのでは?」という疑問(自我仮説)と対発生した時空仮説 への無の射影=「本当は無いんだけどね」ていう。 「因果律」=相互作用の本質が量子(不確定性)のみに還元される 時、原因をどこかに求める必要はない、元々無いのだから。 (いかに「本当は無い」かを知る=我々の日常感覚の虚構の脱却 こそが全ての認識的努力のたどり着く行方である)
お礼
ご回答して頂きありがとうございます! 回答者様のおっしゃられる内容が、私の頭にとっては少し難しいですが、私なりに解釈させてもらいますと。 イメージとしては映画マトリックスで、主人公ネオが仮想世界がコードで見え、世界の法則は手中にあり自由自在というような感じのイメージが浮かびました(笑)。(イメージとして間違っていたら本当にすみません) 私としては、実生活で因果律を考えるというよりも、単純に宇宙の誠の仕組みが知りたいという知的好奇心と、私が生きている間では、科学では宇宙が解明されないという漠然とした不満感を、回避したいという心の何かの支えであるような気持ちで、哲学の何とか論法とかは知らないので、物理学を大前提としながら、若干思想っぽいですが宇宙を哲学したいという次第でありました。 物理学でも、存在の哲学でも、その視点から普段の実生活や大自然を眺めると、宇宙のミクロとマクロ、素粒子と生物など、なにかの共通点が見えてきたりはします。。