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学校教育で教えること
みなさんが学校教育(特に義務教育)において、教えられるべきであると思うことは何ですか? また、学校の勉強で「無駄なんじゃないか」と思うことはありますか? もしそうなら、どんなものが無駄だと思いますか?ex)「国語で心情を読み取る問題はいらない」 アンケート感覚でお願いします
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- satol2012
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今、学校の心の教育で、不足してるのは情緒です。それを補給出来るのは、日本の伝統文化です。現代人は、人を、脳が、脳の知恵が育てると思っています。これが間違いです。人を育てるのは、情緒です。現代人は、脳を過剰に刺激したために、情緒不足になっています。逆に脳を休めて、情緒を補給する事です。脳が思考してる時は、脳が人の心と自然の情緒との交流を、遮断するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので、心が癒されます。だから原因は、現代の娯楽や社会生活が、過剰に脳を刺激するから、情緒不足になっています。昔の日本人は、生活に間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽も脳を休ませて、情緒があるものばかりでした。日本の伝統文化は、脳を休ませて、自然の情緒、心の癒しを追及しています。だから学校教育に、伝統文化を入れて、情緒を補給する事です。人の知恵や教え、論理思考では、脳が情緒を排除するのでダメです。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。新しい時代は、情緒の心の時代です。脳の論理思考の時代は終わりました。雅楽、平曲、義太夫節、長唄、演歌、民謡、能、歌舞伎、文楽、日舞、狂言、落語、茶道、華道、書道、浮世絵、水墨画、和歌、俳句、源氏物語な
小中学の時は『算数』をみっちり教え込むのがいいです。 暗算が苦手でいつも指で計算してました。分数計算やスーパー等の割引率とかもみっちりと……。算数できなくて25過ぎまで割引計算できませんでした。義務教育の授業はそのままで。 高校の数学(記号使っての計算なんてバカには無理、それに普通の生活には使わないです)、美術等は希望する生徒のみにします。 『日本史』『世界史』等を逆に増やして自分達が生まれた国の正しい歴史認識を教えて欲しいです。『四大文明』は習ったけど卒業してから、アステカやインカ帝国なんてレンタルショップの世界遺産シリーズで知りましたよ!!何故、この文明があるのに外されたの?大した文明やないから?疑問点いっぱいですよ。 縄文時代以降の文明も見つかってるんだし…なんかおかしいです。 『道徳』も増やして公共でのマナーも教えるようにして欲しいです。高校生にもなると親御さんの目に届かなくなることもあるし、限界も出てきます。
- michael-m
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学校で習うことは「基礎」です。だから中学までの勉強で無駄なものはありません。 但し数学は無駄が多いですね。数I以外は要りません。実生活にほとんど関係ないでしょ。 その分、経済と歴史をもっとやるべきです。 外国人は言います「日本には世界有数の歴史があるのに、なぜ日本人は歴史を知らないのか」と。 私の母校の先生は「数IIは数Iで解ける。数IIIは数IIの知識があれば解ける」といって、私立理科系のクラスには数IIIを教えてくれませんでした。だから私の数IIIは独学でした。 実はその先生は代々木の予備校のアルバイトしてたんです。だから浪人が増えたほうが儲かると言うわけでした。 国語に関しては常用漢字以外は要りませんね。趣味の域でしかありません。 動植物は正式にはカタカナで表記と決まっています。薔薇や麒麟を書けても意味がありません。 文章はもっと読むべきでしょうね。感想等日本人は答を固定したがるのは良くないことです。 未だに軍国時代の全体主義が残っている証拠です。もっと本を読んで感性を豊かにすべきです。 母校の古文の先生は、その時代の経済環境を解説したり、状況描写を生々しく解説してくれてエロ本より刺激的でした。 学校の勉強が無駄だなんて言っているのは無駄にしているだけなんです。 知識はそれだけでは命が吹き込まれないただのデク人形です。知識と言う人形に命を吹き込むのが智恵です。 つまり勉強が無駄だと言っている輩は、自らに智恵が無い事を吐露しているようなものです。 例えば重さが増えると遠心力や慣性が大きくなる事は学校で習います。 私は中学で習いましたが、今はどうなんでしょう。 よく交通事故でカーブを曲がりきれず対向車線にはみ出して衝突とか道路から転落と言うニュースがあります。 たまに当事者の弁で「いつも通っているのに」といいます。そして少なからず事故当時は友人と4人が乗っていたりします。 もうお分かりだと思いますが、運転手に中学か高1程度の物理の知識と知恵があれば、こんな事故など起き得ないのです。 ちなみに私の学校の物理の先生は、雨の日の交通事故で、警察官のチョークを奪い取り、路面に数式を書いて、自らに非が無い事を立証してしまったと言う伝説があります。湯川学が生まれる遥か前、今から半世紀近く前の話です。