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日本の学校国語教育・文系教育に足りないモノは?
【1】 日本の学校国語教育に足りないモノは何であると あなたは思いますか? 【2】 日本の学校教育(国語以外の文系科目を含む)の中に、 逆に学ぶ側の考える力(疑う力を含む)を奪う部分があると、 あなたは感じたことはありますか? あるという方は、どのようなところが問題であるか、 具体的に説明をお願いいたします。 (今回は文系の学問に限定します。理系はまたの機会に。)
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1.国語教育は、「あてがいぶち」のものに対する理解力があるかないかが=学力レベルと解する仕組みでやってきたと思います。 そこには、予め予定された質問に対してどれだけ忠実に回答するかということにのみ力点が置かれているので、そこから逸脱した回答や考えは、異端として排斥するようなことを前提としていて、そうなると、個人の考えやそこに至るプロセスは全く無視されてしまうことが問題のような気がします。 今の若者はどんどん読解力が落ちてきて、変な言い回しや言葉遣いが跋扈していて、言葉をフィーリング、感覚的に理解してそのまま咀嚼せずに使っているような印象を持ちます。 2.外国の学校現場の様子についてテレビでやることがありますが、日本のそれとは雲泥の差のように感じます。 日本は暗記があって、それを踏まえた質問に対してどれだけ理解できるか・・という前提でいますから、暗記力という能力やロジカルな思考のみが優先されて、そこが苦手な生徒は自然と落ちこぼれていきます。そういう仕組みになっています(と思います)。 これに対して外国では、「無」のものから「有」の発想力を養う部分に力点が置かれている感じで、とにかく考えさせる、自分の意見をいかにまとめることができるかということなので、自然とそのプロセスが理解でき、応用した部分にも強いという気がします。 日本はまず基礎を養う、そこには常に記憶や暗記というテクニカルな部分が常につきまとって、そこで挫折した生徒はもう後にはついていけない仕組みのようなイメージがします。 面白いのは、例えば日本史の授業は必ず縄文時代あたりから勉強します。 なので、そのへんはよく覚えているんですが、近代史あたりになってくると学年末でなかなか詳しく教えられない授業カリキュラムの都合もあって、「ここから先は読んでおいて下さい」で終わってしまうこともあります。 必ず縄文時代、ページの初めもそこからですが、江戸時代や戦国時代から習ってはいけないの?、近代史から遡るやり方ではいけないの?、ピックアップ的に時代史を学ぶのはよくないの?・・というようなことを時々思います。 歴史は流れなのでそういうものだ、ということを前提とした教え方で、習う側も“そういうものか”ということで何となく習っていますが、そのへんを立ち止まって考え直すことも必要かも知れません。
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- 柊 うろん(@uronly)
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【1】進歩 【2】広辞苑あれ同人誌だろ? 生徒の悪い点をみても 言語ルール見直さずに 公式でもない俗な規律 押付けてるとこかな? 平なら立派★識者なら やめたすまんがねむい
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。 久々に職場からおサボり投稿でお礼を書いています。w