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教育について
皆さんは小学校、中学校の義務教育を生徒に教える上でいろいろと先々にあるから必ず行かないといけないと話すと思います。そこに蛇足のようになってしまうのですが、義務教育を受けなくても生きていけるという事を踏まえたたとえ話をしたらやはりいけないのでしょうか?そのたとえ話をしたら生徒達は「じゃ学校に行かなくてもいいのか?」と言って、もうこなくなるということになりそうで・・・ 自分的には生徒の視野(世界観?)が広くなると思うので、こう言った事でもどんどん言っても良いように思うのですが。やはり無責任すぎますか? よろしければご意見よろしくお願いします。
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- himawari_405
- ベストアンサー率14% (27/182)
生徒に話す必要はないと思います。 最近の子どもは考える力が不足しているように思います。 「じゃ学校に行かなくてもいいのか?」という短絡的な結論に至ることは大いに考えられます。 話すのではなく、考えさせる課題ではないでしょうか。 小学校高学年以上でしたらクラスを「行かなければならない」「行かなくてもよい」の二つに分けて討論会をしてみてはいかがでしょうか。 なお、余計なお世話ですが教師が「自分的に」などという正しくない言葉遣いをすることは改められたほうが良いと思います。
- ks623
- ベストアンサー率28% (25/88)
教員をなさっているようなのでわかっていると思いますが、義務教育の義務は子どもの義務ではなく周りの大人の義務です。 子どもには教育を受ける権利があります。 子ども達がこの権利を行使できるようにする義務が大人にあります。 私も中学校の教員ですが、毎年一番最初の授業でこのことを説明し、この権利を行使するかどうかは自分で決めることだと教えます。 そして、なぜみんなにはそんな権利があり、なぜ大人達にそんな義務が課せられているかも教えます。 たいがいこの話をすると、生徒達の中から「じゃぁ、学校に来なくてもいいの?」という声が上がります。 「そういう選択を自分がするのならそれは君の自由だ」と返します。 そして、「だけど君がその権利を放棄しようとしたら、周りの大人達は(自分も含めて)君がその権利を行使しようと思うように頑張るだろうね、義務があるからということだけではなくてね。」と伝えます。 義務教育を受けなくても生きていけるのは事実だし、実際に一度も登校せずに卒業し社会人になった生徒もいます。 しかし、それにはすごくエネルギーが必要なことだということも忘れてはいけません。 「だって先生が学校来なくてもいいって言ったもん」と理由をつけて不登校になる生徒を出さないように気をつけてくださいね。
- jive
- ベストアンサー率45% (27/60)
>自分としては義務教育を受けなくても人間は無限の可>能性をひめているのだからと教えてかったんです。 このことは、非常に賛同できる考え方です。教える価値のあることと思います。ただ、教え方が難しい、という問題である、ということだと思います。 学校に行くこと=良いこと 学校に行かないこと=いけないこと というイメージを多くの子供達は持っています。 これは、学校に行くことを習慣化し、 学校の重要性を理屈抜きに感じさせる上で 重要な役割を果たしている反面、 適応できない子供の心を苦しめたりもしています。 すでにご理解されていると思いますが、 学校は、特に初等教育を行う小学校は、 人間を社会に適応させるために必要な場所です。 そもそもの発想は、 支配階級にとっての良質の労働者の獲得が目的だった、 などといいますが、そんなことは今となっては どうでもよいことです。 義務的な教育のカリキュラムの中で学ぶこと、 そして集団生活の中で学ぶことは、 ひとりぼっちでは生きにくい人間という種にとって、 社会生活を営んでいく上で、 大変有用な内容であると思います。 しかしながら、学校で学ぶということがどれほど重要か、と考えると、過大評価はしてはならないとも言えます。 学校というしくみができたのは近代社会の成立の過程の中でのことでした。それまでは、全ての人に教育を行う学校などと言うものはなかったわけです。 では、その時代、人間は今よりも劣っていたのでしょうか。むしろ、私たちは逆の印象を持ってすらいるのではないでしょうか。 いや、これは、安易に結論づけられることとも思いません。人間にとって大切なことは、栄養のバランスと同様に、様々な要素があります。学校のない時代の人間が、ある種の「栄養失調」であった可能性もあります。しかし、栄養に満たされているはずの私たちが、なんだか自分たちの姿に自信が持てないような気もするわけです。 消極的なようですが、私たちはすでに学校(義務的な教育)なしには運営できない社会に生きています。学校なしに生きることは、定時制学校にやってくる年配の方を見るにつけ、大変なことであるように感じます。 私は学校は人間の発明である、という点から考えても、その必要性を過大評価はすべきでないと思います。学校がないと人間は全くダメ、などとは思いませんし、学校でなくても、多くを学ぶことはできるでしょう。 しかし、学校においても、人間にとって大切なことを学ぶことはできると考えます。むしろ、学校という場所を利用して、多くの子供たちがより多くのことを学び取れるようになれればすばらしいことではないか、と思います。
- massie
- ベストアンサー率17% (46/265)
いろいろな価値観を子どもに投げかけるのはとてもいいことです。よく状況を見て、ゆっくりと正面からそのことを考えるような時間があるときに、しっかりと投げかけてあげるのはいけないことではありません。(いじめがあるとか、テストの直前とか、思考が逃げたがっているときはダメですよ。)むしろ、当たり前だと思ってやってきたことに揺さぶりを賭けてやることは必要なことだと思います。義務教育(親や地方公共団体の義務)の段階を終えて、「あーさっぱりした。」「もう義務じゃないんだ」などといって自ら高校へ行かなくなってしまう子どもたち、通いこそすれ、何をしに行っているのか分からなくて漠然と毎日を過ごしている高校生が多いことを考えると「どんどんやってっていいんじゃない」と思いますけど。 maki4372さんも何も見ないで考えたわけじゃないと思います。目の前にいる子どもたちを見て感じたことが元になっているのでしょうから、「教師として向いてない」などと思わずに、もう一歩進めて考えてください。いわゆる「学校」には行かずに頑張っている子どもたちもいますし・・・。
- las8ty
- ベストアンサー率34% (35/102)
どうも、las8tyです。 「義務教育を受けなくても生きていけるという事を踏まえたたとえ話」をした後で義務教育を受けないことのメリット(良い点)とデメリット(悪い点)をしっかりと説明する必要があると思います。また、義務教育を受けることのメリットとデメリットも説明する必要があると思います。 「義務教育を受けなくても十分生活していける=義務教育を受ける必要が無い」という風に話しをしてしまったら、みんな学校に来なくなると思います。 子供は1つのことを問題として話すときに良いように一方的な話し方をしてしまうとそれが良いように感じて、悪いように一方的な話し方をすると悪いように感じてしまいます。 (初めに私自身が義務教育を受けるメリットとデメリットと受けないメリット、デメリットがわからないので適切な例とならないと思いますが申し訳ございません。) 義務教育を受けることで人と接し、グループでの生き方が解ると思います。また、字や漢字なども覚えます。第3次産業で働くならば当然この力はなければなりません。これがメリットだと思います。デメリットとしては自分では「これだ」というものは思いつかないのですが、農業などの第1次産業で家業を継ぐことや職人やスポーツなど技を極める職業なら義務教育で学ぶ時間が無駄になるかもしれません。 受けないことのメリットとしては、受けることの反対だと思います。 この義務教育を「受けること」と「受けないこと」のメリット、デメリットを知った上でどちらがいいと思うことを生徒1人1人が考えることが大切だと思います。 深入りし過ぎかもしれませんが自分の人生は自分で決めて自分で責任をとって生きていくものだと思います。義務教育を「受けること」と「受けないこと」で人生はだいぶ変わってくると思います。 追加として子供場合、職業や種類や各職業に関する知識が多くないと思うので安易な気持ちで受けない方が良いと思って学校に来なくなったり、まじめに授業を受けないことが問題になり、保護者の方々から苦情がくるかもしれません。 個人的な意見として対象がわからないのではっきりと話す方が良い悪いは言えません。小学生なら話さない方がいいかもしれません。中学生なら話した方がいいかもしれません。 私が話すときのポイントとは話した相手が「聞き流せる」か「受け止めて選択しても自分の責任だと解る」人に話すことだと思います。数十人の人を対象とすると上記の2つが混合すると思います。 私の考えですから参考にならないかもしれません。子供達のとってプラスになれば良いなと思います。大変、悩む問題と思いますががんばってください。こういうことを考えるあなたは素敵で良い先生だと思います。長くなってすみません。
- apple-man
- ベストアンサー率31% (923/2913)
>義務教育を受けなくても生きていけるという事を踏まえたたとえ話をしたらやはりいけないのでしょうか? 想像した話ではよくないです。 とかく生徒は先生の話を鵜呑みにしやすい ですから、「生きていける」という部分だけを 1つの情報として、覚えてしまいます。 教育と人生の関連は重要な問題であり、 教育なして幸せに暮らせるかどうかという 事に関しては、正解はありません。 また一例を挙げるのもよくないでしょう。 1つの成功例、例えば、私は義務教育を受けて いないが幸せに暮らしています。という例を 出すのは、子供を騙すことになります。 例えばビルの4階から落ちたいたが、死ななかった。 だから4階から落ちても死なないと説明するのと 同じです。 できるだけ複数の現実を見せ、正解はない、 だからどうするかは皆さんそれぞれで選択 する問題だ。という方向に持って行くべき でしょう。 もしできるなら 1)わけあって義務教育を受けられなかった人の 人生経験を2、3語ってもらう。 2)東大卒の人の人生経験を語って もらう。 というようなことをした上で、 どう生きるかは皆の選択に掛かって いる。他人の言うとおり生きて 不幸になっても、誰も助けて くれない。 教育がどう人生に影響するか、 その答えは皆が死ぬとき、それぞれが それぞれの答えを出す。 という説明が必要かと思います。
- nekketu
- ベストアンサー率25% (15/59)
この文章から判断いたしますと、maki4372さんは 学校の先生ですね。 その先生が、視野が広くなるから??ですかぁ。。。 無責任というよりも、視点が逆かなぁって感じがします。 視野が広くなるというのは、生徒の視野ですよね? 生徒たちが『あっ、そういう生き方もあるんだ!』 と、思うかもしれないという期待ですよね。 でも、義務教育は社会に将来羽ばたいていく 子どもたちが、様々な人間関係や、集団生活を学ぶ大切な場所なのではないでしょうか。 その義務教育を受けずに育つ15歳までの子どもたちはいったい、どうしてこの人間性について学んでいけるのでしょうか。 それとも、このお話は義務教育を受けられない 子どもたちがいる国のお話なのでしょうか? 義務教育が受けられない=国が貧しい=紛争 やはり、義務教育システムは必要だと思います。 先生の意図が、見えてこないので私の回答が 質問にそぐわないかもしれません。 そのときは、失礼します。
お礼
自分としては義務教育を受けなくても人間は無限の可能性をひめているのだからと教えてかったんです。それで生徒たちに少しでも視野を広めてもらい、自分の可能性を見失は無いようにと期待をこめての考えだったんです。 しかし、同僚に「そんな言っても言わなくても良いような事は言わないほうがいいよ」と指摘を受けました。万が一生徒が勘違いをしてしまい、学校にこなくなった場合に大きな責任問題に発展しかねないと言います。それじゃ、つねに理想論にのっとった話でいかなければならないのか?と私は疑問さえ出てきます。自分はやはり教職は向いてないのかもしれないのかもしれないですね^^:生徒に話をする時は理想論ではなく、やはり生徒たちにいろいろ知ってもらってそれから自分でいろいろと考えて欲しいが前提にあるみたいですから。 いろいろありがとうございました。