• ベストアンサー

天孫の降臨について詳しく教えて頂けませんか??

最近伊勢の神宮などの事を調べているのですが どなた様か「天孫降臨」のお話を詳しく教えて頂けませんか?? 回答お待ちしております。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kagakusuki
  • ベストアンサー率51% (2610/5101)
回答No.1

 詳しく書いた場合には、非常に長くなります。  長過ぎて入力するのが面倒な事と、このサイトの回答欄には4000字までしか入力する事が出来ないために、なかなか回答がつかない様ですね。  文字数制限がありますので、詳しく記述する事は出来ませんが、神道では天照大御神(アマテラスオオミカミ)が最高神とされています。  アマテラスには、2柱の弟神がいて、その末弟が素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。  又、スサノオの孫の孫のそのまた孫に大国主命(オオクニヌシノミコト)がいます。  スサノオに 「大きな国の主となれ」 と言われたオオクニヌシは、その言葉に従って、苦労して葦原中国(アシハラノナカツクニ:神道における人間界の様なもの)を平定し、国作りを行いました。  ところがある時、高天原(タカマガハラ:神道における天界の様なもの)を治めているアマテラスが 「葦原中国は我が息子の天の忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)が治めるべきである」 と言い出しました。  そこで、国津神(くにつかみ:葦原中国出身の神の総称、これに対し、高天原出身の神は天津神と呼ばれる)達を服従させるための使者として、天菩比命(アメノホヒノミコト)や天若日子命(アメノワカヒコノミコト)が次々に、国津神の代表であるオオクニヌシの所に派遣されました。  ところが、アメノホヒノミコトはオオクニヌシに媚び諂い、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘と結婚してしまい、両名とも使命の遂行を放棄してしまいます。  そこで、3番目の使者として、建御雷神(タケミカヅチノカミ)が派遣されました。  タケミカヅチは自らの強さを見せつけながら、オオクニヌシに対して、 「アマテラス様は、この国は我が子が治めるべきだと申されているが、お前はどうするのか?」 と尋ねました。  オオクニヌシは 「自分だけで決める訳には行かないので、私の息子達に聞いて下さい」 と答えたため、タケミカヅチがオオクニヌシの息子達に尋ねると、その中の事代主神(コトシロヌシノカミ)はあっさり服従しましたが、建御名方神(タケミナカタノカミ)は力比べを挑んで来ました。  タケミカヅチはタケミナカタをあっさりと返り討ちにしてみせ、逆らったタケミナカタを殺そうとしたた処で、タケミナカタが命乞いをして、タケミカヅチに服従を誓いました。  こうして、オオクニヌシの息子達を服従させたタケミカヅチが、再びオオクニヌシに尋ねたので、オオクニヌシは 「この国は御命じの通り差し上げ、私は隠居します」 と答え、地上はアマテラスの子が納める事になりました。  ここまでが、いわゆる「国譲り」と呼ばれている話です。  そして、次からが、いわゆる「天孫の降臨」と呼ばれている話になります。  こうして、葦原中国を譲渡された(侵略した?)高天原は、アメノオシホミミに治めさせようとした処、アメノオシホミミは 「葦原中国に降る準備をしている間に、息子が生まれたので、その子に治めさせるべきでしょう」 と言いました。  このアメノオシホミミの子供が邇邇芸命(ニニギノミコト)で、「太陽神にして、最高神でもあるアマテラス」の孫にあたる神である事から、「天孫」とも呼ばれます。  又、初代の神武天皇から続く日本の天皇は、このニニギの子孫だとされています。(ニニギの曾孫が神武天皇)  命を受けたニニギが高天原から葦原中国に向けて降ろうとしていると、高天原と葦原中国の間の道中の辻である、天八衢(アメノヤチマタ)という処に、鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、またホオズキのように照り輝いている1柱の神が立って居て、自らが放つ光で高天原から葦原中国までを照していました。  ニニギ達の一行が怪しんで出立出来ずにいたため、アマテラスと高御産巣日神(タカミムスビノカミ)が、天宇受売命(アメノウズメノミコト)に 「お前はか弱い女だが、誰と顔を合わせても気後れしない気性の持ち主なので、1人で行って、何者なのか尋ねて来る様に」 と命じました。  命に従ってアメノウズメが尋ねると、その神が 「私は国津神の猿田毘古神(サルタヒコノカミ)で、天つ神の御子が天降ると聞き、先導役を務めたいと思い,お迎えに参上しました」 と答えたため、ニニギは、天児屋命(アメノコヤネノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト)、アメノウズメ、伊斯許理度売命(イシコリドメノミコト)、玉祖命(タマノオヤノミコト)等の五伴緒(いつとものお)を始めとする多数の神々を従えて、高天原から葦原中国に向けて降って行きました。  ニニギには更に、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から取り出された天叢雲剣(アマノムラクモノツルギ)に、天岩戸隠れ騒動の際に使用した宝である、八咫鏡(ヤタノカガミ)と八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマを加えた三種の神器が与えられると共に、思金神(オモイカネノカミ)、手力男神(タジカラオノカミ)、天石門別神(アメノイワトワケノカミ)の3柱の神も部下に加えられました。  更に後には、豊宇気毘売神(トヨウケビメノカミ)も高天原から降り、その後、雄略天皇22年7月7日に新たに造られた伊勢神宮の外宮である豊受大神宮に鎮座しました。  高天原を離れたニニギは、天の浮橋を渡って浮島に立ち、そこから更に竺紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に降り立ちました。  そして、 「ここは韓国(からくに)に向かっている地であり、笠沙(かささ)の岬まで立派な道が通じていて、朝日の良く射す国、夕日の良く照る国でもある。 だから、ここはとても良い土地である」 と言い、地底の盤石に太い宮柱を立てた壮大な宮殿をを建てて住む事にしました。  地上で暮らす様になったニニギは、ある日、笠沙の御埼(薩摩半島の西端にある野間岬)という所で、美しい娘に出会いました。  ニニギが 「どなたの娘さんですか?」 と尋ねると、娘は 「大山津見神(オオヤマツミノカミ)の娘で、名は神阿多都比売(カムアタツヒメ)、またの名を木の花佐久夜比売(コノハナノサクヤビメ)と申します」 と答えたので、更に 「あなたには姉妹はいますか?」 と尋ねると、娘は 「私の姉に、石長比売(イワナガヒメ)がおります」 と答えました。  ニニギが 「私はあなたと結婚したいと思うがどうか」 と尋ねると、娘は 「私には答えられません。父のオオヤマツミに聞いて下さい」 と答えました。  そこで、ニニギはオオヤマツミの許に使者を送った処、オオヤマツミは大変に喜び、イワナガヒメとコノハナノサクヤビメの2人を、両方共に妻にする様に勧めて来ました。  姉妹が嫁いで来た時に初めてイワナガヒメを目にしたニニギは、イワナガヒメがあまりにも醜い顔をしている事に驚き、妹のコノハナノサクヤビメのみを妻として迎え、姉のイワナガヒメの方は、親元に送り返してしまいました。  娘を送り返されたオオヤマツミはいたく恥じて、次の様に言いました。 「私が二人の娘を共に差し上げたのは、 イワナガヒメを妻にすれば天津神の御子の命は岩の様に揺るぎなく、永遠のものとなるだろう、 又、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲き乱れる様に繁栄するだろうと、 宇気比(うけい:神前における宣言を伴う占いの一種)をしたからです。 コノハナノサクヤビメのみを妻として、イワナガヒメを返した、天津神の御子の命は、木の花が直ぐに散ってしまう様に、儚いものとなるだろう」  このため、神であるニニギの子孫である筈の、天皇方の寿命は(人間と同様に)長くないものとなったのです。 というのが、天孫の降臨に関係する話の抜粋です。  因みに、ニニギと同様に地上に降ったフトダマの子孫は忌部氏(いんべし・いみべし)となり、アメノウズメの子孫は猿女君(さるめのきみ)となり、イシコリドメの子孫は作鏡連(かがみつくりのむらじ)となり、タマノオヤの子孫は玉祖連(たまのおやのむらじ)となった様に、朝廷の祭祀に携わっていた氏族等の中には、天津神の子孫されている一族も少なくないのですが、何故か何れの一族も、人間並みの寿命しかなく、その理由は明確には語られていません。  特に、使命を放棄して、大国主命側についたアメノホヒ等は、ニニギとは関係が切れている筈なのですが、その子孫とされている出雲国造家の人間の寿命が長くないのは謎です。 【参考URL】  天孫降臨 - Wikipedia   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8  「日本の原典! 古事記物語」   http://homepage1.nifty.com/tosyo/kojiki.html  古事記現代語訳   http://musikikai.obunko.com/KOJIKI0-main.html  『古事記(こじき)』が伝える神話   http://bell.jp/pancho/travel/izumo/kojiki.htm

rnoheya111
質問者

お礼

大変ご丁寧にありがとうございました!!!^-^

その他の回答 (1)

回答No.2

  ── 皇祖神・高皇産霊尊が、地上を治めるために派遣した神々の子ら は、いずれも音信なく任務もはたさない。娘婿(天照大御神の長男)に 命じると「出発にあたって着がえているうちに、また男の子が生れてし まった。僕(あ)のかわりに降(くだ)すべし」という。  かくして、生れたばかりの新孫(皇孫・天孫)が日向の地に定住し、 三男の山幸彦(海幸彦の末弟)の四番目の末孫、皇祖神より数えて六代 目が“天孫の曾孫”のちの神武天皇となる。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19920211  天孫降臨余歳の元旦  

rnoheya111
質問者

お礼

成る程! 回答ありがとうございました!!^-^

関連するQ&A