- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- reflector
- ベストアンサー率7% (37/491)
>しかし若い頃、少なくとも、出産されてしばらくの間は伯耆国におられました。 これも間違いです。 裕仁(昭和天皇)はコリアンですが、西日本側を詳しく調べたようです。 歴史について、正しく記述している学術物件は少数です。 本物が偽書呼ばわりされたり、偽書が本物と入れ替わっていたりしていますので、まずは検証から行います。 ろくに検証もせずに語ると、裕仁(昭和天皇)のようになります。 例えば、皆神山にピラミッドは「存在しておらず」、しかし裕仁(昭和天皇)率いる宮内庁・旧日本軍は、皆神山をピラミッドと称し穴を掘りました。 掘れど掘れど土砂しか出なかった。 また、皆神山ピラミッドは世界一高いと云われていましたが、地上高250m級では2番目です。 http://www.matsushiro.org/map/map_matu.htm 巨大な階段状ピラミッドは、静岡県伊東市の近隣に位置する大室山に隠された階段状ピラミッドが世界最大級です。 その高さは、推定約450mです。 http://www.izuhapi.net/detail/index_548.html エジプトのクフ王のピラミッドと同じように石で組まれた階段状になっています。 これは前世の記憶からなので学術ではないようですね。
- reflector
- ベストアンサー率7% (37/491)
>ニニギの生誕地は蒜山(高天原)でしょう。 場所を知っているから、間違いを指摘しますし、場所は云えません。 恐らく生誕地を書き綴った書物はないでしょうね。 ニニギ本人と本物の天皇家、そして富士高天原王朝跡地を管理している神社以外は部外者です。
- reflector
- ベストアンサー率7% (37/491)
× http://blogs.yahoo.co.jp/ysaino11jp/folder/488446.html ○ http://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/ 質問の答えは、インチキな説です。 理由は、「天孫降臨」です。ニニギ生誕地が判らないから中途半端な言葉を用いて誤魔化している点です。 ちなみに、木花開耶姫の遺体は、北口本宮富士浅間神社に眠っています。 また、彼女らの一族が住んでいたのも神社周辺です。 神社を特定するのに守護霊からビジョンを見せられ、地図情報から北口富士浅間神社を特定しました。 守護霊は、妹の木花開耶姫 本人です。 さて、ニニギ生誕の地は、どこでしょうね? 裕仁(昭和天皇)が探せなかった場所を部外者が見付けられますかね。
補足
縄文海進で海面が百数十メートル上昇すれば蒜山(高天原)のような高いところに逃げるのは本能である。その後縄文海退が始まり、国譲りの交渉が成立し、蒜山(高天原)から鏡ヶ成(猿田彦が鏡を使って連絡をした場所)を通ってすぐ下の関金に降りてきた。 幼少期のニニギの命は関金(三ヶ所の神社に祭られている、神田神社 関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、 矢送神社 旧矢送村 関金町山口447番、日吉神社 関金町関金宿325番)で成長し上福田(楯縫神社)に移り、その後上種(大宮神社)に御所を築いた。関金からほぼ真北に移動している。 大宮(上種)以前(関金、上福田)はやまかげの場所ばかりで大宮(上種)を「日当たりの良い地である」と言ったのはもっともである。 ニニギの生誕地は蒜山(高天原)でしょう。この説を最初に唱えた、佐竹教諭は不敬罪として昭和3年に朝鮮の中学校に左遷された。その後、昭和50年代に田村誠一氏、現代では、大阪の大橋氏が提唱しています。高天原は蒜山であるという説です。ニニギはそこで生まれ、4歳で関金に降りてきました。
補足
神社を特定するのに守護霊からビジョンを見せられたのでしたら、学問ではないのでこれ以上議論もできないと思います。浅間神社にコノハナサクヤヒメの遺体が眠っている可能性はあると思います。しかし若い頃、少なくとも、出産されてしばらくの間は伯耆国におられました。