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快楽の本質
プリンをペロリとたいらげる。 もっと味わって食べればいいものを・・・ 考えると、快楽の本質がわかってないのかと思う。 我がことながら・・・ 首相がなんとか会議を創設して仕事をした気になったのと私が購買欲を充たして快楽はほったらかしにしたのは本質的に同じ。 もしくは、私は新作プリンに好奇心を刺激されただけではないのか? そうであれば、誰かにあげて少し味見するだけでよかったのではないか?
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「誰かにあげて少し味見するだけでよかったのではないか?」 ↑ 見せびらかして、羨ましそうな顔をしている誰かを 見るのも快楽です。 それはともかく、快楽ってのは芸術論における 異化説と似たところがあるような。 美、という文字は、羊を食べて美味しかった、という ところから来た、という話を聞いたことがあります。
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>もっと味わって食べればいいものを・・・ >私が購買欲を充たして快楽はほったらかしにしたのは >誰かにあげて少し味見するだけでよかったのではないか 貴方はどうしようもない似非快楽主義者ですね。 ひとつのアイテムから、最大限の快楽を引き出すにはどうすればよいのか、よかったのか? そういった余り意味のない思いと後悔で折角の快楽を台無しにしてしまった。 肉体的な快楽も、精神的な快楽も所詮快楽には変わりありません。その時その時の旬の快楽を旬の時期に5感をフルに使って思う様味わうのがいいのです。 あとで(同じ投資をしても別の方法があったかとか)後悔するのが一番悪い。 それと 菅さんのことをこんなところでわるくいわないでくさい。 無関係ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 私は味を知りたかっただけです。ならば、それ以上は無用でしょう。これが足るを知るでは?
- 雪中庵(@psytex)
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味覚や嗅覚など、生理的欲求がダイレクトに表出した喜びは、 簡単に得られるが、一過性でその充足感も比較的小さい。 もちろん、肉体に付属した感覚器官に基づいて“自己チュー”化 しがちな意識を、種の維持に駆り出すための性欲は非常に強力 で強い快感を生じるが、しょせん衝動であり、一過性である事を 免れない。 その点、深い認識に由来する幸福感は、より大きな喜びを持続的 に発生させる。 プリンをあげる事で、より大きな喜びとなる、愛する人を得る事が 先決でしょう。
お礼
回答ありがとうございます。
逆に好奇心に任せて、新製品を買って、味見だけをしてまわって、満足するなら、快楽では? 何も違和感なく、プリンをいつのまにか平らげているのも、快楽だと感じます。
補足
回答ありがとうございます。 お陰さまで疑問が整理されてきました。 快楽という大雑把な括りで質問したから、クリティカルな回答が得られず、雑に欲望を満たそうとしたから質的に最適な快楽を得るにいたらなかったということでしょう。
- Mokuzo100nenn
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>誰かにあげて少し味見するだけでよかったのではないか? 味見して、うまかったら全部食うのが快楽の本質じゃないか?
お礼
おはようございます。 糖分の摂りすぎは健康と国際的食糧価格によくありませんから、量よりも質を重視したいと思っているのです。また、それにより私の重視するカテゴリの快楽は減少することはないのです。
- ノーバン(@nobound)
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ちょっと質問の意図がわかりづらいのですが、「快楽の本質」がわかってもいないで、プリンをペロリとたいらげる自分への疑問でしょうか?(購買欲も快楽だと思うのですが。) 回答したのは、ちょっと似ているようで違う体験をしたので。 昨日初めてのお店でからあげ弁当を夕食用に買って、家で食べて、ペロリと同じ様にたいらげて、「ああおいしい」と思ったあとで、あったかいお茶を飲んだら、せっかくのそのおいしさが一瞬で消えてしまい、ちょっとイラッとしました。(快楽ってあっけないなあ)と思って。お茶を飲まなかったら、もうちょっと余韻があったかなとか想像しましたが、おそらくそんなこともないでしょう。 何度となく同じ様な経験はしてきたと思うのですが、(アイスとか本当にあっという間においしい時間が終わってしまい、いつも何か釈然としません。)何で今、このことが強く意識されるのか?たぶん同じ様に「快楽」に対する何らかの疑問があるように思います。 ちょっと違うのは、弁当をおいしいと感じたことです。プリンはおいしくなかったのでしょうか?そのはかない快楽はむなしいのか、すばらしいのか、ダメなのか? ちょっと前でも質問されていると思うのですが、「人のために」と「自分が楽しい」ことはどう関係づけられるのか? と同時にそのはかなさは、桜や蝉へのイメージともつながりますが、人として何らかの意味があるようにも思います。
補足
回答ありがとうございます。 同じような経験をされていて、同時に少し印象が異なっており、とても興味深いです。 私の場合は、プリンは一口目はおいしかったのですが、それ以後は、舌が馬鹿になったといいますか、私自身が呆けてしまったので味がしませんでした。 今思えば、私は知的好奇心を刺激され買ったのですから、じっくり観察する前に完食すれば不満は残るのは当然かなと思っております。
お礼
>見せびらかして、羨ましそうな顔をしている誰かを見るのも快楽です。 その為には、不快な誰かの存在が必要であり、不快と快の、絵画でいう補色の効果により、快が引き立つということですね。 ありがとうございました。
補足
お礼で、快楽が引き立つと述べたけど、人を不快にする快楽は長続きしない。 よいこのみんなは真似しないでね。