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日本史 航路の開発
日本史の教科書に「河村瑞賢によって東廻り海運・西廻り海運が整備され」とありましたが、海路の開発とは具体的に何をするのでしょいか? 海に本当に道を作るわけ無いでしょうし… 宜しくお願いします。
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当時は沿岸航路。 したがって、沿岸の座礁、潮の流れが急変する場所など危険箇所の確認と地図。 同時に地図と同じで、現在位置の確認が出来るマーカーを確認しておく。(あの島が見えたら、向こうの山頂と結んだ線が、岸から約○○海里。だから港まであと何時ぐらいで着く。)夜は普通動かないが、場合によってはかがり火を焚く。後の灯台。そのための管理責任者が必要。 岸辺の幹線ルートと入り江のキャパを考慮して、港町を作る。最初は物流と保管の拠点だが、大きくなれば市が立つ。つまりその場で決済するようになる。その決済金で地元の産物を買って、自分の港へ帰る。 ちなみに江戸時代は北前船の船主達は大金持ちが多かった(なにせ小判一枚で一生いけるという時に、一航路動かしただけで2桁以上の利益は上げられた。)ところが当時は米本位制だったので、土地を持っていない(あっても雀の涙)船主などには税金がかけられない。それでしかたなく、(いまでも税務署がやっている)全財産を大雑把に算定したのが「9公1民」などの割合になった。 最近の東日本震災のときでも、港のガレキを素早く撤去して、すばやく船を入れられたら(船は飛行機の約100倍から1000倍の物資が送り込める。)、一気に物資を送り込むことが出来た。その時はホバークラフトしか動かせなかった。かえすがえすも残念。
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- tanuki4u
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回答No.2
http://www.sof.or.jp/jp/news/51-100/53_2.php このへんの説明がくわしい