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愛とは 愛させることである。

 どうでしょう?  自分自身を愛させること。ここから始まるというお話です。  どうでしょう?  質問【Q:アウグスティヌス 愛の概念】における回答の示すサイトが エラーで出ないものですから ひとつの答えを取り上げて問うてみています。

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回答No.1

確かに、生きる目的が、物質的豊かさであるなら、愛するより愛され る方が“得る”ことにつながるが、生きる目的が精神的充足ならば、 愛する方が心の豊かさを意味する。 (そもそも、宇宙自体が認識に応じて派生しているならば、自分が どう感じるかどうかこそが存在の実体であり、他人がどう思おうと、 それは物質的状態を通じた間接的な関与に過ぎない)

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  まづは 質問者のわたくしも 質問の表題と趣旨説明をしっかりと確かめます。  ☆☆ ~~~~  愛とは 愛させることである。  どうでしょう?  自分自身を愛させること。ここから始まるというお話です。  どうでしょう?  ~~~~~~~  ☆ すなわち 考えるに  ★ 愛するより愛される方が  ☆ と受け取られたということは 次のように理解されたと思われます。  ○ 人を愛するということは まづ相手をして《自分自身を愛せしめ》 その上でこんどはこちら側を愛させようとすることだ。  ☆ まぁ 自己〔の存在もしくはおのれの人間としての自然本性〕を愛するならば そのあと 周りの人びとをも 自己を愛すると同じように 愛するようになる。つまり 結果的にはその人を愛せしめたこちら側をも愛するようになる。とは 考えられます。  その場合には したがって  ★ 愛するより愛される方  ☆ を いまの《愛》の定義に含んでいる。こう理解されたようですし 全体としてそういう推理でしたら たしかにまづはおっしゃるとおりです。  質問者として思うのは どうでしょう だからと言っていまの (1) おのおの自己の愛(尊重)を基礎として (2) 互いに自分を愛するのと同じように愛し合う といった定義と方程式について そこから   ★ 生きる目的が、物質的豊かさであるなら  ☆ と条件づけられたひとつの場合にあてはまると受け取られたのは どうしてかです。  ○ 自分は相手を愛させるだけであって こちらから相手を愛することはないのだ。  ☆ と理解されたからでしょうか? そうですね。もし仮りにそうだとすれば どうでしょう  ○ こちらがこちらを愛させた相手は その相手じしんも 《愛》の定義にもとづくなら こんどはこちら側に対して 自分(つまり初めからの相手の側)を愛させようとするでしょう。  ☆ つまり 初めの定義にもとづけば けっきょくのところ  ○ 互いの人間愛  ☆ という情況をもたらすと考えられませんか?  つまり 質問者からのお応えとしては こうなります:    1. なぜ《物質的豊かさ》と《精神的充足》とに分けて どちらか一方に片寄るかたちに 定義の内容を決めるのか?  2. もし仮りに まったくおっしゃるような理解であったとすれば そうだとしても   (あ) けっきょくのところ 社会という場では人びと互いの人間愛に行き着くと考えられるが どうか?   (い) たとえおっしゃるように《物質的豊かさ》に限って《人間の互いの愛》を定義したとした場合にも ではなぜ その定義には《精神的充足》の側面がないと受け取ったのか?   (う) つまり 物質的と精神的とに二分するのは 回答者さんの専売特許か何かであって はっきり言えばおかしいのではありませんか? なぜ二分しなければならないのでしょう? いまの定義では 何も触れていません。というのが 実際です。  ★ ~~~~~  (そもそも、宇宙自体が認識に応じて派生しているならば、自分が  どう感じるかどうかこそが存在の実体であり、他人がどう思おうと、  それは物質的状態を通じた間接的な関与に過ぎない)  ~~~~~~~  ☆ これは異なことをおっしゃる。《相手が自分(相手)自身を愛するようにさせる》そのことと 《他人がどう思おうと》という条件づけを持ち出すところの見方とは つながっていますか?  むしろ こう言っているはずではありませんか? すなわち  ○ こちらとしては その相手がこちらを《どう思おうと》かまわないけれど 《愛》とは その相手にもあるいは誰に対しても それぞれ自分自身を愛するようにさせることだ。  まぁ 勘違いをなさったのでしょう。

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