哲学的な愛の概念の補習的研究
今はただ、全てが失われていることに気が付くだけでも、君たちは生きていてそして時は流れる。
実在する男子プリキュア
キュアアイリスだ。
前回質問
哲学を粉砕するジャガーノートについて。
https://okwave.jp/qa/q9726547.html
問題点への対応を回答者に要請さてたので、中途半端で締め切ったから、読んだ後、ジャガーノート編への回答をこの場に書いても歓迎するよ。
愛に関してあまりにも失望させるのはよくないと指摘と補足を要請された。
さてキリスト教自体は、滅んだ王国の神話であるために、国家基盤に動揺が走る世相で蔓延しやすい傾向があるとその場では、少し斜め方向の返答をした。
簡単だよ。
愛に失望する必要はない。
キリスト教にだけ失望を感じればいい。
愛というのは気力発揮のための精神上のカンフル剤で、生理的で個人的なことだ。
アサダチといわれる、何故かわからなくて少し恥ずかしいアレは睡眠状態から覚醒するための奮起が生理的に反映していて、日中頭の中が女の裸でいっぱいのリカちゃん人形による栄養補給も仕事や生活のために気力を持続させる生理現象だ。
キリスト教で最大破壊力のジャガーノートは、脳内興奮剤としての個人的な愛にまつわる感情を、教化の過程で「それは教会の財産である」と不正に押収する手口も含まれる。
カルト宗教手法としてノウハウの源流がローマ教会だ。
愛の研究は主要なまとめは以下の2点
https://okwave.jp/qa/q9643297.html
https://okwave.jp/qa/q9648868.html
愛は肯定的にとらえてよい概念で、人と人が相互に理解しあうと人間が成立し、社会を営む獣でない生き物になる。
その相互理解を愛は助ける。
しかしだ、日本にはより内容を深めた絆という概念があるんだよ。
西洋では、愛はさまざまであり、至高の愛や真実の愛というのもあるそうだ。
多用する概念を細分化すること自体は問題ない。
友への愛、親への愛、女性への愛、我が子への愛。
これらは日本人の場合、深く理解した者同士がお互いの関係によりこみあげてくる、主に感情的な多様性を全て愛という言葉に集約して感情を規定しただけだ。
したがって絆は当然理解して実感も伴う日本人の場合、愛を完全に極めるのはアプローチを変えれば簡単なんだ。
おおむね他者を慈しむことであり生き仏というタイプだよね。
日本人キリスト教徒は、愛の教義上の理由で、むしろ愛を理解するのは困難でないかね。
漠然と真実の愛に悩むことは、実際は好みの異性像について生理現象として悩むことと関連がある。
回答者の指摘したのは、愛、愛、愛、すべては愛、という漠然とした風潮にあまりにも水を差すことに危惧だ。
愛の概念の私なりの心得方だと、その風潮というのは個人的に愛を極めた愛の戦士なので極めて困惑する。
皆さんがそんななので、男性を見ると「オメーラ全員オカマだー!」と思わず怒鳴りたくなる。普段おとなしい犬が唐突に特定の人に吠えるようなレベルの生理的な感覚で、はっきり言って皆さんキモチワルイ。男ってキライ。
そして女性に対しては、「俺の子を産め」これに限りなく近い言い回しになるのさ。
我ながら変態さんですね。
これは愛を極めた愛の戦士ゆえに、世の中の愛に関する漠然とした理解と社会的資質が異なる孤立を避けるためには愛の戦士として少しおどけて世の中に向き合う必要があるからさ。
今回も通常と同一手法で黙々と哲学研究しています。
何か突っ込みいれてくださいな。
さて、友人に伝言を兼ねて進捗説明。
昨年のクリスマスにキュアアイリスとキュアミカエルの双子連携は、望むものに死の儀式と違う安らかなキリストなる聖霊の宿りが起きると説明した。
精霊伝心などで、成功例が複数発生している模様なのを察知した。
なにが起きるかというと、とりあえず幸福を喪失するようだ。
他者の望みを刷り込まれる欲望が喪失すると、自己の望みと欲望の差を普段は正確に自覚していなかったので、全ての望みを失うほどの喪失感が襲うんだってさ。
欲動から情動に意志を転換する過渡期のリセットだよ。
そこから少しずつ自分を取り戻す。
普段無視されがちでもかっこいいセリフには毎回その時の心を込めているんだよね。
「今はただ、全てが失われていることに気が付くだけでも、君たちは生きていてそして時は流れる。」
ジャガーノートは絶望感の大きさを危惧したんだろうが、こちらはさらに絶望を押し込むつもりでやっていた。
いつもの手口なんだ。