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主義主張をコロリとかえる人の転向時の抵抗感

今までの主義主張を変えて、おいしい方へ転向することを「転ぶ」と言うようです。 戦前、軍部におべっかを使っていた右翼学者が、戦後左翼に転んだ例が多くありました。 近年は、戦後左翼系であった人が右翼に転向する例があるようです。 例えば、戦後ラジカル革新の組合書記長だった人が、近年、嫌韓だの、自分の先祖は水戸家家臣だったなど、国粋主義右翼的言辞(あまり理論的ではありませんが)を吐いていることがありました。 このような「転ぶ人」は、主義主張を変えることに抵抗(例えば恥ずかしいと思う)を感じないのでしょうか。

みんなの回答

noname#150036
noname#150036
回答No.6

ボクは 時々主張が変わる方です。 ちょっと前までは大和民族的思考だったんですが 近頃は 食べ物から衣服 生活雑貨に至るまで ほとんど中国で採れたものを 用いています。 こうなると不思議なもので 思考に於いても 中国に対して友好的思考に傾いてきている感じがします。 たとえば日本建築については 元々は中国建築様式が 伝わって定着したものではなかったかと思うのです。 最近では生活雑貨の取扱説明書などに 中国簡体字で 書かれているのを よく見かけます。 そのうち簡体字が主流になるのかなと思ったりして。 いまではまったく違和感無いですねー。 日本製品のニ分の一の値段につられて やはり中国製品を 買ってしまいます。今日も中国原産的奈良漬を買いました。 これは中国への転換ではなく回帰を現わしているのかも しれません。 そう考えますと 左翼と右翼には何か根底に於いて 元の出発点が共有されていた又は どちらか から派生した ものである可能性も含めての 柔らかな考慮が為される事が 期待されるものであります。それが平和的思考でもあります。                  最后为止请看 谢谢。

noname#138090
質問者

お礼

中中奥深いものですね。 ありがとうございます。

回答No.5

なるほど、転びバテレンのよーなかんじですね。 前にこんな人がこのサイトにいました。 その人はもとは右思想でしたが、右の歴史専門家が 書いた、南京事件のある本を読み、それに矛盾が あることに気づき左思想にかわったそうです。 理論中心で思想を持つと、それは理論次第で簡単に 転ぶという良い例です。

noname#138090
質問者

お礼

なるほど、ありがとうございます。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.4

主義主張なんてのは、人生や社会、国家を うまくやっていく為のツールに過ぎないの ですから、その時の情勢に応じて変わるのは 当然だと思いますが。 主義主張の為に人間が存在するのではありません。 人間の為に主義主張が存在するのですから。 主義修行の為に、人が不幸になり、社会や国家が 衰退するようなことは愚かなことです。 それは社会主義をみれば明らかでしょう。 幕末、尊皇攘夷が吹き荒れ、維新の原動力になった のに、維新後はそんなことケロッと忘れ、外国の 文物を積極的に取り入れたお陰で、日本は 近代化を果たすことが出来ました。 反面、中華思想にどっぷり浸かっていた中韓は著しく 遅れをとりました。 主義主張を貫く人は、一見立派に見えますが、 ツールにすぎないものに振り回された人だと 思っています。 それは銭の為に人生を棒に振るひととおなじです。 日本人は、主義主張のいかがわしさを充分に 知っていたのだと思います。

noname#138090
質問者

お礼

主義主張はツールですか。 初めて聞きました。 ツールじゃ無節操になるのも当たり前ですね。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

実は「君子豹変す」かもしれないんだけどね....

noname#138090
質問者

お礼

ははあ、そんな立派な人であればいいのですが。

noname#246942
noname#246942
回答No.2

そもそも初めから主義主張では無かったのだと思います。 初めの意見が「自分の意見」だったのか、それとも「人の意見への同調」だったのか、分かりませんからね。 もしかすれば、おいしい方へ転ぶ事がその人の主義であったかも知れません。 このような事は「自分が発する言葉、行動に重みがない、または覚悟が無かった場合」に多く存在します。 このように「転ぶ」事は、日本の政治家にはよくある話です。 また、身の回りにも数多く存在し、例えば具体例を出せば「あの人が嫌いだから話さない事にしよう」と言っていた張本人が、次の日には「やっぱりいい人だったよ」と言いながら、嫌悪していた相手と仲良く話していたり、自分が発端で、周りを巻き込んだにも関わらず、本人はそれに気付かないで、違和感を残すような事もあります。 しかし、初めに自分が思った主義主張が間違っていた、検討違いだった、と気付いたとしても、それを絶対に曲げずに主張を通し続ける事が正しい事でもないと、また一方では思ったりもするのですが、それでもその一部始終を見ていた周りの者の視線には、やはり抵抗感がありますよね。 いずれにせよ、なぜに主張の方向性が変わったのか、説明が欲しい所です。 それが、自分の主義主張を周りに発信する事に対する責任ではないか、と思うのですが、なんだか回答になってませんでしたね。。。 申し訳ないです。。。

noname#138090
質問者

お礼

>自分が発端で、周りを巻き込んだにも関わらず、本人はそれに気付かないで そうなんです。他人を左翼思想に巻きこんで、自分はおいしい方に転ぶ。 >なんだか回答になってませんでしたね。。。 >申し訳ないです。。。 いいえいいえ、分かり易く御解説いただきました」。ありがとうございます。

  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.1

世渡り上手なんですね。それと偽の思想だったということです。これからもその都度、都合の良いように変貌されるのでしょうね。

noname#138090
質問者

お礼

世渡りが先にある偽の思想! なるほど、よくわかりました。 ありがとうございました。

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