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国粋主義と理性との関係性。
だいぶ昔に読んだ本に、左翼思想を一言で簡単に言い表すとしたら 「普遍的な人間の理性のもとに人類共通の理想に改善していけるはずだ」 こう考える事であると、書かれてありました。 実際辞書で「左翼」を調べると 「社会主義・共産主義・無政府主義等の革新的思想、またその立場の人物や団体。」 とあります。 左翼思想が「普遍的な人間の理性」によって「人類共通の理想」へ改善出来るとする考えであるとするならば、逆の右翼思想は「人間の理性」による「理想への改善」には否定的と言う事なのでしょうか? 辞書で「右翼」と調べると 「保守的・国粋主義的思想、またその立場の人物や団体。」 とあります。 「国粋主義」の様な思想は、人間の理性による理想への改善とは真逆の価値観、すなわち理性や理想への改善を否定した思想であると、考えるべきなのでしょうか?
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- kurinal
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soramimiclub様、こんばんは。 >「人間の理性による理想への改善」 そうですね。「「理性」による理想への改善」は、イスラム国に同じ、では。 >「普遍的な人間の理性」 ・・・何が何を改善するんでしょうね。 (「信教の自由」を「普遍的」などと?・・・限界があるのである)
- Mokuzo100nenn
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>「国粋主義」の様な思想は、 オリンピックなどの国際大会で、自分と同じ国籍を持った選手だけを応援し、他国籍の選手は負ければ良いなどという考えを持つ人や、その視点で報道をするマスゴミなどが本質的な国粋主義です。 政治的な言説にふりまわされることなく、一般の社会生活で自然に発露するモノ(=気質?)をよく観察して、国粋主義者なのか、リベラリストなのかを判断すれば間違えありません。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>政治的な言説にふりまわされることなく、一般の社会生活で自然に発露するモノ(=気質?)をよく観察して、国粋主義者なのか、リベラリストなのかを判断すれば間違えありません。 そこは大事ですが、僕が知りたいのは、この「国粋主義」と言う思想が、人間の理性による理想的改善を肯定しているのか、否定しているのかが知りたいのですが。 国粋主義は人間の理性を信用していない、そう考えるべきなのでしょうか?
- 雪中庵(@psytex)
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かつて日本国内でさえ、県単位に分かれて戦争をしていた。 その頃に「愛国心」などある訳もない。 郷土愛であっただろうが、そうした封建主義の始まりは、 血族の延長としてのファミリー単位のコミュニティ(原始 共産制)であった。 そこから、分業化の発達=市場の拡大によって、社会生命 としての“個体”の範囲が、集落>県>国と拡大してきたのだ。 「国」粋主義などというのは、過渡的な幻想に過ぎない。 今や身の回りの衣食住あらゆる物が、世界中から届いており、 もはや人類全体で一個の生命体だといえる。 そうした社会生命性を自覚し、自律的に社会行動をとる時、 個人主義や全体主義といった区別は意味を持たない。 「生きる事」、それのみが社会=個人を動かす原理だ。 生産の主体が農業=土地の確保にあった封建時代と異なり、 武力ではコントロールできない工業生産や創造性が生産の 主力となった現代、軍事力によって繁栄は得られない、 一部の国家の枠組みに利権を持つ政治家や軍需産業を除き。
お礼
回答ありがとうございました。
- hekiyu
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"左翼思想が「普遍的な人間の理性」によって「人類共通の理想」 へ改善出来るとする考えであるとするならば、 逆の右翼思想は「人間の理性」による「理想への改善」 には否定的と言う事なのでしょうか?" ↑ ハイ、その通りです。 右翼という言葉はドギツイので、保守と言い換えます。 保守は、人間の理性を信用しません。 だから、試行錯誤の結果である伝統、習慣、常識などを 重視します。 これは遠く遡ると、啓蒙主義とロマン主義の対立に 端を発する、という言い方も可能です。 試行錯誤できるためには、自由であることが必要です。 だから、保守は自由主義と結びつきやすいのです。 理性に基づいた理想的な政治をやろうとして、 社会主義は大失敗しました。 社会主義が産んだのは、独裁と貧困と、大虐殺でした。 社会主義に真っ向から反対した経済学者 ハイエクも言っています。 人間は理想的な世界、天国を創ろうとしては地獄を 創ってきた。 理性とか理想なんてのは、結局は人間の浅知恵に 過ぎないのです。
お礼
回答ありがとうございました。
- trytobe
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『だいぶ昔に読んだ本に、左翼思想を一言で簡単に言い表すとしたら 「普遍的な人間の理性のもとに人類共通の理想に改善していけるはずだ」 こう考える事であると、書かれてありました。』 これ以外のものと結びつけて定義の普遍化・一般化してはいけません。『一言で簡単に言い表すとしたら』なので。 経済学の世界で、マルクスが、人類全員が理論的に最大効率で最適化した行動をするとすれば、利己的ではなく、社会全体のためにインフラ構築をする社会主義的行動をとるようになり、さらには金がある人間しか教育などのサービスを受けられないのではなく、全員に才能を伸ばせるだけのチャンスを与えるべく、貧富の差がなくともすむ共産主義(すべて国有財産で、それを国民が共有・共用する)という、「理性的な国民ばかりの世界」を「机上での理想郷」として描いたところから来ている、というのを縮めて言っているだけです。 実際の世の中は、そんな論理的選択で行動する人間ばかりではないので、そんな理想郷はできないのですが、 ・それがわかっている人は、資本主義の中にインフラ整備を税金で行う社会主義要素を入れた修正資本主義をとる ・それがわからず理想郷が作れると思っている「性善説を信じすぎ」の人は、「過激派」として思想犯にすらなる というわけです。 このような過激派になるほど「理知的ではないのに理知的に動こうとしている人」が、行動力があるバカほど怖いものは無い、といわれ、左翼でも右翼でも、結局は「ある主義主張を守ることが大前提」の原理主義者になってしまうのです。その人が従う原理が、経済原理なのか国粋主義なのか宗教観なのか、という違いだけで、テロリストになることには変わりない要素を持っているのです。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
本題になりますが、では共産主義等の左翼思想が人間の理性による理想的改善が出来るとするならば、逆の国粋主義等の右翼思想は人間の理性による改善には否定的と考えるべきなのでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました。